朝日新聞朝刊 2002年09月18日
痛ましい歴史、直視して 日朝首脳会談 木村伊量
痛ましい。やりきれない。わが子が、孫が、兄弟姉妹が、どこかで生きてくれていると信じて、拉致被害家族は長くつらい歳月を耐え忍んできた。そのかすかな望みは打ち砕かれた。無残な結末に言葉を失う。
北朝鮮の金正日総書記は初めて拉致の事実を認め、謝罪した。それでも拉致された8人がすでに亡くなっていた事実はあまりにも重い。
一片の安否情報を手渡しただけで拉致問題に幕引き、というのでは日本国内の世論はおさまるまい。忌まわしい拉致がどう実行され、被害者がいつ、どこで、どのように亡くなったのか。金総書記と北朝鮮当局は何をおいてもまず、拉致の全体像をつぶさに明らかにしなければならない。
たとえ金総書記が言うように拉致に直接かかわったのが「特殊機関の一部」だったとしても、その本質は国家犯罪以外の何ものでもあるまい。北朝鮮がメンツを捨てて、深刻な反省と「過去の清算」への決意を国際社会に向けて宣誓しない限り、「テロ支援国家」というレッテルは決してはがれまい。
こんな無法者の国と国交を結ぶ必要がどこにあるのか。拉致問題暗転の衝撃と憤りから、釈然としない思いに駆られる人も少なくないだろう。気持ちは理解できる。
けれども、冷静さを失っては歴史は後戻りするだけである。
いかなる意味でも拉致は正当化できないが、そもそも日朝の不正常な関係は、北朝鮮ができる前、戦前、戦中の35年間にわたる日本による朝鮮半島の植民地支配に始まる。冷戦もあった。北朝鮮との間に残された戦後処理問題を解決し、大局的見地に立って関係を正常化することが、日本の国益にも北東アジアの安定にも資する。
どの国も「負の歴史」をおっている。過去の日本がそうなら、北朝鮮もそうである。
つらいことだが、歴史を乗り越えるには、それを直視するしかない。(政治部長)
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