朝鮮水軍は日本の水軍と斬り合いをしたのか?

大ヒット映画『鳴梁』日本との戦闘シーン、どこまで正確か
やりやこん棒でなぎ払ったという記録はあるが、剣術では日本側が上
「白兵戦」はなかった
船をぶつけて敵艦を沈める場面…木造船では困難

(3)宣祖の教旨の日付は、李舜臣の死後のものか?

 一度罷職され、その後再び三道水軍統制使に任命された李舜臣に対し、国王の宣祖は「陸軍と合流せよ」という内容の教旨を下す。このとき、李舜臣は「殿下、臣にはまだ12隻の船が残っております」と答え、これを観客は本作最高のせりふに挙げる。しかし目ざとい観客は、予告編に登場したこの場面を見て、教旨の日付がおかしいことを指摘した。「万暦30年」。万暦とは明の神宗万暦帝の元号で、西暦1573年から1620年にかけて用いられた。万暦30年といえば、西暦1602年。李舜臣が戦死してから4年後になる。映画の小道具用の教旨を作る際、宣祖30年と万暦30年を間違えた可能性がある。宣祖30年は、映画の背景と一致する1597年だ。

(4)銃と火砲の威力は?

 朝鮮と日本の主な武器は、それぞれ火砲と鳥銃だった。映画では、日本の軍船に砲弾が当たると、人が吹き飛び、船には火の手が上がった。イ・ミンウン教授は「火砲で船に火が付くことはなかったはず。当時の砲弾は鉄球に近く、それで船を壊した」と語った。

 映画で日本の水軍が使っていた鳥銃は、恐るべき火器だ。日本は、欧州から伝来した鳥銃を改良して使った。しかし映画でのように、火砲や弓矢と同じ距離で鳥銃を撃てたかどうかは疑問だ。イ・ミンウン教授は「当時、鳥銃の有効射程(照準して撃てる距離)は50-100メートル、最大射程は200メートル程度だった」と指摘した。

卞熙媛(ピョン・ヒウォン)記者
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