涼と登校日
倉橋第三高校。
敷地面積だけでいうと、市内で最大を誇る学校だ。
様々な専門学科が揃わっていて、就職率はそこそこ。
元は女生徒のみの、倉橋女学校というところだった。
最近共学になり、ぽつぽつと男子も増え始めてはいる。
だが、依然として女子の割合が高かった。
学年に六クラス、四つの科が内在している。
俺は幼児教育科。
一クラスだけで、男子の比率が最も低い。
四十いる中のたったの五人だ。
一応話したことはあるのだが、俺以外の男はおとなしいやつばかりで、一緒にいてもつまんない。
彼らは完全に女子の勢いに飲まれていた。
もちろん俺はそれでは物足りなかった。
寂しすぎる青春を過ごしたくはない。
だからクラスの女子の他に、違う科の男たちと、主につるんでいる。
入学前は、たらしになるか、根暗になるかの二択しかない、と専らの噂だった。
だが実際は、どちらとも偏りなくやっていけているのだった。
「涼!」
校舎の長い私道の途中、後ろからケツを叩かれる。
走ってきた余力だろう。
勢いで前へ飛んだ男が振り向く。
「うす、郁也。」
スキンシップの好きな、俺にも負けない明るい茶髪。
棚橋郁也は、小中高と一緒に上がってきた幼なじみだ。
昔を知っているが、こいつはまったく変わらない。
郁也は食物栄養科にいる。
通称はFC。そのクラスは、俺や郁也みたいな派手好きの男も結構いるから、溶け込みやすい。
昼は一緒している仲だ。
「今日さ、このまま文太たちもつれて、遊び行こうぜ。」
郁也が肩に手を回す。
「ごめん、今日はムリ。」
昇降口に差し掛かる。
人はまばらだ。
幼育とFCは、左右向かいあわせの靴箱。
互いに一旦別れる。
「まじで?」
彼は俺の返事に戸惑った。
当然、いつもの俺なら二つ返事で了解しただろうから。
だが今、俺には抱えているものがあった。
「何。用事?デート?あ、金ないなら奢るぜ。涼いねーとつまんねーじゃん。」
靴を取って頭を持ち上げたやつの額に、軽くこぶしを当てる。
「俺が、」「ごめん、お前そういうの嫌いだったな。」
郁也は察して、俺が言うより前に謝った。
先に言われちゃ形無しだ。
俺はこいつの、こういう所が気に入っている。
にっと笑って返し、その話題は切った。
郁也はいつもどおり、幼育の教室に寄ってから行くだろう。
話を続け、教室へ歩く。
「藍果ちゃん、髪型どんなだっけ。」
ふと振られた話題に、郁也はきょとんとした。
「ショートボブだよ。短いの。」
藍果ちゃんは郁也の彼女だ。
中学が同じで、女子バスケの部長をしていた。
今は他校にいて、すっかり交流が途絶えている。
「あー…、そっか。」髪伸ばしてたら、なんか教えて貰えたかなあなんて。
うまくは行かないもんだ。
「どしたよ。藍果に用か?」
「従姉妹の髪を結ってあげたくてさ。やり方とか、教えてほしいから。」
なんとなくごまかした言い方をした。
真実は話が長くなる。
意外そうに郁也は頷いた。
「へえ。幼育でそういう授業ねえの?」
「どっちかといえば服デの専門だろ。」
階段をあがり、廊下を進んでいく。
前方から男の笑い声が聞こえた。
この学校では男は目立つ。
目的の教室の前で、立ち話をしているようだ。
男たちがこちらに気づいて、振り向いた。
「郁也、涼!」
手を振る三人。
「はよー。」
「よ。」郁也は小走りに近寄る。
俺が輪に加わると、隣から肩を組まれた。
「ひさしぶり、涼。髪切った?」
渡瀬文太。
声が低くて鼻が高い、つんつん髪のいい男だ。
「文太はまた染めたな。」
腰に手を回して応えて、髪を見る。
「いー色だろ。」
文太は、さらに明るくなった、くるくるのニュアンスをいじった。
「涼、ひさびさな気がする。」
正面にいた柔らかな表情の男、東淳史が、まじまじと顔をのぞき込んできた。
「淳史が修了式出てないからだろ。」
当然だ、と笑ってやる。
「いやー、起きらんなくて。」淳史は、はにかんで頭を掻いた。
子供っぽいその仕草は、女子に受けているらしい。
「その後はバイトで来ないしさ。鍋パ楽しかったのに。」
隣にいた今里武が口を挟んだ。
武のつんつんの髪は、逆に黒く染め直されている。
バイトのためだろう。
「また誘ってよ。あ、今日空いてんよ。」
淳史のテンションが上がった。
「今日は涼がだめだとさ。」
淳史の言葉に郁也が答える。
「え、何で。」
武が口を尖らせる。
「従姉妹来てっから。子守なんだよ。」
めいめいに驚きが返ってきた。
「涼、従姉妹なんていたんだ。」
「何歳くらい?」
文太が問う。
「四歳かな。」それじゃほっとけないわな、と淳史がため息をついた。
みんなは今日行く場所について考え始める。
