原爆投下から69年の広島、長崎を安倍晋三首相が訪れた。式典では「核兵器のない世界を実現する」との決意を強調した。

 だが、被爆地との溝は昨年より深まったように見える。

 「過ちを繰り返し、戦争のできる国にするものだ」。広島で首相と懇談した被爆者の吉岡幸雄さん(85)は言った。長崎の式典で被爆者代表を務めた城臺美彌子(じょうだいみやこ)さん(75)は「被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないで」と力を込めた。

 ともに、集団的自衛権の行使を認めた閣議決定の撤回を首相に求めるものだった。

■重ならない願い

 懸念材料はほかにもある。

 新興国への原発輸出、核不拡散条約(NPT)に加盟せずに核実験したインドとの原子力協定交渉……。どちらも核拡散につながる恐れがぬぐえない。

 安倍政権は、プルトニウムを使用済み核燃料から新たに取り出して原発で利用する政策も続ける方針だ。

 福島での大事故のあと、原発の未来が不透明なままだ。しかも日本は、利用計画を定めきれない40トン以上のプルトニウムの在庫を抱えている。内外の反核団体などは、「核武装の意図があるのでは」といぶかる。

 被爆国である日本の政府の動きがなぜ、これほどまでに反核の願いと重ならないのか。

 安倍首相は被爆地で「国民の命と暮らしを守るためだ」と繰り返し、集団的自衛権の行使容認に理解を求めた。

 中国の軍事的台頭が目立ち、北朝鮮は核・ミサイル開発をやめない。日本の安全保障環境は厳しくなっており、一連の政策は多様な脅威への備えだというのが、政権の基本姿勢だ。

■政策の矛盾深く

 冷戦後も核を持つ国がひしめき、核抑止力がものを言うとされるのが北東アジアだ。このため、米国の「核の傘」に頼るという方針も揺るがない。

 ただ、関係国が核兵器に依存するばかりでは、核戦争による破滅リスクを背負ったままの時代が続く。核を主軸に据えた日米同盟の強化に、中国やロシア、北朝鮮が警戒感を高め、「国民の命と暮らし」が逆に危うくなりかねない。

 ところが安倍政権には、「核の役割」を大きく低下させ、核時代のリスクを積極的に消していくような発信も行動もない。

 核軍縮に逆行するような事例は、いくつもある。たとえば、日米共同で開発を進めるミサイル防衛(MD)システムだ。

 米国は集団的自衛権の行使が、MDの強化につながると期待感を示す。米本土や艦船を狙う弾道ミサイルを日本が撃ち落とすことも、憲法解釈上は認められるようにする、と安倍政権が語っているためだ。

 技術的に可能かどうかはともかく、中国やロシアは「核抑止力が損なわれる」とMD強化に反発する。中国が防衛網を突破しようと、核戦力増強の口実に使う恐れもある。

 安倍首相は、ホルムズ海峡で自衛隊が機雷除去にあたることも可能になるとの考えを示している。これがイランを刺激して核開発を防ぐ多国間協議に悪影響を及ぼし、イランへの日本の発言力もそぎかねない。

 脅威を見据えるのは大切だが、「力には力」での悪循環をずっと続けるわけにはいかない。安倍政権は、核軍拡や核拡散の加速をどう防いで国際社会や北東アジアの安定をはかるのか。そこが見えないことが、被爆地の不安の根っこにある。

 周辺地域全体の軍備管理を着実に進め、安定を図る。そうしたビジョンを示すことは、日本に求められる役割である。

■信頼と対話が出発点

 「信頼と対話による安全保障の仕組みづくりを」。松井一実広島市長は平和宣言で訴えた。

 世界を見れば、米国のオバマ政権は求心力が低下し、ウクライナ問題でロシアとの関係が冷え込んだ。中国の海洋進出は、近隣との摩擦を強めている。「信頼と対話による安全保障」への道は険しい。だが、夢物語だろうか。

 長崎の平和宣言は今年も、北東アジアに非核兵器地帯をつくる構想を掲げた。日本と朝鮮半島を非核化し、核保有国はそこを核攻撃しないと約束する。

 北朝鮮が核実験を繰り返すなど、前提となる信頼関係がない、と日本政府は消極的だ。北朝鮮は、米国の核の傘こそが脅威だと反論する。

 信頼関係は、対話を通じて構築していくものだろう。日本がまず非核地帯設置と、核の傘脱却に向けた意思を示し、同盟国である米国に働きかける。共通の目標を掲げ、北朝鮮に強く交渉参加を迫ってはどうか。

 中国との関係改善も不可欠だ。エバンズ元豪外相ら、アジア太平洋5カ国の有識者会議は広島でまとめた提言で、日中両国に首脳会談を呼びかけた。

 もつれた糸を解きほぐすのは容易ではない。だが、対話がなければ、なにも始まらない。