4 「まずは金、次にアイテム、あとは効率の良いレベル上げ」
その日、桜井有里沙は吉川邸に泊まっていった。どういうわけだか一緒に風呂に入って、一緒のベッドに寝る流れになってしまい、美琴は緊張しっぱなしだったが、有里沙にいわせると、「パーティー組むんだから、信頼関係を築いておかなくちゃね」ということらしい。
有里沙の背中に入れ墨でも入っていたらどうしようと、なかば本気で思っていた美琴だったが、思い過ごしであったことについては心底ほっとしていた。偉大な先輩に、そんなことは決していえないが。
翌日、午前七時。
いつものように鳴り響いた電子音を止めたのは、いつもの低血圧な手ではなく、実に目覚めの良い鋭い手套だった。
「なんで鳴るの!」
ただし、快適に目覚めたというよりは、怒りによって一気に覚醒した、といったほうが正しい。
桜井有里沙は、寝起きでもまったく乱れない長い金髪を踊らせながら、床にたたきつけられた時計を憤然と拾い上げ、それこそ親の仇のように思い切り、スイッチをオフにする。ここでやっと目を開けた美琴は、その後ろ姿に、なぜ外国のひとが家にいるんだろう、とぼんやり思ってしまった。それほどに見事な金髪だった。
「……その髪、地毛ですか?」
なので、寝起きの呆けたテンションも手伝って、ふつうなら恐れ多くて聞けないような質問が口から出た。有里沙は、不機嫌丸出しの顔で、ぎろりと振り返る。
「そんなわけないでしょ、抜いてんの。ちょっと気を抜けばプリンだから、こまめに美容院に通ってるの。そんなことより、なんで時計鳴るの、まさか起きる気なの?」
「ああ、そうなんですか……綺麗な髪ですよね……」
ベッドの上で、ほんわかと微笑む。それから、後半部分について考えた。
「……起きないんですか?」
「起きないわよ! っていうか起きなさい!」
低血圧なローペースにいらいらして、完全に矛盾したことを叫ぶ。それから、有里沙は盛大にため息をついた。美琴の目蓋が、ゆっくりと閉じていくのを確認したからだ。
美琴も有里沙も、タイプは違えど、立派に寝起きが悪い。それを自覚して、有里沙は平静になろうと努める。そうだ、大変な目に遭ったのだから、この子が眠れているだけで安堵するべきだ──
「……ああ、起きなきゃ」
有里沙が落ち着いたころには、美琴も覚醒しようとしていた。のそのそと起きあがる。タオルケットがずり落ちたが、頓着せずにそのままベッドから降りて、大きく伸びをした。呆れたような有里沙と目が合う。
「おはようございます、有里沙先輩」
「……おはよう。ねえ、まさか学校に行く気なの?」
ゆっくり首を傾けて、美琴は有里沙のうしろの、勉強机の斜め上に貼ってある、味気ないカレンダーを見上げた。勘違いはしていない。今日は平日だ。
「行かないんですか?」
きょとん、と尋ねる。
「なにしに行くの?」
「なにしに、っていわれると……。勉強しに、というか、なんというか」
「……勉強しに?」
それが不思議というよりは、確認するように、静かにくり返す。美琴はやっと、昨日なにがあったのかを思い出した。思い出してしまってからは、寝起きだからといって、なぜ忘れていられたのか不思議だった。色彩も、匂いも、これほど鮮明に思い出せるのに。
「いまの美琴ちゃんにとって、学校は無意味でしょ。もちろんあたしにとってもね。むしろ、行かないほうがいい」
そうかもしれない──美琴は、神妙な面持ちで、黙ってしまった。気づいた有里沙が、美琴の顔面に枕を投げつける。もちろん、ごく軽く。
「もう、だからほんとなら、ゆっくり寝られるはずだったのに! 仕方ないから、ホストも起こして、豪華朝食作らせて、食べたら出かけようか。このあたしのノウハウがあれば、魔王を倒すなんて簡単よ」
単純に嬉しくて、余計なことは考えないように、美琴は笑った。
実際には、田中を起こす必要はなく──田中は普段、リビングのソファベッドで勝手に寝起きしている──、階下に降りると朝食の香りが漂っていた。いつもの黒スーツに、どこから持ち出したのか、白レースのエプロンをはためかせ、上機嫌にミックスジュースすら作っている。この家にミキサーなんてものがあったことを、美琴は初めて知った。もしかしたら、それすらどこかで調達してきたのかもしれない。
「おはよう、ミコトくん、アリサくん。あれ、今日は制服じゃないんだね」
ひらひらエプロンについて言及しようとしていた二人は、逆に問われ、タイミングを逃してしまう。美琴はカーキ色のシャツに膝丈のジーンズ、有里沙はというと、好みの服がないとぶつくさ不平をたれていたが、ぎりぎり及第点だったらしいデニムのワンピースを着込んでいた。美琴が着ればごくふつうのワンピースだが、有里沙のほうが背が高く、出るところが出ているため、ずいぶん身体のラインが強調されている。しかも、超がつくミニスカートだ。有里沙には、むしろそこがお気に召したようだったが。
「あんた、美琴ちゃんにやっかいごと持ち込んだ張本人なんだから、もうちょっとレシピ考えたら? なんで朝からパスタ?」
有里沙は、食卓の上の皿を見て、げんなりと首を振った。朝ということが配慮されているのか、サラダ風のパスタのようだ。トマトやキュウリやシーチキンが乗っかっている。
昨日の朝食がマカロニサラダだったことを思い出し、美琴ははっとした。まさか、この男、パスタ料理しか作れないのでは。
「パスタいいじゃん、おしゃれで。ニンジンとオレンジとバナナのミックスジュースもどうぞ」
出されたゲル状のものも、どことなく胡散臭い。
いろいろと、いいたいことがなくはなかったが、朝からしっかりとしたものが食べられるのはありがたいことなので、二人はおとなしく食卓についた。田中も座り、いただきますと唱和。
「学校、行かないことにするんだね。懸命だね。いつまで行くのかなと思ってたから。やっと、魔王を倒す気になってくれた?」
くるくると、慣れた様子でパスタをフォークにまきつける田中を、美琴はじっとりと見た。そういうことは、早くいってもらいたい。
「田中さんがそういうふうだから、現実味がなかったんです。少し、後悔してます。どうせ逃げられないんなら、ちゃんと向き合っとくんだった」