だが、彼はまだ諦めがついていないらしい。
「じゃあ、涼んち行くべか。」
唐突な提案に俺が面食らった。
「何でだよ。」
思わず非難の色が出る。
「金無いし。ひまだし。」
「バイトしろ。」
家に来られたら、色々と説明がめんどくさい。
だが、その淳史の提案は、みんなにとって魅力的だったらしい。
「涼の従姉妹、見たい。」
ずいと目を近づける文太。
「じゃあ俺、ゲーム持ってくるわ。」
郁也も同意する。
「…飲食持ち込みな。」
しかたない、と諦める。
家には何もないから、と一応念を押した。
「はいよ。」武は、右手で俺の肩を軽く叩いて、自分の教室へ行く。
「けちー。」
その後を文句を言ってついていく淳史。
文太と郁也も手を振って去っていく。
俺も教室へ入る。
当たり前だが、教室は女子だらけ。
誰に聞けばいいかなあ、と周りを見渡しながら席へ歩く。
普通の学校ならみんな黒髪なんだろうけど、教室の中はカラフルだ。
みんないろいろやってんだなあ。
黒、金、メッシュ、カール、ソバージュ。
思いっきりいじってる人と、そうじゃない人が両極端だ。
席に座って、机に横たえた腕に顎を乗せる。派手な人のがいい。
そうして見ていると、ある女に目が留まった。
「おはよう。」
「おはよ、きょうちゃん。」
モデル並みの長身。
細い足を強調するようなスキニー。
小さな顔に大きな黒目。
さらさらの髪。
颯爽と彼女は歩き、席にカバンを置いた。
座った際に、目の前でおだんごが揺れる。
名前何だったかな。
彼女はたしか、いつも騒がしい場所にいる女の子で。
髪型がころころ変わるのがせわしない印象だ。
彼女のおだんごを追いかけて、振り向いた瞳と目があった。
「はよ。」
「おはよう。文片くん、だよね?」
無視も出来ず、何気なくかけた声に、軽やかな挨拶が返る。
「涼でいいよ。えっと、」名前が浮かばずに詰まる。
「白峰だよ。」別段機嫌を損ねることもなく、彼女は付け加える
「ああ、そう。白峰、恭弥。」
上が出ると、下はインパクトが強かったために、すぐ思い出した。
彼女の眉間にしわが寄る。
「恭弥っては呼ばないでよ。」
「何で?」
「男みたいじゃない?」
おどけたように彼女は笑う。
それはたぶん、コンプレックスだろうな、と思った。
「涼の方がいいな。」
「かっこいーだろ。」
「はいはい。」
軽いノリで流す白峰。
話し好きらしく、俺にもすっかり馴染んでいる。
少なくとも、クラスの男たちよりまともに会話できていた。どこから切り出そうか、思案を練る。
まあ、まずは無難なところから。「いっつも髪型違うよな。」
続いた会話にも眉根一つ動かさない。
「朝、がんばってるの。」
自分がかわいいと分かっている人がする、笑みが返ってきた。
何かをほめられた際に出る、自信に満ちた表情だ。
「髪の仕方とかさ、教えてよ。」
机に置いた肘の上に顎を乗せ、なんとなく上目気味に聞いてみる。
「え、どして?」
見上げた先の表情は意外そうだった。
当然だ。
男が何故そんなことを聞くのか、興味をそそられるものだろう。
彼女の目も好奇心できらきらしている。
「あー、従姉妹がさ、髪長いんだけどさ。小さいから自分で出来ないの。」
郁也たちに言ったのに合わせてぼかしておく。
別にこれは今回には必要のない情報なわけだし。
「やってあげるの?いいお兄ちゃんだー。」
彼女は感心しているふうに頷く。
「まーね。どうしてんの。やっぱ雑誌とか?」
彼女は軽く考えた。
「そうだねー。でも大変だよ。染めたら痛んじゃって。パーマかける前にトリートメントで戻さなきゃ。」
くるくると指で、アーモンドチョコレートみたいな色の髪を弄ぶ。
別に痛んでないように見えるが、女っていうのは細かい所を見る生き物だから。
人が気にしないような小さな変化も、気になるんだろうな。
「痛んだ?俺全然だった。」俺のはブリーチもしてないし、気になるほどは痛んでいない。
少し細くなったような気もするが、ほとんど色のせいだ。
「いいなあ。安いの使わないがいいよ。」
ああー、とため息をつく彼女。
「だな。パーマじゃないなら毎日コテ?」
おとなしめの、緩やかな柔らかいカールがかかった髪に、目が留まる。
「そ。アイロン。巻いてるの。」
自然なウェーブだが、目を凝らすと、相当な手間がかかっているのに気づいた。
「大変だな。」
「楽しいからいいの。」
さらっと言われた言葉に、女ってすこい、と再確認した。
「ね、従姉妹、ブリとかある?」
「あー、ない。」携帯のカメラで撮っときゃよかった。
少し後悔する。
髪型わかんなきゃ教えようがないよな。
「髪どのくらい?」
