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主にミネルヴァ書房の本が好きでよく読んでいます

「日本人になった祖先たち」のDNAで読み解く日本の古代史

 先日も卑弥呼の時代と思われる鏡が魔鏡であったというニュースがありましたが、あの鏡も中国では発掘されておらず、また未だ邪馬台国の場所さえ確定されてないという停滞した日本の考古学ですが、科学的なアプローチから日本の歴史を知ろうという試みも進んでいます。

 

日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス)

日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス)

 
  •  第1章 遺伝子から人類史をさかのぼる

 

 個々の遺伝子を特定の血縁で追求することは不可能ですが、親の持つDNAがそのまま子孫に伝わるものも存在します。

 それが母から子どもに伝わるミトコンドリアのDNAと、男性に継承されるY染色体を構成するDNAです。

 ミトコンドリアのDNAは構造が比較的単純で80年代から研究が続けられており、各地域民族のデータがかなりそろっています。

 Y染色体の方は、ようやく世界各地の人が持っている変異の全貌が明らかになりつつあるところで、系統の研究に関してはようやく制度の高いものが出つつあるところです。

 ミトコンドリアDNAの多様性に関する研究の結果、DNAの制限酵素切断パターンとregion Vの九塩基欠損によって大きく四つのグループに分けられることがわかりました。

 それぞれのグループにA~Dの記号が付けられ、このグループを専門用語でハプログループと呼びます。ハプロとは「単一の」という意味です。

 その後も制限酵素認識部位の変異が、世界の各集団で続々と見つかり、数十のハプログループが認識されるようになりました。

 現代人の遺伝子に見られる変異の分布が偏りを持っているとき、その分布の状態から人類の拡散の様子を類推することができます。

 

 

 人類集団は大きく四つのグループに分かれます。そのグループをクラスターと呼びますが、DNA分析による区分けでは四つのクラスターのうち、三つまでがアフリカに住む人だけから構成されています。

 残りの一つのなかに、先のクラスターに含まれなかったアフリカ人と、それ以外の世界のさまざまな集団に属する人たちが集まります。

 さらに、この最後の集団のクラスターを見ると、分岐の先のほうでより小さなクラスターに分かれています。

 その一つはアフリカ人だけを含んでいますが、残りのクラスターは、片方がアジアの集団だけから構成されており、もう一方はヨーロッパ系の集団とアジア集団の混合したものでした。

 この二つのクラスターは前者がM、後者がNと名づけられています。

 つまり人類集団は大きく分けてL0、L1、L2、L3、M、Nとなります。

 

  • 第3章 DNAが描く人類拡散のシナリオ

 

 アジアに向かった集団がオーストラリアにたどり着くのが47000年くらい前、東アジアにもほぼ同時期に到達したと考えられます。

 ヨーロッパの考古学や人類学では世界のどの地域よりもくわしい研究が行われています。

 ヨーロッパには4万年ほど前に私達の祖先が到達したと考えられていますが、そこにはネアンデルタール人が住んでいて、約1万年にわたって共存していたと考えられています。

 現在のヨーロッパ人が持っているミトコンドリアDNAのハプログループは、Nから派生したもので、それぞれJ、H、V、T、Kという名称が付けられています。

 ハプログループJを用いた計算結果では、ヨーロッパ到達の時期が約一万年前という数字が得られ、ちょうどヨーロッパに初期農耕がヨーロッパに持ち込まれた時期に一致しています。

 現在のヨーロッパではJは約13%を占めており、残りは1万5千年以上前にヨーロッパに到達したハプログループに属しています。

 

  • 第4章 アジアへの二つの道筋

 

