「船で船を壊す戦術があったのか」「李舜臣(イ・スンシン)も剣術がうまかったのか」
7月30日の封切りからわずか8日で、観客動員数700万人を突破した映画『鳴梁』。この映画を見た観客たちの頭には、次々と疑問が湧き起こっているようだ。『鳴梁』は壬辰倭乱(じんしんわらん、文禄・慶長の役)で朝鮮水軍を率いて活躍した朝鮮王朝時代の名将、李舜臣(イ・スンシン)を扱った史劇だ。史劇とは、歴史記録にクリエーターの創造力を加味したジャンル。ノ・スンソク汝諧(じょかい)古典研究所長(元順天郷大李舜臣研究所教授)は「どちらかというと、『乱中日記』に忠実な映画を作っている。ほかの史劇映画に比べ、考証をきっちりやっているようだ」と語った。例えば、李舜臣と息子の李薈(イ・フェ)が杯を傾ける場面。『乱中日記』にも「苦しい胸の内を分かってくれるのは李薈」という記述がある。それでも、この映画の考証をめぐる疑問は絶えない。「有名税」だからなのか。映画『鳴梁』を見た人たちが疑問を抱くと思われる点に迫ってみた。
(1)朝鮮水軍は日本の水軍と斬り合いをしたのか?
映画では、戦闘の真っ最中に、李舜臣が「白兵戦(刀や剣などで戦うこと)の準備をしろ」と命じる。その後、日本の水軍が大将船に乗り込み、朝鮮水軍の兵士と斬り合いを繰り広げる。海軍士官学校のイ・ミンウン教授(『壬辰倭乱海戦史』の著者)は「白兵戦はなかったはず」と語った。当時、剣術は一般的に日本の方が朝鮮・明より優れていたため、李舜臣は白兵戦をやらなかったというわけだ。映画ではイ・スンジュンが演じた巨済県令・安衛(アン・ウィ)の船に、日本の水軍が乗り込もうとしたとき、船内の水軍兵士がやりで押し返し、必死に阻止したという記録はある。『乱中日記』には「敵将の船と他の敵船2隻が安衛の船に近づき、先を争って乗り込んだ。安衛と船上の人々は、それぞれ死力を尽くして(各尽死力)こん棒を取り、あるいはやりを握り、あるいは水磨石(研ぎだした石材)で慌ただしく打ち払った」と記されている。
(2)「沖破」で日本の軍船を粉砕したのか?
観客が痛快なシーンの一つに挙げているのが、この「沖破(船をぶつけて敵艦を破壊すること)」の場面。朝鮮の板屋船が日本の軍船に、上から突き刺すようにしてぶつかり、粉砕する。イ・ミンウン教授は「沖破ではなく、撞破(どうは)というのが正しい。しかし、そういう形の撞破戦術は使われなかっただろう」と語った。「板屋船と倭船はどちらも木造だったので、ぶつかったらどちらも壊れたはず」というのがその理由だ。