エピソードプラス ~皇帝シャルワーノ~
俺の名前はシャルワーノ、五才、金色に限りなく近い明るい茶色と黒が入り混じった毛をお持ちだ。鼻の頭と耳は黒い。胸の部分と体の所々は白い――完成された美というやつだな。
ん? 珍しい名前と凄まじい髪の色だなって? 馬鹿を言うんじゃない、毛並みのことだ。そして、俺は猫だ。言わずとも察してほしいものだよ。
さて、俺のことは「シャルワーノ様」か「ワーノちゃん」と呼んでほしい。そうだな、後者を望むとしよう。なぜなら俺の飼い主である愛しのあかりちゃんが付けてくれた呼び名だからだ。
シャルワーノという名も、どこぞの皇帝みたいで、大変気に入っている。にゃんこ仲間からは『皇帝』と呼ばれている。だが、そんな名をワーノと略してしまうあかりちゃんのセンスの良さ。ふっ、脱帽だニャ。
「あっ、ワーノ。たっだいまーっ」
おっと、あかりちゃんが中学校からご帰宅したようだ。やれやれ、騒がしくなるぜ。
「ワーノ、ワーノ、ワーノーっ!」
はいはい、そんなに呼ばなくてもちゃんとここにいますよ。猫はですね、呼ばれてほいほいと寄っていくようなそんなへこへこ動物ではないのだよ。プライドというものがあるからね、媚びることなかれだ――ニャっ?
「ハムだよーっ」
は、ハムだとっ――食べ物で釣るとはにゃんと卑怯な……、まあ、とりあえずいただきましょうか。
「おいしい? ワーノ、おいしーい?」
あかりちゃん、一枚だけかい? もっとくれてもいいんだよ? あっ、食べたな?
「ししっ、二枚しかなかったから二人で半分こね」
そ、そういうことなら仕方ないニャ――んんっ、いかんな、俺はどうもあかりちゃんを甘やかし過ぎる。もう中学一年生なんだから、年頃の娘が間食だなんて、太りますぞ?
「ただいま、朱里」
「あ、お兄ちゃん。おかえりーっ。早かったね」
「ああ、今日はテストだったから」
ちっ、えいどりあんが帰ってきやがった。俺はこいつがあまり好きではない。
「お、ワーノ。ただいま」
や、やめろ。触るな、撫でるなっ。やめい、あ、顎の下はダメ……。
「お? 腹出して寝転がったな。そんな気持ち良いのか、こいつ」
出してやってんだよ、馬鹿やろう。ほら、どうぞ。
まったく、騒がしい昼下がりだった。
俺は今、食器棚の上でお昼寝中だ。まずキッチン台に飛び乗り、そこからカエルもびっくりの大ジャンプだ。ここのところ、これが少々きつくなってきているが、脚力が落ちたのだろうか、それともまさか――はは、この俺が太っただと? ありえないね。
「おい、ワーノ。またそんなとこで寝てるのか」
無視。
「ワーノ? さっきあかりにハムもらったんだって?」
俺はこの男、えいどりあん――俺が勝手に付けた呼び名だ――が好かん。だから、無視だ。この距離ならなでなで攻撃も届かんからな。ふふんっ、無敵領域。
「ちゃんと餌食べなきゃダメだぞ? ぶくぶく太って……豚みたいじゃんか」
はいはい、無視無視――って、ああっ? 誰が豚だってっ? こいつ、猫パンチ喰らわしたろかっ?
俺はのそりと起き上がり、えいどりあんを睨み付けた。ちっ、優しそうな目で見つめ返しやがって……。ジャンプ、もういっちょジャンプっ。いかん、これじゃ見上げる形となるな。おねだりしてるとでも思われたら心外だ、いや、癪だ。よし、もっかいキッチン台に戻るとしよう。
「なにしてんだ、お前? 馬鹿か? 運動か?」
やっぱこいつ嫌いだわー、にゃんこに馬鹿とか言うかー、ふつー? ふんっ、ほら、とりあえず顔を寄せい。近う寄れい。爪出しだけは勘弁してやるニャ。
「なんだ、遊びたいのか?」
ん? ティッシュなんて丸めて一体何をしてる? 蛇口を捻って濡らして――はっ、まさか、濡れティッシュボールかニャっ?