本当は、何度もモンスターを目の当たりにしておいて、現実味がないもなにもないのだが、やはり言葉にすると、そういうことになるような気がした。
「美琴ちゃんは悪くないわ。悪いのはぜんぶこのホストでしょ。だいたいなんで美琴ちゃんなの。こんないたいけな女の子つかまえて、無理難題押しつけて、それどころか家に住み着いて。なんなのあんた、変態なの?」
「容赦ないなあ……。それと、気になってたんだけど、僕はホストじゃないよ」
「知ってるわ。親しみを込めたニックネームよ」
田中と有里沙は、決定的に相容れないものがあるようだ。有里沙のほうが一方的に嫌っている感はある。
「昨日も思ったけど、料理の腕もイマイチ」
ここまでくるともはやイチャモンだったが、美琴にしても助け船を出すいわれはないので、黙って傍観者を決め込んだ。田中は思いのほかショックだったようで、どんよりと肩を落としている。
二人のバトルが一段落したようだったので、美琴は昨夜から考えていた疑問を口にした。
「田中さん、わたしが魔王っていうのを倒さなくてはいけないのは、わかりました。わかったんですが……これには、明確な期限はあるんですか?」
田中が顔を上げ、有里沙もこちらを見た。
「なるほど、そうね。TSは時間の概念は基本的に無視してるシステムだけど、現実と混ざってるならそうもいかないか」
「明確な、期限、ねぇ」
田中は、なにがおもしろいのか、うっすらと目を細める。
「その質問なら、答えはノーだね。ただ、わかってると思うけど、人間がみんなモンスターにやられちゃってから魔王を倒したって、しょうがないとは思うけどね」
「でも、魔王さえ倒せば、なかったことになるんですよね?」
田中は片眉を上げた。なるほど、とつぶやいて、パスタを一口放り込む。飲み下すまでの、少しの間。
「そういう切り口はちょっと予想してなかったな。実際のゲームでは、主人公がやられたらゲームオーバーだけど、これを現実に当てはめると、どういう状況がゲームオーバーになると思う?」
「主人公がやられてゲームオーバーなのは──敵に対抗しうるものがいなくなって、敵サイドのやりたい放題になるから? 目的にもよるけど、世界が滅ぼされたり、敵の手中に落ちたり」
代わりに、有里沙が答える。そうだね、と田中はうなずいた。
「だからこれは、今回の魔王の目的にも関わってくることだから、一概にはいえないんだ。ただ、世界そのもののダメージが一定値を超えた段階で、ゲームオーバーと判断される場合があることは、覚えといたほうがいいね。ちなみに、ゲームオーバーっていうのは、こっちの世界が向こうの世界に負けたっていう意味合いになるから……最悪の場合、こっちの世界は取り込まれて、消える。そこに暮らす人間ごと、まるっとね」
「……早いにこしたことはないってことですね」
小難しいことはよくわからないが、そういうことなのだろう。たとえば、オセロなら最終的に数の多いほうが勝ち、将棋なら王をとったほうが勝ち──ゲームによって勝利条件が違うということは、なんとなく、美琴にもわかる気がする。
「あたしも、聞きたいことがあるわ。このリアルゲームには、セーブとロードはあるの?」
田中は笑った。
「あってどうするの。あったとしても、さっきはああだったから今度はこうしよう、ってことはできないよ。ロード前の記憶が反映されずに、なかったことになる。要するに、ロードしたところで同じことをくり返すだけだね」
「そんなことはないわ。ロードするごとにサイコロを転がしたら、目は違うはずでしょ」
試すような有里沙の言葉に、田中は表情を変えずに黙ってしまった。自分たちの意志によって進む物事は変わらなくても、単純に確率によるものは変わるのではないかと、そういっているのだ。
有里沙にとって、これは重要な事項だった。その緊張が伝わり、美琴も息を飲んで返事を待つ。
「……できない」
固い声で、田中は答える。有里沙は片眉を上げた。
「あるのか、ないのか──を、聞いたんだけど」
「できないよ。君らの意志じゃね」
一歩も譲らないという姿勢だったが、有里沙も引き下がる様子はなかった。美琴も、田中の曖昧な表現に疑問を覚える。できないといいたいなら、「ない」といってしまえばすむ問題なのに、なぜあえてそういう答えになるのだろう。
「……つまり、田中さんの意志ならできるということですか?」
そう思った、というよりは、思いつきに近い問いを口にする。田中は頭を押さえ、困ったように目を伏せた。
「いいかたを変えよう。サイコロの目は変わるといったけどね、アリサくん。世界中の、すべての事象がなにひとつ変わらない状態でサイコロを振ったとして、サイコロの目だけが、本当に変わると思うかい。他からなんらかの作用がない限り、いくらやり直してもくり返すだけだ。確かに、サイコロだけで考えるなら、それぞれの目が出る確率は六分の一だけど、サイコロを持つ人間の手、転がる地面の状態、そのときの空気の流れ──ぜんぶが一緒なら、目は同じだよ」
「……わかったわ」
有里沙は、ふいと田中から目をそらした。
「基本的にあんたは役に立たないってことね」
「アリサくん、僕のことキライでしょ」
「好かれてるとでも思ってたの?」
ぴしりと返されて、田中は背中を丸めて落ち込み始める。どこか他人事のようにそのやりとりを眺め、美琴は、いまのやりとりを、もう一度頭のなかでくり返していた。
──なにか、変だ。
漠然と、そう思った。すっきりしない。いまの回りくどい説明は、なんだったのだろう。
「そんな顔しないでも、大丈夫よ」
有里沙に声をかけられ、初めて自分が眉間に皺を寄せていたことに気づく。有里沙は美琴の頭に手を乗せると、くしゃくしゃと撫で回した。
「あれば楽だと思ったけど──ないならないで、やりようがあるわ。あたしのゲーマーとしての知識と経験、フル活用して、ちゃっちゃとクリアしちゃいましょう。ごはん食べたらもうひとり、仲間を増やしに行くわよ」
「仲間?」
突拍子もない申し出に、美琴は甲高い声で聞き返してしまった。そもそも、仲間、という単語に慣れない。
「そう、仲間。TSでは、仲間にできるキャラクターは百人、けど一回のプレイでパーティーに加えられる人数はたった二人なの。ちゃんと百人分、ストーリーにからんだイベントが用意されているところが、このゲーム大ヒットの大きな要因ね。完全にやり尽くすには、どれだけかかるか……っと、話が逸れたわね、ごめんごめん」