 アフリカから東アジアへの拡散を考えるときに大まかには二つのルートが想定されます。一つは南アジアを経由するもの、もう一つはヒマラヤ山脈の北を通過する経路です。

 一般にはインドの人たちは言語や考古学からヨーロッパ人と同系の人たちと考えられていましたが、実に60%はMの系統に属するものでした。

 ハプログループMは南ルートでユーラシア大陸を進んだと考えられます。

 もう一つの中央アジアルートでは、この地域を対象とした詳細なDNA研究が行われておらず、この本が書かれた時点では人類拡散の様子を再現することはできませんでした。

 

 南北アメリカ大陸について、最近の学説では先住民は大きく三つのグループ、南北アメリカの大部分の先住民を占めるアメリンド、アメリカ北西部に住むナデネ、さらにエスキモー(イヌイット)・アリュートに分かれます。

 言語学の研究結果から導かれた移住のシナリオは、形態人類学や遺伝学的な研究結果が必ずしもそれを支持してはいません。

 今のところアメリカ先住民とアジアの広い地域の集団が共通の祖先を持つ可能性があるという程度に理解しておくのが妥当のようです。

 

 

 日本人の由来を考えるとき、今日本に存在するすべてのハプログループの系統を個別に調べていけば、その総体が日本人の起源、ということになります。

 下記のリンクの先に割合のグラフがあります。

 http://www.terumozaidan.or.jp/labo/technology/10/03.html

 日本人にもっとも多いハプログループはDです。D4、D5の双方で日本の人口に占める割合は四割弱となります。

 ハプログループD4と5は中央アジアから東アジアにかけてもっとも優勢なハプログループで、朝鮮半島や中国の東北地方の集団でも、この二つがおおむね人口の三割から四割を占めています。

 ハプログループDは、誕生したのも古いし、アジアの広範な地域に存在しているので、このグループが日本にいつ、どのように入ってきたかを推定することは非常に困難です。

 実はハプログループD4は、他のハプログループに比べて、非常に細かく分類ができることが知られていますが、細分類のためには、ミトコンドリアDNAの全塩基配列を決定する必要があります。

 日本でこそある程度まとまった数の全塩基配列が決定されていますが、他の地域ではほとんどデータがないのが実情です。

 

 日本人の七人に一人が該当する第2グループがハプログループBです。四万年前の中国南部に共通の祖先を持ち、一方は北へ、他方は南へ拡散した集団の子孫です。

 ハプログループB以外に、古い時代に日本列島に南から侵入したと考えられるハプログループにはM7があります。

 M7にはa、b、cの3つのサブグループの存在が知られています。M7が生まれたのが4万年以上前、サブグループが生まれたのが2万5千年ほど前です。

 おそらくM7aの起源は寒冷化によって海水面が低下していた時代の、黄海から東シナ海にかけた広大な陸地だと考えられます。

 本土日本人では7%を占めるだけですが、沖縄の四分の一を占めています。

 このM7aは、DNAデータベースでは日本と朝鮮半島以外にはまず存在しません。

 ハプログループAも日本人の7%を占めるだけですが、新大陸では普遍的に見られ、北東シベリアと北中米先住民では過半数を占めています。

 

  • 第6章 日本人ミトコンドリアDNAの地域差--北海道先住民、沖縄人、そして本土日本人

 

 現在の日本人が持つハプログループの成立とその後の拡散は、そのまま東アジアの地域集団の成立を物語っています。

 本土日本と沖縄、そして近隣の集団のミトコンドリアDNAハプログループ頻度をクラスター分析という手法により、近縁関係を調べると、中国東北部朝鮮半島、本土日本人はほとんど変わらないハプログループ構成を持っています。

 細部では違いがありますが、この地域の集団は、大きくは同じ人の流れの中で成立してきたと考えていいでしょう。

 

 沖縄と本土日本人の最大の違いはM7aの突出した頻度にありますが、これは非常に古い時代に南方から日本に入ってきたと予想されています。

 これを南方系の縄文人のDNAと考えれば、沖縄の集団は北海道のアイヌの人たちと並んで縄文人の形質を色濃く残してるという、形態学者の唱える二重構造論(東南アジア系の縄文人と、東北アジア系の弥生人が徐々に混血して現在に至るという説)にも合致します。