「ほれ、投げるぞ? そらっ、取ってこーい」
ニャー!
「お、良い子だ。面白い猫だよな、お前。なんで、こんなもん取ってくるんだ? はは、犬みてえ」
はっ、しまった。咥えて取ってきてしまった。くそう、楽しい。
「よし、もっかい投げるぞ?」
はいニャ!
「それーっ」
うおおおおっ――って、あれ? どこだ? ないぞ? え、なんで?
はっ――俺は振り返った。えいどりあんの手にまだ濡れティッシュボールが握られていた。うぐぐっ、してやられた。くっ、けらけら笑ってやがる。
ゆ、許すまじ、えいどりあん……。
さて、気晴らしに散歩にでも行こうか。
俺はこう見えてもここら一帯のボス猫だからな、集会への顔出しは必須なのだよ。「皇帝、皇帝っ」と慕い叫ぶ配下にゃんこたちの声をあの憎きえいどりあんにも聞かせてやりたいものだ。まあ、にゃあにゃあうるさく聞こえるだけだろうが、ね。
――と、ここはどこだろう。ふむ、見覚えのない場所に出てしまった。俺は前向きな猫だからな、前にしか進まん。よし、どうせなら縄張りを拡大して帰るとするか。
――ふっ、あいつら。集団で寄ってたかって一匹の猫を追いかけ回しやがって。にゃんと卑怯な連中だ。ふーふー威嚇されての四面楚歌。いくら皇帝であるこの俺に恐れをなしたからといって、あんな大にゃん数で囲わなくてもいいだろうに――数という力には何者も及ばんのが歴史の常だニャ。
――しまった、どうやら縄張りを広げ過ぎたらしい。かれこれ三日も家へ帰れていない。完全に迷い猫だ。いや、迷い皇帝だ。はぐれナポレオンだニャ。
さて、本当にどうしたものか……。ん?
「ワーノ! ワーノーっ」
おおっ、この美しき声はあかりちゃんではないか――俺はチーターも目を丸くするほどの速度で駈け出した。のそのそと!
「なーお」
嬉しいな、探しに来てくれたんだな、喜びのあまり皇帝らしくない鳴き声出ちゃったけど、良しとしよう。はいはい、帰りましょうねー、心配かけましたねー、ごめーんねー。
「お、ワーノいたのか」
「うん、学校の裏で見つけた!」
「学校の裏? そんなに離れてないな……」
ニャにっ? 学校の裏だったのか、俺様の縄張りってもしかして狭いのか……? んんっ、いやここは弱いところを見せてはいけない。特にこのえいどりあんには、な。
俺は勝ち誇った顔でふふんとえいどりあんに笑いかけてやった。
「なんだ、こいつ。迷子になったくせに偉そうな顔して」
「ねっ」
「まあ、なんだかんだといつも帰ってくるからいいんだけどさ」
そうなのだ、迷った挙句になぜかいつも奇跡的に帰宅できたりするのだ。まあ、たいがい巡り巡るには一週間くらいかかるのだが――。
平和だ。家の中はいいね、迂闊に外なんか出るもんじゃないね、別に縄張りなんて拡大したって誰得って感じだよね、うん。
ふわあ……、それにしてもよく寝たな。少し家の中を歩いてくるとするか。
俺はまず、一階のリビングへと入った。うむ、異常なし。
相手にしてくれる家族がいなかったので、次は台所とお風呂場をチェックする。むっ、水っ気がすごいな。えいどりあんがシャワーでも浴びたか? ちっ、誰の許しを得てこの家でくつろいでいやがるんだ、あいつは――いや、違うな、このシャンプーの匂いはあかりちゃんだニャ。えいどりあんは「お兄ちゃん、勝手にあかりのシャンプー使わないで!」とよく怒られているからな。ふっ、ざまーない。
ちょいとカリカリをいただき、今度は二階へと上がる。どかどかと!