コホン、ともったいぶるように咳払いをして、有里沙は続けた。
「美琴ちゃんが勇者で、主人公。あと二人の仲間は──そこのホストは役に立ってくれそうにないから除外として──あたしと、もうひとり。いい人材がいるから、まかせといて」
展開についていけず、ぱちぱちと目を瞬かせる美琴に、有里沙はウィンクしてみせた。
*
男の拳が眉間にめり込み、見るからにちんぴらふうの柄シャツの男がふっとんだ。数メートル先の地面に背中を打ちつけ、ぐえ、と呻いて気を失う。
拳を繰り出したほうの男は、背もそれほど高くはなく、格闘技の選手のようにがっちりした体格でもなかった。まだ、少年といっていい年齢だろう。富北沢高校の制服である灰色のブレザーに身を包み、小脇に学生鞄を抱えている姿は、むしろ暴力とはほど遠い人種に見える。髪も染めているわけではなく、黒々としており、どこにでもいるような短髪だ。ちんぴらを殴り飛ばした現場を目撃していても、一度瞬きをしてしまえば、先ほど見た情景のほうを疑いそうだ。とはいえ、その目は鋭く、いかにも不機嫌ではあった。
舞台は、鉄橋の下の河川敷。
富北沢近辺で、ケンカといえばここだ。
「生意気な……! よくも舎弟たちをやってくれたな! てめえら、たたんじまえ!」
アフロに柄シャツの男が叫び、高校生ひとりを囲んでいたちんぴら数人が、おー、と吠えながらそれぞれの得物を手に突っ込んでくる。慌てず騒がず、輪の中心にいた少年は、学生鞄を地面に置いた。両の拳を握り、腰を落として、構える。
あっという間だった。
彼は、自分から殴りにいくようなことはしなかった。がつがついくより、待っているほうが効率が良いからだ。振り下ろされる得物を掴み、かるくいなしてカウンターパンチ。いまだと後ろから飛んでくる蹴りをガードして、手に入れた得物で突く──そうして、瞬く間に、ひとり、またひとりと、地面に沈めていった。
最後に残った、一番偉そうなアフロが、くそう、といいながらナイフを取り出した。少年は、両手をぶらぶらと振って、つまらなそうに、アフロを見た。
「やめといたら?」
さらりと一言。強さに傲っている様子では決してない。
「覚えてろ!」
アフロは、やめておくことにしたようだった。情けなくも、何度かつまずきながら、草に覆われた坂を登っていく。そうして、そのまま走り去った。
少年は嘆息した。彼はこういったことに慣れてはいたが、好きなわけではなかった。一度ケンカをして、しかも勝ってしまえば、やっかいごとは勝手に舞い込むようになるものだ。首をひねりながら学生鞄を拾いあげ、自分を中心にぐったり倒れている男たちをまたぎ、自分もまた坂を登ろうとする。
よいしょ、と最初の一歩を傾斜に乗せたとき、ぞわりと悪寒が走った。背後に、なにかの気配。
彼が振り返ったのと、川から黄土色の蛇のようなものが飛び出してきたのは、まったく同時だった。蛇のような、といっても、車二台を連ねたほどの大きさがある。黄土色のぬめついた皮膚を光らせながら、それは地面を這うようにして一直線に少年に襲いかかった。
「気持ち悪ぃんだよ!」
少年は叫び、右足でたたき落とすように蹴りつけた。力が拮抗したような数秒の競り合いの後、彼の気合いの一声とともに、力負けした蛇まがいのものがのけぞるように倒れる。
彼は、油断しなかった。ポケットから素早くナイフを取り出し、蛇の眉間に突き立てた。
悲鳴もなく、傷口から闇が広がり、あっという間にそれは消えてなくなった。確かにそこにいたことを示すように、ぼと、っと緑色の石が落ちる。
「……ついてねえな」
ぼやき、石を拾おうと腰を曲げる。そのとき、胸ポケットに押し込んである生徒手帳から、軽快な音が鳴った。なにが起こったのか、見なくてもわかる。
「良太郎、あんたまたレベル上がったの? ほんと無敵ね」
鉄橋の上から、よく通る高い声がかけられて、少年は、あからさまに顔をしかめた。
「……姉貴」
桜井良太郎、高校一年生。
彼こそが、有里沙の優秀な弟であり、彼女のいう「いい人材」であった。
「……その話を、信じろって?」
姉から、どういう事態なのか説明を受けている間、ずっと苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた桜井良太郎は、聞き終わって開口一番、そう吐き捨てた。一応、疑問の形になってはいるが、信じられるわけねーだろばーかというニュアンスが存分に含まれている。
美琴と有里沙、連れてこられた良太郎と、それから田中は、地下鉄に乗って矢那呉の中心街まで来ていた。目的地があるらしく、有里沙がずかずかと先頭を進む。
「別に、信じなくてもいいわ。でも協力して」
振り返りもせず、有里沙は弟に命ずる。良太郎は返事をしなかったが、どうやらこの姉弟間で、弟が姉に逆らうという構図は存在しないようだ。良太郎は憮然としているものの、それでも姉の隣を歩いている。
姉弟から二メートルほど遅れて歩きながら、美琴は妙に似ている姉弟の後ろ姿を見ていた。良太郎は、有里沙のように髪を金に染めているわけではないのに、やはりどこか凄味があるのだ。美琴が最初に見たのがケンカしている場面──しかも良太郎の圧勝──だったので、その影響も大きいが。正直、ちょっと怖い。
会うなり有里沙が問答無用で良太郎を連行し、状況説明に入ってしまったので、美琴はまだ一言も彼と口を聞いていなかった。一応、巻き込んでしまう側として、なにかをいわなくてはという気持ちはあるのだが、タイミングがつかめない。
「つーかさ、姉貴の話だと、悪いのぜんぶこの田中ってひとだろ。あんた、なんでいいなりになってんだよ」
急に振り返ってきたので、ばっちりと目が合ってしまった。美琴は、蛇に睨まれた蛙になった気分で、びくりと縮こまる。
「……なに、その反応」
彼にしてみれば、わけがわからないようだ。気分を害した様子もなく、単に不思議そうに、眉間に皺を寄せる。
「あんたねえ、美琴ちゃんはふつーのかよわいイタイケな女の子なんだから、もうちょっとソフトに扱いなさいよ。割れ物だと思いなさい、割れ物。割れ物注意よ」
「割れ物……」