 

  • 第7章 古人骨の語るもの
  •  

 現在では、考古学もおおむね二重構造論を認めていますが、縄文人と渡来した弥生人の比率をどの程度見積もるかは、人類学者と考古学者で意見は異なります。

 人類学者は比較的多くの移民を仮定します。現在の私達のもつ形質が縄文人より渡来系弥生人に圧倒的に近いからです。

 これに対し考古学では、縄文・弥生移行期の遺物の研究から、少数の移民の持ち込んだものを多くの在来の人たちが受容したと考えています。

 

  • 第8章 日本人になった祖先たち

 

 縄文・弥生人とともに相同なタイプを多く共有するのは本土日本人でしたが、それ以外では朝鮮、中国遼寧省山東省といった人々と一致が多いです。

 このなかで注目されるのは、朝鮮半島の人たちのなかにも縄文人と同じDNA配列を持つ人がかなりいることです。

 考古学的な証拠からも、縄文時代の半島と日本の交流が示されています。

 渡来系弥生人の形質は縄文人と幾つもの点で大きく異なっていますが多量の渡来人の流入を仮定しなくても、弥生時代の開始期に渡来してきた弥生人が数を増やしていき、その過程で周辺の在来系の人々を徐々に取り込んでいく状態がつづいたと考えると話が合います。

 この縄文・弥生期の以降は日本人の成立を考える上で非常に重要なものです。

 

  • 第9章 父系でたどる人類の軌跡--Y染色体を追う

 

 Y染色体ミトコンドリアDNA同様、組み換えによる変化を期待せずに子孫に伝えられます。このような理由でY染色体のDNAも系統を追求する研究に適しています。

 日本人のY染色体のハプログループではC、D、Oと呼ばれる三つの系統が人口の90パーセントを占めています。

 ハプログループOは日本人男性人口の約半数を占める最大のグループです。日本列島に分布するのはO2bとO3と呼ばれる系統です。

 O2bは朝鮮半島華北地域に分布しているのに対し、O3は華北から華南にかけて広がっているようです。

 Cはサンプルが少ないので比較データとして使うのは難しいです。

 ハプログループDは日本で多数の人口を占めていて、私達が持つのはD2と呼ばれるサブグループです。地域で多少のばらつきがありますが30~40%がこのハプログループを持っています。

 日本の近隣集団ではDをこれだけの高頻度でもっている集団はありませんが、チベットで人口の30%程度を占めていることが知られています。

 このことはもともと北東アジアに広く分布していたこのハプログループが、その後ハプログループOの系統により周辺に押しやられた結果を見ているように思えます。

 Y染色体は核の遺伝子で現在の技術水準ではどの時代に入ってきたのかを直接検証することは出来ません。

 主として法医学の分野で解析が進んでいますが、地域差を見出すことを目的とした研究はありません。

 

  • 第10章 DNAが語る私たちの歴史

 

 仔細に見ていくと、日本人のルーツは大陸の広い地域に散らばっており、それがさまざまな時代にさまざまなルートを経由してこの日本列島に到達し、そのなかで融合していったのはあきらかです。

 もちろんこのような成立は日本列島に固有ではなく、特に朝鮮半島から中国東北地域には、この地にいたるまでの歴史を日本と共有する人々が住んでいます。

 あくまでこれらは集団の歴史を描くのに有効なのであって、個人の由来を教えるものでないことは認識しておく必要があります。

 

まとめ

 

本書でも述べられている通り、発刊当時はまだサンプルが十分でもなくあくまで発展途上段階の研究であるし、例えば出アフリカの回数のように論争中のものもありますが、大まかな見取りを得るに大変優れた書籍だと思います。

 また、考古学や言語学アプローチ、Y染色体の詳しいアプローチについてはこの本があります。

 

DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?

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