あかりちゃーん――って、いないのね。しょぼん。そうだ、あかりちゃんは今日、お友達と遊びに行ってるんだった。俺は聞いてしまったのだよ。男女比率二対二の、いわゆるダブルデートというやつだ。妹大好き、彼女もいないえいどりあんが知ったら悶えるだろうなー。教えてやりたいなー。ふはっ、ざまーない。
……一応、この部屋も見ておくか。
「なんだ……ワーノか……どうした?」
無視。
「おーい、ワーノ。おいでー」
すいません、話し掛けないでいただけますか? 見回り中です。
「……あれ、もしかして慰めに来てくれたのか? 良いやつだなー、お前」
慰める? 俺が? お前を? はっ、馬鹿言っちゃいけないよ――って、かばんの中をごそごそと漁って何をしてるんだ――ニャっ?
「ほら、さっき帰りに買ってきたハムカツだ。一緒に食べようか、ワーノ」
大好きニャーン――はっ、違うよ? ハムカツがだよ? えいどりあんなんか好きじゃないんだからっ! はむっ、うまっ、感謝。
「はあ……」
おっと、ずいぶんと盛大にため息をついたな。なんだ、どうした。悩みならこの皇帝様が聞いてやるぞ? 苦しゅうない、申してみよ。
「ワーノ……、俺、また振られちゃったよ」
こいつ、本当に猫に愚痴零しやがったよ。救えないな。だが、ハムカツに免じてここは一つ寛大に慰めてやるとするかな。どっこいしょっと。
「ん……? なんだ、甘えてるのか、膝になんか乗ってきて」
はいはい、甘えてるってことでいいですよー、甘ちゃんだねー、立場逆ですよー。でも、本当はお前なんか嫌いなんだからな? それだけは忘れるんじゃ――あふん。
「ほれ、耳の裏―。次は顎の下―」
むむむむっ、き、気持ち良い。こやつ、やはり家族一のテクニシャンだ。不覚ニャ。
「おい、ワーノ」
なんですかな?
「お前は……、長生きしてくれよな?」
な、なんだこいつ。やけに潤んだ瞳で俺を見つめやがって。何か腹立つなー、なにこれ飼い主と飼い猫の絆ってやつ? うわっ、寒気がするニャ。てか、俺の飼い主はあかりちゃんだし……。おいおい、泣くなよ。
「なーにやってもうまくいかないな、俺は」
ああ、なるほど。まあ、あれだ……俺は去勢済みだからその悩みはあんまり察してやれんが、辛いんだな、お前も。あれだろ、交尾したいんだろ? わかるよ、何となく。まだ時間はたっぷりあるしさ、前向きに行こうぜ? な?
「俺のこと好きになってくれる子なんてこの世にいるのかな」
出たっ。この世にいるのかな発言、出ちゃったよ。相当悲観的になってるな、えいどりあん。大丈夫だって、あかりちゃんの同級生で、お前に憧れてる子がいるらしいぞ? まあ、四つも下じゃ犯罪だろうけどな。にゃはは。
「ん? ハムカツあと一枚か」
お、おい、まさか独り占めする気じゃないだろうな? は、半分、いや、せめて一口だけでも――。
「ほら、食えよ。ハムカツ買ってきて、なんでわざわざ丁寧に衣取って猫にやってるんだかな。アホだな、やっぱ、俺」
いーや、お前は素晴らしい人間だ。褒めて使わすニャ。仕方ない、ほれ、卒業アルバムか何かを広げなさい。この前、お前の友達が大勢で家に遊びに来たとき、その中に一人お前に気がありそうな子がいたニャ。お前、鈍感だから気付いてないんだろ? 意外と可愛かったぞ? 馬鹿だニャー。教えてやるから、アルバムはよ!
――やってしまった。
くっ、皇帝ともあろう猫が迂闊に道路に飛び出して、迫ってくる車に驚いて、でも、どうにか回避して、やれやれと家へ帰った数日後に病気だと? 意外すぎる落とし穴、ころっと逝きすぎて死んだ実感すらニャいじゃないか。
うーん、みんな泣くなって。それなりに長生きしたし、そんなに本人は気にしてないんだよー? あー、でも、こんなに泣かれると辛いニャ……。
あかりちゃん、ごめんニャ。
パパさん、いつもお仕事ご苦労さんだニャ。
えいどりあん、まあ、頑張れ。
さて、ペットの葬儀も見守ったことだし、お空に上がるとしますかな。おっ、すげえ、飛べるのか。ふわっとにゃんこですな。いやはや、貴重な体験をさせていただきました。
って、ここどこだ?