美琴は呻いた。なにか、自己主張しなくては、ガラス製品かなにかになってしまう。
「あの……自己紹介が遅れましたが、吉川美琴といいます。富北沢中学の三年です。こ、このたびは、巻き込んでしまうかたちになりまして……」
うまく舌が回らない。良太郎は、まだなにやら続けようとしている美琴を遮った。
「そういうのはいいからさ、吉川はなんでいいなりになってんの。悔しくねーの? この田中ってのに、ガツンといってやれば? ゲーマーな姉貴みたいに、お祭り気分で乗り気になってるわけでもねーんだろ」
そのいいかたには、決してトゲはなく、彼は単純にそう思っているようだった。美琴は、ぐっとお腹に力を入れ、良太郎の目を見た。
「悔しい思いは、もう、しました。これ以上、後悔しないように……できることを、やることにしたんです」
良太郎と有里沙と、田中までもが、意外そうな目で美琴を見た。
「……ふうん。じゃ、協力するわ。ヒマだし」
良太郎は、ついと目を逸らす。その後頭部を、有里沙が思いきりはたいた。
「ていうか、あたしがお祭り気分ってどういうことよ。すごい心外なんだけど」
「ってーな! 姉貴は確実にお祭り気分だろ! いま聞いたことがホントだろうがウソだろうが、そういうイベントごとに乗っかるのは大好物だろーがよ」
有里沙は、大きく息を吸い込み、はっ、と気合いの一声を発すると、良太郎のみぞおちに拳をぶちこんだ。素人の拳だが、良太郎は腰を折って呻く。
「いてぇ……なんか握ってんな、それ……」
「鉛玉。か弱い乙女の知恵ね。確かにこういう状況は大好物だけど、あたし、本気なの。あんたもそのつもりでかかんなさい」
ものすごい姉弟愛だ──美琴はひそかに戦慄した。
「仲が良いねえ」
田中の感想には相変わらずやる気がない。
「それで、有里沙先輩──いま、わたしたち、どこに向かっているんですか? 平日ですし、あんまり堂々と歩くのもどうかと」
すでに堂々と大通りを歩いていたが、美琴が控えめにもの申す。私服の二人はともかく、良太郎は制服姿だ。
「そんなの、どうとでもなるわよ。……そうね、でもちょっと、良太郎の制服だけは目立つかもね」
そうつぶやいて、有里沙はいきなり右手にあった百貨店に入っていった。あまりに突然の行動だったので、三人は入り口前で立ち止まる。ついて行くべきなのか、待っているべきなのか。
「……有里沙先輩?」
つぶやくが、声が届くはずもない。意識していなかったが、見上げると、右手にずっと続いていたショーウィンドウは、ずべて同じ百貨店のものだったようだ。そういえば、リニューアルオープンがどうのと、テレビでやっていた気がする。
ガラスの向こうには、化粧品売り場が展開されていたが、そこには有里沙の姿は見えない。どうしたものかと、良太郎に目をやると、彼はガラスにもたれかかっていた。待つつもりのようだ。
「アリサくんは頼りになるねえ。お姉さんはいつもあんな感じ?」
田中の問いに、良太郎は眉を寄せて不機嫌な視線を返した。
「頼りになるっつーか、鉄砲玉だな。思いつきだけで行動するタイプ」
「リョウタロくんは……」
いおうかどうしようか、迷うような間を挟み、田中はちょっと小首をかしげた。
「もしかして、僕になにか、怒ってる?」
「別に。あんたみたいな胡散臭いのと、仲良くやる理由もねーし」
その様子に、美琴はハラハラしたが、とはいえ仲良くしてくださいという場面でもないような気がした。田中が胡散臭いのも、仲良くする理由がないのも本当だ。むしろ、自分がすんなり馴染みすぎてしまっていたのだ。良太郎の反応のほうが正しいのだろう。
居心地の悪い沈黙が数分間続き、やっと有里沙が戻ってきた。手には、美琴でも見たことのあるブランドのロゴが入った大きな紙袋がひとつ。
「はい、良太郎。買ってきたからトイレかどっかで着替えてきて」
どうやら、さくっと衣類一式を揃えてしまったらしい。良太郎も、さほど驚いた様子もなく、紙袋を受け取って百貨店に入っていった。
もしかして、と美琴は思った。
「……お金持ちなんですか?」
ずいぶんとぶしつけな質問だったが、有里沙はあっさりと頷く。
「うん、かなり」
美琴は何だか切なくなって目を逸らし、田中は「いやあ、頼りになるなあ」と感想をくり返した。
「まずは金、次にアイテム、あとは効率の良いレベル上げ──RPGを確実にクリアするなら、これしかないわ」
あたしにクリアできないゲームはない、そういい切った有里沙は、ゲームクリアのポイントを、きっぱりと簡潔に宣言した。
「まずは、お金、ですか……」
美琴は、目の前にそびえる建物を見上げた。
キラキラと電飾が輝く、目新しいその建物の頂上に、『カジノ』と三文字がきらめいている。その三文字がなければ、見た目は大きなパチンコ屋だ。ただし、ガラス部分以外は、赤と黄色という大変目に引くカラーリングなので、パチンコ屋にしては浮いているかもしれない。入り口付近に、所狭しと花飾りが並べられているところをみると、オープンしたばかりのようだ。
「カジノって……」
思わず呻く。日本でカジノ。美琴にとってはものすごい違和感だ。
「RPGのお金儲けは、まあいろいろあるけど、ドカンと稼ぎたいならやっぱりこれね。美琴ちゃんとそこのホストの話を聞いてから、あたしもいまのこの現実を、客観的に見られるようになってきたの。ノウハウを丸ごと使えるわ」
それまでは、こんなこと思いつきもしなかったけどね──そう続けて、有里沙は実に悪そうに笑った。ニヤリというより、ニタリに近い。
その様子に、頼もしさと不安とを半々に感じながら、美琴はふと考えた。この大きなカジノができる前は──世界が融合する前は──この場所に、いったいなにがあったのだろう。カジノなわけがない。やはり、パチンコ屋だろうか。
「……思い出せない……」
駅前の、目立つ場所なのに、どうしても思い出せなかった。
「ゲームのカジノはね、行く前にセーブしておいて、稼ぎが出たらまたセーブ、損したらロードの繰り返しで根気よくがんばれば、だれでも儲けが出るわ。でもそれはできないみたいだから──ついてきて」
得意げに説明して、有里沙は再び歩き出した。
「え、入るんじゃねーの?」
