熊澤枝里子 うなずきコンビ(洋八&きよし)
紳助 『うなずきトリオだったんですけど一人亡くなったんで
またコンビ組んだって?・・・・・まぁ世界遺産みたいなものだからね
洋八 『名付け親じゃないですか
大沢 『なんで?うなずきトリオなんですか?
紳助 『29年前に日本を揺るがす漫才ブームがあったんや
B&Bとツービートと紳助竜助っていうコンビが作ったんです
なぜならは笑いの形が三つとも同じだったんです
一人がすべてをしゃべって一人でツッコミボケなんです、そしてもう一人は
居ても居なくても同じなんですが・・・・・
おまえらうなずいているだけやんけ!それでギャラの半分か!って言うたら
その3人が反発して「俺らがおらんと困るやろ」って言うから
おまえら3人で出来るもんならやってみろって
俺が、うなずきトリオって付けてやったんですよ
うまいこと行くわけあらへん
紳助 『ツービートは最初きよしさんがリーダーだったでしょ
きよし『僕が相方(たけし)を呼んできて僕がしゃべっていたんですよ
その時は全然受けなくて、逆になったら受け出して
紳助 『そこでビートきよしの権限はまったくなくなった
田村 『もう一度漫才ってやらないんですか?
きよし『声がかかったらやるけど・・・・・もうできんやろ
紳助 『あんな”しんどいもん”やれるか?・・・・・無理やろ
でも時代を作った3組なんや
でもルーツは一緒なんや
タネ明かしをするとあの時は今までの漫才に形と違う形が始まるんですよ
一人が9割を話すって言う形をあみ出したのは
松竹芸能のケンケンテルテルさんがちょっとやりだしたんです
それを見た洋七さん(がばいばあちゃん)がパクッタんです
たけしさんもそうやったんです
そのパクッタB&Bのを高校3年の俺が見てこれや!って思って
この世界に入ったんや
それで大阪NHKの漫才コンクールに出て
東京で東西受賞者が集まった時に初めてツービートに出会った
またツービートも出てない時やったけど俺は同じ形態の漫才をしてるって
ことで知ってたんや
それでリハーサルの後のたけしさんの言葉いまだに忘れられへん
”B&Bに似てるね”
そのとき9つ上で年上やから
”はい”って答えたけど心の中では
”おまえらもやんけ”
紳助 『(田村に)お前は結婚しても何回か離婚する
大沢 『ああそんなかんじ
田村 『え?・・・・・なんで?
紳助 『お前の心は、いがんでるもん
子供の頃、貧乏をこじらせてるやろ
田村 『風邪みたいに言わんといてください
紳助 『貧乏をこじらすとキツイんや
だから
女に馬鹿にされたらあかん、貧乏って馬鹿にしてるんちゃうかって思うから
女の子に一切気遣いしないやろ
大沢 『すごい上から
紳助 『上から目線で
おまえら食えや!・・・・・食え!・・・・・・・・・・・なに食うねん!
馬鹿にされる前に上から言うてる
何怒ってるねん?何あせってるねん?
向こうから強引に”スキ!”って言われるのを待ってるけど
くるかぁ(ボケ)!
河島 『普段から女子のにはそんなトークですね
熊澤 『優しさを感じないですね
大沢 『わかる
紳助 『あいつは優しいで!マナベは
河島 『チョット待ってください
いろいろおかしいです
僕は眞鍋ではないです
ヒントを出しに熊澤に近づく紳助、みんな利き耳をたてています
紳助 『熊澤さんのお仕事に関係していることです
熊澤 『シー
大沢 『ちょっとなんで熊澤さんだけヒントを与えるんですか!
紳助 『お前と違って可愛いし
大沢 『最低や、この司会者
紳助 『おまえなんや?パンツかなにか判らんの穿いて
大沢 『レースが出てるの♪おしゃれなの♪
あれ?写真って言う答えがカラー写真に変わってる!
皆 『おお~い!字が違う
紳助 『筆跡が違うように見えますけれども今は鑑定する時間がありませんので