「お疲れ様でーす。天界案内人のミルちゃんでーす」
「死んだにゃんこに掛ける言葉がお疲れ様なんですか――って、にゃんだ? しゃべれるのか?」
「ええ、天界ですから」
「……ニャるほど」
「えっと、シャルワーノちゃんね?」
「はい、皇帝シャルワーノ、通称ワーノですニャ」
「ふっふー、変な猫っ」
……言ってくれるの、可愛い子ちゃんめ。しかし、あかりちゃんが学校に着て行っている制服よりももっとシュッとしてて、メスの色香がぷんぷんしてるな。胸のプレートに『天使ちゃん』と書かれてるあたりがちょっと痛いが、うん、あかりちゃんの次に可愛い。
「シャルワーノちゃんは天国行きね」
あぶねっ。えいどりあんの呪いとかで地獄行きだったらどうしようかと一瞬焦っちゃったよ。良かった、最後に優しくしといて。
「とりあえず大神様に会ってきてもらえるかな? この道まーっすぐ行けば案内看板出てるから。あと、お目通り終わったら、天国行きのバス停の前に待機所があるから、どなたか飼い主の方が来られるまではそこで待っていてくださいね。あ、大丈夫、すーぐに来てくれるわよ」
ニャっ? パチッとウインクとかしながらそんな不吉なことを言わないでくれよ……可愛いニャ……ファンになっちゃうよ?
「やあやあ、お疲れ様。私は大神様だよ」
なんで狐?
「ふむ、君があの――家で飼われていた猫だね。なるほど、勇ましい顔をしているね」
褒められてしまった。しかし、なんで狐のお面なんて付けてるんだろうか、この人。変な人多いなー、天界って変人の巣窟かにニャー?
「さて、特別に願いを一つ叶えてやろう。特別だよ?」
「なんで特別なんですかニャ?」
「ややっ。そ、それを訊くかね。悪いがそれは言えん。あと、家族に長生きしてもらいたいといった願いもダメだ。運命は決まっているからね。小さなお願いくらいにしておくれ」
特別にお願い叶えてあげるよとか唐突に言い出しておいて、ものすごい限定されたニャ。小さなお願いってどんなのだろう。先に言われてしまったが、あかりちゃんやパパさん、うーん、一応えいどりあんも、俺の大事な家族が長生きしてくれますよーにってのが一番の願いだったんだけどな――。
「んー、じゃあ……。えいどりあんに彼女の一人でも作ってやってほしいニャ。あいつ、それなりにモテないこともないのに、運の悪さがハンパないんだニャ」
ふっ、俺も焼きが回ったな。こんなとこまで来て、えいどりあんに幸せの助け舟か、やれやれだ。猫失格だな。
「えいどりあん……?」
「んニャっ? ああ、えいどりあんってのは俺が適当に付けた名前で、本当の名前は――」
うむ、良いことをした。さすがは皇帝だ。褒めて使わすぞ、俺。
それにしてもえいどりあんのことを話したらやけにあの狐男、機嫌良かったな。どうも前からえいどりあんのことを知っているふうだった。
「大丈夫、その願いはきちんと叶えるつもりだよ」
つもりってなんだニャっ? じゃあ、俺様のたった一つのお願い、無駄消費ってことだったのかニャ? 詐欺だニャー!
「――――おーいっ」
…………ああっ!
……まだこっち来て一年くらいしか経ってないのに。
もしかして下界とは時間の流れ方が違うとか、そんな感じなのかな。向こうの世界では何十年も経ったとか? あれ、でも、えいどりあんの姿がないぞ? けっ、無駄に長生きしやがって。べ、別にいいんだ、ゆっくり来るといいニャ。
「ワーノ! ワーノ!」
あ、涙出てきたニャ。猫でもお空の上なら泣けるんだニャ。はいはい、呼ばなくたってここにいますよ。猫は呼ばれてほいほいと寄っていくような――ああ、もうこっちからも行きますよ! のそのそとだけどね。
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