シャツにジーンズという軽快な服装に着替えた良太郎が、実に残念そうな声を上げたところを見ると、カジノに高校生が入るということ自体は、いまの世界にとっては普通のことのようだ。パチンコとかはどうなんだろうと、美琴はぼんやり思う。とはいえ、その手の疑問はいいだしたらきりがない。
カジノの前を通り過ぎて、有里沙はどんどん裏路地に入っていった。良太郎、美琴、田中と、黙って続く。表通りは賑やかだったが、奥に入っていけばいくほど静かになっていく様子は、不気味でもあった。駐車車両が異様に多く、いかがわしい店も増えていく。
「……ちょっと、怖いかも」
思わずつぶやく。昼間なのに、なぜか暗い。閉まっている店が多いからだろうか。
「ミコトくんは恐がりだねえ」
田中がからかうようなことをいいながら、美琴の隣に並ぶ。もしかして優しさだろうかと一瞬考えて、すぐに否定した。そんな男ではない。
「そのへん歩いてるやつらと目ぇ合わせないほうがいいぞ」
「あ、合わせたら、どうなるんですか」
「やってみるか?」
良太郎の口調には、からかいの色は皆無なだけに、余計怖い。いいです、と美琴は遠慮した。裏の世界のことは、知らなくていいなら知りたくない。
「つーいた。さ、こっから、あたしのいうとおりにしてね」
有里沙が立ち止まったのは、ひどく細長い、木造の建物の前だった。ビルとビルの隙間にむりやり建てたような小ささだ。三人横に並んだらもう入れないような幅しかないのに、見上げると高さだけはある。三、四階はありそうだ。
「マジックショップ……」
出入り口の上の、文字を読み上げる。世界が融合してから、あちこちで見るようになった。美琴の持つタリスマンやアミュレット、それに冷気の生まれる扇子も、ここではないが、どれもマジックショップで購入したものだ。美琴の認識では、『ティピカルサーガ』の世界のものが売っている店、ということになる。
「あ、知ってる。レアショップだろ、ここ。噂で聞いた」
良太郎がの言葉に、有里沙は満足げに頷いた。
「レアショップってなんですか?」
「ふつうの店では手に入らない高価なものとか、貴重なものが売っている店のことだね。アリサくん、入れるの?」
美琴には、田中の問いの意味はわからなかったが、良太郎にはぴんときたようだった。
「レアショップに入るには、暗号がいるんだろ」
「暗号……お店に入るのに?」
もうなにを聞いても驚くまいと思っていたのに、このあたりの微妙な融合具合にいまだに慣れない。
有里沙は、肩を揺らして笑った。まるっきり悪役笑いだ。もったいぶるようにして、携帯電話を取り出す。
「調べておいたわ」
じゃーん、と効果音でも聞こえてきそうなアクションで、印籠のように掲げた。
「ネット社会、バンザイ!」
「インターネットで調べられるんですか?」
「トーゼンでしょ。世の中どれだけヒマ人がいると思ってるの」
素早い指の動きで、ボタンを押し始める。美琴は気になって、横からのぞき込んだ。メモ機能に登録してあったようだ。
「世界が融合してるってのは、こういうとこ便利だねえ」
ゆるいテンションで感心する田中を、有里沙は鼻で笑う。
「融合してなくてもね、ゲームの攻略なんて、発売したその日からネット上に公開されるのよ。ゲームじゃなくても同じ。暗号があれば解読したいひとがいて、解読したら公開したいひとがいるの。そーいうもんよ」
「姉貴は公開する側だよな。ヒマ人だから」
有里沙は無言で弟の頭をはたき、急に声をひそめた。
「こんばんは、良いお天気ですね、明日の朝食はカキフライ?」
美琴は言葉を失ったが、良太郎と田中は、それがなんなのかすぐに理解したようだった。
「変な暗号」
「ユーモアに満ちてるね」
微妙に食い違った男性陣の感想に、はっとする。美琴は、間違いなく良太郎の感想に一票だ。
「いまから、ひとりずつ、暗号をいって店内に入る。買ってくるのは、『ラックキャンディー』。とりあえず、あたしがお金を立て替えるわ」
そういって、有里沙は無造作に三人に金を渡した。一万円札だ。ぱっと数えられないほどの枚数に、美琴は恐れおののく。
「そ、そんなに高いんですか?」
「高い。でもちゃんと元は取るから気にしないで。──いい? 『ラックキャンディー』を買ったら出てきて、一度さっきのカジノのあたりまで戻って、またここまで来て、店に入って同じものを買う。これを……そうね、手持ちの問題もあるから、ひとり三回。それで十二個手に入るわね。充分でしょ」
「それ、僕もやるの?」
「アタリマエでしょ」
美琴はわけがわからずに、有里沙と札束とを交互に見る。美琴にとっては意外なことに、それは良太郎も同じだったようだ。
「なんでそんなめんどくせーことするんだよ」
「これがTSだからよ」
有里沙は肩をすくめた。
「TSの世界では、マジックショップでレアアイテムを買うと、三フィールド画面を動かさないと、同じレアアイテムは入荷されないの。まあ、買うひとが違えば多分それは適応されないわ。カジノまで戻れば充分三フィールドだろうから、アイテムを復活させて買うってことよ。ゲームでは、キャンディー系のレアアイテムは一度に一つしか使えないけど、これは現実なんだから、食べちゃえばいいはずだわ。『使えません』なんて表示、出ようがないもの」
「……はあ?」
「…………?」
美琴にも良太郎にも、なにをいっているのかさっぱりだ。わかっているのかいないのか、田中はいつもの顔で突っ立っている。
「わかんないなら考えてもしょうがないから、とにかく指示どおりにして。金儲けへの近道よ」
『ラックキャンディー』は一つ五万円もした。一つ買うと、店員らしい女性に「売り切れです」といわれるのに、有里沙のいうとおりにカジノまで行って戻ってくると、またごくあたりまえに入荷されていた。これが、有里沙のいう「ノウハウ」なのだろう。仕組みはわからなかったが、美琴は素直に有里沙を尊敬した。すごい。
四人で合計六十万円を使い、手に入ったのはラックキャンディー十二個。それからぞろぞろとカジノまで戻り、有里沙はひとりでキャンディー十二個を一気にほおばった。
「ひふわよ」
行くわよ、といったらしかった。かわいそうなぐらい口がもごもごなのに、妙にかっこよく見える。彼女がずかずかとカジノへ入って行くので、美琴たちも続く。
