情報収集について思っていること
昨日、Sylfeedが情報収集に欠かせないと書いた。
ここで私の情報収集に関する考え方を書いておこうと思う。
iPhoneのアプリを使っての情報収集のノウハウとかそういうのではなくて、もっと基本的な考え方なので、興味のない人は読み飛ばしてもかまわないと思う。
情報が多すぎる
インターネット黎明期においてはまだ情報が少なかった。
自分の興味のある情報は、ネットを駆使して自分が欲しい情報を得ていた。
逆に言えば、見つけ出した情報は、苦労した分価値があると感じることができた。まだインターネットをやっていない人とのアドバンテージが感じられる時期であった。
しかし、インターネットが普及し、TwitterやFacebook等のソーシャルメディアが普及すると、誰でも簡単に情報を発信することができるようになる。
誰でも情報発信できることはいいことでもあるが、マイナス面もある。それは、どうでもいい情報が溢れかえるということだ。
少なくとも、私が知らない人のランチの情報はどうでいい情報であるし、その情報を得たからといってなんとも思わないのだ。
情報源を絞る
「どうでもいい情報」から逃れるためにどうすればいいかというと、答えは簡単で、情報源を絞ればよい。
世間では、たくさんの情報を発信しているところが良いとされているが、むしろその逆で、信頼の置ける情報というのはそう頻繁に発信されない。
なので頻繁に更新されるブログやTwitterなんかは信用度は高くない傾向にある。こういう基準で信用度を判断するのもいいだろう。
時間は有限
たまに「私の情報収集方法」を解説した他のブログを目にすることがある。そこではRSSやTwitterその他たくさんの情報をEvernoteに入れるという方法を見ることがある。
たしかに「Evernoteに情報を収集」しているが、それをどう活用するかが書かれていない。
これは情報収集ではなく、Evernoteに入れておいたという安心感を得るだけための行為であり、情報収集とは言えない。
Evernoteに溜め込んだ情報をいつ見るのか。その情報を見る時間の確保はできるのかまで考えないと真の情報収集とは言えないだろう。
クラウド時代の情報収集
先の例で、Evernoteに情報を入れることが良くないみたいなことを書いたが、そういう意味ではないことを説明しておこうと思う。
クラウドが全盛の今、情報を保存しておくことにかかる経費はゼロに近い。
であれば積極的にクラウドに保存しておかない手はない。
Evernoteを使っていて最近感じるのは、蓄積することによって意味が出てくることがあるということだ。
私は、Evernoteにその日やった事を簡単にメモしているが、長期間メモをしていると、メモ全体を俯瞰した時に新しい意味合いを感じ取れることがある。
これが蓄積よる新たな価値であると思っていて、クラウド時代だからこそこういうことも簡単にできるようになったと思っている。
これはタグ付けのようなちゃんと管理している場合に得やすいということを付け加えておこう。
なんのために情報を収集するのか
たまに目的と手段が逆になっている人を見かける。
目的があるから情報収集をするのであって、情報収集が目的ではない。情報を収集したことに満足したのでは意味がない。
一度、自分が何のために情報を収集しているのかを冷静に考え、それにはどのような方法がベストなのかじっくり考えてみるのもいいだろう。