「腰より長いかな。」
このくらい、と手で示す。
ストパーかけたら膝まで届くかもしれない。
「長いねー。」
そんな長いのはやっぱりみんな見たことないよな。
彼女は目を丸くする。
「切りたくないって言うんだよな。」
朝にだだをこねていたのを思い出した。
まさかあんなに拒否されるとは。
担任が入ってきた。
立ち話をしていた生徒たちも、散り散りに席に着く。
「分かった。いろいろ教えたげる。」
「うい、まかせた。」始まったホームルームに憚って、小声の早口で言葉を交わす。
よかった、ひいなが喜ぶぞ。
再び対面したおだんごを、少女の後ろ姿に重ねてみる。
思わず笑みがこぼれた。
春休みに登校日があるなんて。
聞けば、他の学校で行われている、課外授業の代わりだという。
進学科では、二日ほど実施されているらしいが。
幼育は、一時限、教室で話でもしてればすぐに解散だ。
俺は白峰の騒がしい友達と話していた。
髪のことは女に聞け、だ。
きっとこんなことでも無ければ、郁代たちんとこに遊びに行ってただろう。
クラスの男たちは隅っこで静かにPSPしてるし。
互いの自己紹介もそこそこに、踏み入った話になる。
話し好きな女はいつもこうだ。
「えー、四歳?」
がっつりメイクをした黒髪美人は、椎宮葵。
睫の先から目の際まで抜かりない。
「一緒に住んでるの?」
対照的に、ナチュラルメイクな女の子、武藤ちせ。
前髪をルーズに編み込んで、おでこを出しているのが、よけい幼さを引き立てている。
「かわいー。ひいなちゃんかあ。」
椎宮よりは、やや薄いメイクの吉川由利恵。
彼女はかなり明るい金髪だ。
「涼って意外と優しいね。」
笠原紗里は大人っぽい印象を受けていたが、話すとだいぶ違っていた。「はあ?俺超優しいし。」
「はいはい。」
笠原が笑う。
「うん、でもあたし、お兄ちゃん欲しかったなあ。」
武藤が頬杖をつく。
「上いないの?」
「一人っ子だよ。」
はずれー、と彼女は笑う。
「へえ、意外。」
彼女は甘え上手というか、なんとなく周りがしっかりしなくては、という雰囲気になる子だ。
「ねー、あたしも絶対末っ子だって思ったもん。」
吉川が金髪を揺らして同意する。
「吉川は一番下だな。」
彼女の性格から見当をつけた。
「うちの兄ちゃん知ってんしょ。こわいよー。」
笑うでもなく彼女は言う。
吉川兄と言えばこの学校の出身だ。
今は真面目に働いているとの噂だが、一時期かなりやんちゃを働いて、警察にお世話になっていたらしい。俺たちの間では伝説級の有名人である。
「由利恵のお兄ちゃんたち、めちゃ甘じゃん。」
武藤が軽い調子で口を挟む。
どうやら、武藤と吉川は、この中でも、かなり近しい仲らしい。
「そーでもないって。兄ちゃんもたつ兄もお姉もまじこわい。」
吉川が顔をしかめる。
どうやら本当に苦手らしい。
「うち、うちはねえ、」
「うん、椎宮さんは黙ってようか。」
吉川がちゃちゃをいれる。
「はあ?ちょっと聞いてって。」
椎宮が盛られた睫をぱちぱちさせて訴えた。
睫で、真ん中分けの長い前髪が揺れる。
「一番上で妹が2人。何回も聞いたって。」
笠原が冷たく言った。
「お、妹組だ。」似たような境遇の仲間を見つけ、安心する。
「ねー、涼くんといっしょ。」
いえー、とハイタッチが交わされた。
「紗里もじゃん、はい、いえー。」
椎宮がハイタッチに笠原を誘う。
「涼ならいいよ。椎宮、あんたはやだ。」
「ひどいー。てか名字やめてよ!」
「やだ。」
クールに断る笠原。
片手にタバコでも持ってそうな、ハードボイルドである。
だがしかし、彼女の右手は、強く巻かれた長い髪を整えている。
「何人兄弟?」
「四人だよ。姉貴、兄貴、それから妹。」彼女は俺の問いに愛想良く答える。
「由真はねえ、まだ七つなんだよ。」かわいいんだよー、と椎宮が言う。
たまらないといった表情だ。
「由真アイツ、最近反抗期なんだよ。可愛くねー。」
姉はやや不満そうだ。
「…なあ、白峰は?」
さっきから気になっていたが、彼女はいつ消えたのか。
俺たちを引き合わせて、それから見ていない気がする。
「きょうちゃん?」
「服デの子呼びに行ってるよ。」
服飾デザイン?
何でまた。
「あとマチコちゃん。」
「そうそ、マチコちゃん。」マチコちゃん、という言葉に含みを感じた。
くすくす笑いあっている。暗号?
女は身内にしか分からない、謎めいた問いかけが好きだ。
その類だろうか。マチコちゃん、その存在は、お喋りな口が揃って、教室の隅へと流していった。
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