店内は、大型のゲームセンターのような様相だった。とはいえ、ユーフォーキャッチャーの類があるはずもなく、入り口付近にはまずスロットマシーンが並んでいる。中央にカウンターがあり、その奥にはテーブルがいくつか見えた。カードゲームとルーレット、その向こうでは競馬マシーンのようなものもある。
有里沙はカウンターへ直行し、無言で金を差し出した。
「四十万円お預かり致します。こちら、メダル四百枚でございます」
赤いシャツに黒い蝶ネクタイの男性店員が、にこやかにバケツの入ったメダルを手渡す。
「……四十万……」
「お金持ちはやること大きいねえ」
美琴と田中はそろって感心するが、良太郎にはたいした感慨はないようだった。美琴と同じ世界の人間のはずなのに、ある意味では確実に違う世界のひとたちなのだと、美琴は痛感する。先ほどのキャンディー代と合わせると、百万円だ。
有里沙はバケツを受け取り、カードゲームのテーブルへと向かった。迷わずメダル全部をつぎ込み、ゲームを開始する。
美琴にはよくわからなかったが、自分と相手がトランプの束を裏返して持ち、順番に一枚ずつ出していって、相手よりも数字が大きければ賭けたメダルが倍、少なければ没収、というゲームらしかった。勝ち続ければ倍々に増えていくが、負けた時点ですべて持っていかれてしまうため、やめどきを見極めるのが重要になってくる。
「すごい……」
「すげえ」
「壮観だね」
テーブルのまわりには、あっという間に人だかりができた。
『ラックキャンディー』──その名のとおり、使用者の運を一時的に良くするアイテム。
有里沙は、一度として負けなかったのだ。
もうそろそろ効力が切れるかな、と有里沙がゲームをやめたころには、メダルはバケツ何個分なのかわからないほどになっていた。有里沙は手慣れた様子で、いくつかのアイテムと交換し、残ったメダルを換金した。それでも、スーツケース三つ分の大金になった。
「わたし、有里沙先輩がいなかったら、絶対にクリアなんてできませんでした……」
休憩ということで近くのファミリーレストランに入り、紅茶を飲んで一息。だんだんと、すごいことをしたのだという実感が湧いてきて、しみじみと美琴はつぶやいた。あっという間に、アイテムやお金を大量に手に入れてしまった。
「この猫バッヂは全員で身につけましょう。モンスターを倒したときの経験値が二倍になるの。こっちの犬バッヂは美琴ちゃんだけでいいわ。倒したときに出てくるストーン、あれも倍になるから」
有里沙は、やたらに可愛らしいバッヂをテーブルに並べた。雑貨屋に売っていそうなデザインだ。五百円玉ぐらいの丸形で、癒し系のイラストが描かれている。
ゲームをしない美琴も、これらのアイテムがウラワザじみたものであるということはわかる。美琴だけでは、思いつきもしなかったワザだ。
「あとは、残ったお金で武器と防具のレベルを上げましょう。それが終わったら、モンスター狩りね」
有里沙は心から楽しそうだ。ゲーマーの血が騒ぐのだろうか。
「この調子だと、あっさり魔王倒せそうだね。ミコトくん、心強い人材が仲間になってくれて良かったね。その運の良さは君の武器だよ」
「本当に、そう思います」
それについてはなんの異論もない。心からうなずく。
「こんなのつけてるだけで、経験値二倍かよ……。俺のいままでの苦労はいったいなんだったんだ……」
「まだ落ちこんでんの? 小さい男はモテないわよ。美琴ちゃんからもなんかいってあげてよ」
猫バッヂの存在を聞いてから、どんよりとした空気を背負ってしまった良太郎に、有里沙が容赦なく冷たい言葉を投げる。なんかいってあげて、といわれても、美琴にはなんと声をかけてあげればいいのかさっぱりわからない。世の中理不尽ですよね、とかいうのも、ちょっと違う気がする。
「あの、良太郎先輩は、レベルいくつなんですか?」
結局、質問になった。
「ああ、教えてもらってないわ、そういえば。いい機会だから、みんなで見せ合いましょ」
ちょうど、それぞれの注文したケーキやらパフェやらが運ばれて来たので、それをテーブルの隅へ押しやって、有里沙は鞄から生徒手帳を取り出した。写真が貼り付けてある最初のページを開いて、中央に置く。
桜井有里沙、と名前が書かれているその隣に、名前よりは大きな文字で、『3』と記されていた。
「え、レベルって、生徒手帳に書いてあるんですか?」
「え、書いてないの? ──ああ、そうか、知らないのね」
目を丸くする美琴に、有里沙が驚いて声をあげるが、すぐに責めるような目で田中を見る。田中はひとりもくもくとフルーツパフェに長いスプーンを突き刺したところだったが、視線に気づき、あれ、とまるで空気を読まない間抜けな声を出した。
「みんな食べないの?」
「……いま初めて、姉貴がいったこと信じようかって気になったわ、俺。俺らにとってはあたりまえのこと、吉川にはあたりまえじゃねーのな」
良太郎のセリフと、テーブルの上の生徒手帳とで、田中は事情を察したようだった。美琴も、説明してもらわずともなんとなくわかったが、それでも隣の田中に視線を送る。少し名残惜しそうに、田中はスプーンから手を離した。
「いってなかったかもねえ。ミコトくん、いま生徒手帳持ってる?」
「制服じゃないから、持ってないです」
セーラー服の胸ポケットに入れっぱなしだ。
「じゃあ、これからはいつも持ち歩いて。融合したいまのこの世界では、レベルっていう概念があるのは、ミコトくんも知ってるね。自分のレベルはどうやったらわかるかっていうと、IDを見ればわかるようになってる。ひとそれぞれだけど、車の免許があれば免許証、学生なら学生証……どれもなければ、保険証かな。モンスターを倒すと、強さに応じて経験値が加算されて、一定値を超えたらレベルが上がっていくんだ。その際、お知らせ音楽が鳴って、IDのレベル表示が自動的に書き換えられる。──まあ、ミコトくんは、レベル一だね」
美琴は妙に感心した。クラスの男子たちが、レベルについて話しているときに、どうやったら自分のレベルがわかるのだろうと、ふと思ったことを思い出した。なかなか合理的にできている。
「俺はレベル一五」
良太郎も、ジーンズのポケットに入れてあったらしい生徒手帳を、無造作にテーブルに置く。レベル一五がすごいのかそうでもないのか、美琴にはよくわからない。
「ホストは?」
