現在のイラクの政治体制は、2005年10月に国民投票で承認された新憲法によると、「共和制、代議制(議会制)、民主制」(第1条)と定義されている。世俗主義を党是としていたバアス党が2003年に倒れた後、宗教政党が大きく躍進したが、イラン型の「法学者の統治」は受け入れられておらず、宗教法学者は最高政治権力者である首相の座にはつかないことが暗黙の了解となっている。
新憲法は、大統領の役割を「国家の長、国家統一のシンボルであり、国家の主権を体現する」(第67条)と定める一方、首相は「国家の政策を遂行する責任者、軍の指揮官」(第78条)であるとしている。首相の選出は大統領の指名によって行われるが、その人選は、与党となる議会の最大政党が行うとされており(第76条第1項)、首相が閣僚を指名した後、議会の絶対過半数の賛成を経て内閣が発足する。従って、大統領は存在するが、制度としては議院内閣制に近い。移行措置として、憲法制定後の最初の国民議会の任期(2006年からの4年間)に限って、大統領と副大統領2名で構成される「大統領評議会」が設けられ、議会を通過した法案に対する拒否権が付与されるなど大統領に一定の権限が存在したが、現在はこうした権限はなくなっている。また、国民議会は大統領・首相を罷免できるが、大統領・首相に国民議会の解散権はなく、さらに、軍参謀総長および副官、師団長以上の者、諜報機関・治安機関 長官などの人選においては、議会の承認が必要と定められており、制度上は独裁体制の反省を踏まえて議会重視のアプローチが採用されている。
イラク戦争後に占領統治を行っていたCPA(連合国暫定当局)が設立した統治評議会(2003年7月発足)や暫定政府(2004年6月発足)が民族・宗派別の数合わせによる構成であったことや、2005年の議会選挙結果において、宗派・民族ごとのエスニック政党(特定のエスニック集団を基盤として形成され、かつその特定のエスニック集団からの支持に全面的に依存する政党)の躍進が顕著なものとなったことから、2006年に発足した初の正式政府である第一次マーリキ政権においては、民族・宗派主義に基づいて挙国一致内閣との建前の下、エスニック集団間の合意に基づいてポストを分け合うクオータ・システムに依ることとなった。その後、2006年から2007年にかけて凄惨を極めた宗派間抗争の反動もあって、脱宗派主義やイラクの一体性を訴えるナショナリズムの流れが2008年頃から生まれつつあり、2010年3月に行われた国民議会選挙においては、多くの政党がそうした方向性を訴えて有権者の支持を集めた。その一方、依然として各党の支持基盤はシーア派、スンナ派、クルドのいずれかに偏る傾向にあることは否定できず、2010年12月に発足した第二次マーリキ政権においても、クオータ・システムの脱却はできていない。
参考文献
- イラク憲法 (http://www.parliament.iq/)
- 移行期間のためのイラク国家施政法