「ホストってやめてよ……。僕にはレベルはないよ。この世界の人間じゃないからね。そもそもIDになるようなものがない」
有里沙は、唇をすぼめるようにして、何ごとか考え始めた。
「良太郎でも一五か……。標準クリアレベルはどれぐらいかしら……」
有里沙が黙ってしまうと、このメンバーはいやに静かになる。美琴は所在なげに視線を漂わせ、飲みたいわけでもなかったが紅茶を飲んで、間をつなごうと試みた。ふと視線を感じると、斜め前に座る良太郎が、無遠慮にじっとこちらを見ていた。
「……な、なんでしょう?」
目が合ってしまって、逸らすタイミングも見失う。良太郎は、眉根を寄せて、美琴を凝視している。それから、正面の田中に視線を移した。
「なあ、なんでこいつが、『勇者』? それってあんたが選んだの?」
急に矛先を向けられて、田中は不自然にむせた。
「……考えてもみなかった。田中さんが、選んだんですか? わたしを?」
「うーん、選んだ、わけじゃない……かな。なんで、そんなに不思議?」
田中お得意の、問いを重ねる話術に、美琴は内心むっとする。この男はこうやって、いつの間にか話題を核心からずらしていくのだ。考えてみたら、イエス、ノーで割り切った答えかたをするほうが希な気がする。
「不思議だろ。いまあんた、吉川の生徒手帳を見るまでもなくレベル一っていいきったしさ。強い弱いが関係ねーなら、なんか特別な素質があるとか? どんな逆境にもめげずにガンバル主人公ってガラにも見えねーし」
結構いいたい放題だったが、異を唱えたいわけでもなかったので、美琴も田中の反応を待つ。
田中は、数拍考えて、それからかすかに笑んだ。
「そんなことないよ。ずいぶんうまくいっているほうだ。ミコトくんには、自覚はないかもしれないけど、なかなか真似できない、天性のものがあるからね」
なにかがひっかかった気がして、美琴はそっと眉をひそめた。ときどき、こういう感覚を味わうことがある。パズルのピースが落ちてきたみたいな、妙な感覚。
「──もしもしパパ? あたし。うん、誕生日のプレゼント決めたの。いまいい?」
突然、有里沙の高い声が割り込んできて、三人はそちらを見た。彼女は赤い携帯電話を手にしている。
「あたし、シルバーキャトビが欲しいな。部屋いっぱいに。いいでしょ? ──きゃー、ありがとう! さすがパパ! じゃ、よろしくね。──うん、パパもお仕事がんばって。じゃあねー」
見たことのないような明るい笑顔と、いかにも女子高生なテンションで電話を終えると、有里沙は急に落ち着き払って、ふふんと笑った。
「完璧だわ」
なにが完璧なのか聞く前に、彼女はさっさとケーキを食べ始める。まだ食べてなかったの、といわれてしまったので、美琴と良太郎は釈然としないながらもおやつタイムを満喫した。
自他共に認めるゲーマーである桜井有里沙の頭のなかには、すでに明確なプランがあるようだった。
*
有里沙に導かれるままに、一行は『武器・防具屋』なるところに来ていた。美琴の持っているダガーは、田中からもらったものであるため、彼女が足を踏み入れるのは初めてだ。
駅前のメインストリートにあるそれは、これでもかと様々な色彩を駆使して飾り立てられたショーウインドウのなかで、ぽっかりと浮いたようにそびえていた。イタリアンレストランが建ち並ぶなかに、突然老舗のラーメン屋が混ざってしまったような、そんな違和感を放っているのに、いやに堂々としている。四角く、茶色の建物の上に、大きな赤い三角屋根が乗っかっていて、どちらかというと民家に近い。剣と盾とがデザインされた木製の看板が、出入り口にぶら下がっている。
店内は、冷房の類は一切かかっていないようで、いるだけでじっとりと汗ばむほどに熱気を帯びていた。三段、四段のディスプレイ用の棚に、所狭しと武器が並べられている。だれにでも手が届くところに、平然と武器が置いてあるさまは、美琴にとっては恐ろしくもあったが、いっそ現実味がないような気もした。まるで模型屋のようだ。見ただけでは用途のわからないものも数多く並んでいる。
「武器はね、いいものを持ってるほうが攻撃力が上がるから、奮発するわよ。ジョブもなにもないんだから、好みで選んじゃいましょ」
さらりといって、有里沙はさっさと自分の武器を選び始める。良太郎もこういうところは嫌いではないようで、目を輝かせていた。
「好み、っていわれても……」
美琴は途方に暮れた。武器に好きも嫌いもない。
「なんでもいいんじゃない? 基本的には高いやつほど強いから、値段とデザインで決めちゃえば?」
「簡単にいいますけど……オススメとかないですか? もう、さっぱりなんですが」
こういうときにこそ役に立ってもらわなければいけない。軽い気持ちでいってみたのだが、田中は思いのほか真剣に、店内を見わたした。
「うーん、やっぱり勇者なんだし、ミコトくんには剣かなあ」
「剣っ」
美琴にとってはもっとも敷居の高いところで田中の目が止まり、思わず身震いする。勇者なんだし、などという理由で、持つ武器が決められてしまっていいものなのだろうか。
連れて行かれるままに剣コーナーに移動したが、ぎらぎらと輝く刃に目眩がした。いま美琴が持っているダガーは、包丁とたいして違わないぐらいの大きさしかないが、目の前にずらりと並ぶのは、それとは比較にならないぐらい大きいものばかりなのだ。
値段とデザインで、といわれたので、高そうなものを見ていく。やたら大きな剣は到底扱える気にならず、少しずつランクを下げていくと、あまり大きくはない曲刀が目にとまった。日本刀に似ているかもしれないが、日本刀よりも刃の幅が広く、反っているように見える。
『シャムシール』とネームプレートがついていた。聞いたこともないが、なんとなく猫の種類みたいで、かわいいかもしれない。
「シャムシールにするの、美琴ちゃん?」
めざとく現れた有里沙は、早くも決めたようで、五十センチほどの木の棒を持っていた。先端に紫色の球体がついており、接合部に金属で装飾が施されている。
「有里沙先輩は、どうしたんですか?」
「あたし? あたしは、やるならウィッチだから、ロッドにするわ。ワンドと迷ったけど、こっちのほうがカワイイし」
「…………そうですか」
わからない単語が三つも出てきたので、美琴は理解を諦めた。それが、『ティピカルサーガ』の常識なのか、ゲーマーの常識なのかはよくわからなかったが、どちらにしろ美琴には遠い世界だ。
「良太郎先輩も、決めたんでしょうか」
棚を三つほど隔てた向こう側に、後ろ姿が見える。さあねえ、と有里沙はやる気のない答えを返してきた。
「あの子は拳で語り合うだろうから、ナックルでも買うんじゃない? トドメ用に、もともとクリスナイフを持ってるみたいだから、それはそのまま使うんだろうし」
「…………」
やはりよくわからなかった。
「で? 美琴ちゃんはシャムシール?」
美琴は考えた。一生懸命、刃の曲がったこのシャムシールとかいう名の剣を構えて、モンスターと戦っている自分をイメージしようと、頑張った。
「……想像できない……」
絶望的な気持ちでつぶやく。ゲームならありなのかもしれないが、いくらゲームの世界といわれようとも、美琴にとっては現実なのだ。こんな大きな剣を手に、「えいやー」とやっている自分など、学芸会かなにかでなければ有り得ない。
「じゃあ、柄の長いのにしたら? それならミコトくんにも使いやすいかも」
田中が、どこからか長い杖のようなものを持ってきた。美琴の身長よりも長く、頼りないぐらいに細い棒だ。先端には、尖った金属の穂先がついている。金属部を固定するかのように赤い布が巻きつけてあり、デザインなのだろう、結ばれたそのままに、布の端が垂れていた。
「これは、こう──ブスッと突くんだよ。ブスッと」
姿勢良く水平に棒を構え、田中は真っ直ぐ突き刺すような真似をした。
「スピアね。いいかも、使いやすくて」
有里沙の反応も上々だ。
これなら、少なくともシャムシールよりは、美琴にも扱えるような気がした。持ってみると、長いのに意外に軽い。
「うん。じゃあ、これで」
ほとんど諦めの境地で決定する。本当は、使わないですむならそれにこしたことはないのだが。
良太郎が持ってきたのは、有里沙のいうとおりナックルという名の金属の武器だった。拳に装着する類の武器で、四つの穴に指を入れて、握りしめて殴りつけることで威力が増すらしい。
むっつりとしたひげ面の店主に、有里沙がまとめて金を支払った。美琴は怖くて値段を見なかったが、数十万はしたのだろう。美琴のスピアだけで、十二万、と表示があったのだ。恐ろしい。
「……そういえば、『武器・防具屋』って書いてあったのに、防具はほとんど置いてないんですね」
ふと思いついて口にした。甲冑なんかが並んでいるのを想像していたが、ベストのようなものや、胸当てが置いてあるぐらいで、ファンタジー映画で見るようないわゆる鎧は見当たらない。
そうだね、と田中はうなずいた。
「世界の融合の際に、ごてごての鎧はなくなったみたいだね。見た目がかっこわるいからじゃない? その代わり、ふつうの服の強度を上げるっていうことができるよ。アリサくんがいってたでしょ、武器と防具のレベルを上げるって」
そういえば、いっていたかもしれない──美琴は、まさに会計が行われている武器たちを見やった。あそこに、これ以上お金をつぎ込むということなのだろうか。
「もともと、『ティピカルサーガ』のシステムでは、最初から持ってる武器・防具をずっと使うのも、途中で買い換えるのも、自由なんだ。どちらにしろ、ショップに持っていくことで、『強化』っていうのができる。お金さえかければ、ほぼ無限にね。融合した世界に、がっちりした鎧なんかはないから、まあ、普段着を強化するって形になるね」
「じゃあ、おじさん。残り全額使って、あたしたち全員の武器と、防具──いま着てる服を防具としてね──のレベルとを、上げられるだけ上げて。あ、このホストは除外ね」
田中の説明とほぼ同時に、有里沙は店主に告げると、カジノで得た金をスーツケース二つ分、そのままカウンターに乗せた。美琴は信じられない思いでその様子を見たものの、所詮自分の常識では計り知れないのだろうと、もはや諦めの境地に達していた。わからないものはわからないのだから、わかる仲間に任せればいいのだ。
さすがにむき出しで武器を持ち歩きはしないだろうと思っていたが、店主は美琴のスピアと有里沙のロッドを丁寧に黒い布で巻いてくれた。渡されて初めて、そういえばこういった形状の長いものを持ち歩いているひとをたまに見かけるな、と美琴は思った。田中のように、手品さながらにタバコケースに収納するというワザは、だれにでも使えるものではないらしい。
そのまま、もう一度マジックショップに寄り、ウィッチ──有里沙いわく、魔女という意味らしい──をやるという有里沙が魔法書を大量に購入。そこでやっと、帰路につく流れになった。
「有里沙先輩……あの、ちょっと勉強しておいたほうがいいかと思うので、なにかゲームを貸していただけませんか」
帰りの地下鉄のなかで、美琴がそう提案すると、意外なほどに有里沙のテンションが上がった。
「ゲーム? いいよ、なんでもいって! ハードはなに持ってるの? ああ、いつでもできるように、ポータブルのほうがいいかな。じゃあハードごと貸すわ。そうね、TSによく似たゲームがあるから──あ、これは他社の二番煎じなんだけど、これがけっこう売れたのよ──、それやってみる?」
「姉貴ってほんとオタクだよな」
姉の勢いに、達観したように弟が感想を述べるが、当然有里沙の拳をいただくことになった。ゲーム風にいうなら攻撃力はたいしてないはずだが、そこは愛があるから痛いのだろうか。良太郎が頭を抱えて呻いている。
「お願いします。ちょっとゲームに慣れて、この世界にも慣れないと」
「良い心がけだねえ」
ひとごとのように田中が感想を述べる。本来なら、美琴を導く役割として、彼からそういった提案があっても良さそうなものなのだが──美琴はそう思わないでもなかったが、彼にはなにかを期待するだけ無駄だ。
「それもいいことだけど、明日からはうちに集まって、レベル上げよ。パパに頼んであるから、効率よくばしばしレベル上げられるはずだわ。がんばろうね、美琴ちゃん!」
地下鉄内だというのに、有里沙は他の乗客の迷惑も顧みず、ひとりで「オー!」と拳を突き上げた。

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