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1999年9月1日にドワンゴに入社し、
2014年8月31日を以って退職する運びとなりました。
ピッタリ在籍15年と実にキリがいい。
8月は有給消化で長い夏休みになる。
さて、いざ退職エントリを書いみたらなんだかとても長くなってしまい、
まとめあげるのが不可能とも思える量になってしまったので、
知り合いから「連載してみては?」というジョークを本当にやってしまおうと思う。
この際、文章がまとまってないとか結論と関係ないとかは置いといて、とにかく公開していくスタイルでいきたい。
どうせこの文章に価値などない、自分語りの自己満足だ。
-------------------------------------------------------------------------------------
つれづれなるままにひぐらし
ドワンゴ卒業生もすなる退職エントリといふものを、自分もしてみむとてするなり。
近年の有名になってからのドワンゴやニコニコについては、
これから若い人たちがいくらでも書いてくれると思うので、
自分の知っている古いドワンゴについて書いていく。
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■入社面接
自分がドワンゴに入社することになったきっかけは、
当時通っていた専門学校 "アミューズメントメディア総合学院" からかかってきた電話だった。
先生「君、まだ就職決まってなかったらドワンゴを受けてみない?」
専門学校の2年生になって就職活動真っ最中の夏の時期に
学校は就職に向け模擬面接を開催していた。
会社で面接官を担当している人を学校に呼んで、本番前に実際の面接と同じことをやって面接に慣れさせるのが目的だ。
その面接官の1人にドワンゴの副社長をしていた "森栄樹" さんがいた。
自分は偶然にも森さんの模擬面接を受けることになり、
そして森さんは学校で模擬面接を行った中から3人に「実際にドワンゴを受けにこないか?」とオファーしたのだ。
今にして思えばこれは大変な幸運だった
自分は就職活動をアルゼ(現ユニバーサル)1社しか行っておらず、
1次、2次と順調通過し、後は最終面接を残すのみの段階だった。
最終面接を来週に控えたその絶妙なタイミングでの森さんの登場だった
面接で初めて行ったドワンゴは人形町にあり、
ビルの1階には米屋が入った雑居ビルにオフィスを構えていた。
今でもその1Fにある米屋さんは「ドワンゴって会社は昔はうちの上にあったのよ」と話してくれているらしい。
当時のドワンゴの社員数は約30人。
そのビルを出てから水天宮北辰ビル(200人)→明治座(600人)→歌舞伎座(1000人)とよくもまあこんなに立派な銀座のビルまで来たものだ。
10月からはKADOKAWA・DWANGOになって3000人になるとか想像もつかない。
面接は森さんと2人きりだった。(途中から誰かもう1人来たかもしれない)
森「ドワンゴって会社知ってる?」
俺「知らないです」
正直にと答えた。
今にして思えば就職面接を受けにいく会社が何をやっているのか
まったく調べずにいったのから呆れたものだ。
web を調べたかもしれないが当時のドワンゴのwebは何をやっている会社なのか分かりづらかったかもしれない。
そんな俺に森さんは丁寧にドワンゴがどんな事業を行っているのか話してくれた
・ドワンゴはインターネット通信を使ったゲーム開発を行っている会社
・SEGAの下請けをやっていて、セガラリーやバーチャロンの通信ライブラリを担当している
・So-net のゲームを作っている
・インターネット通信対戦のゲームロビーシステムを運用している (これが社名になっているDWANGOシステムであった)
その頃の自分は、バーチャロンの地方予選(渋谷地区)に出たり、
MMORPGダークアイズ(SEGA子会社のNextech)にドはまりしていた時期だったのもあり、
一気に事業内容に惹かれ
森「今どこか他に受けてるところはあるの?」
俺「アルゼです」
森「アルゼとドワンゴだったらどっちに行きたい?」
俺「ドワンゴです」
と即答してしまった。
1999年は就職氷河期で就職が決まるだけで万々歳だったのもあるが、それ以上に
まだ大手企業すら持っていないインターネット技術をウリにした会社という部分に将来性を強く感じたからだ。
当時パチスロが好きでアルゼ1社しか受けていなかったことを話すと、
ドワンゴ社員にパチスロ大好き(gensan)が居ることも話してくれた
森「じゃ、いつから来れる?」
俺「明日からでも!」
森「明日からは早いから・・・来週の9月1日から来てくれる?」
この瞬間に自分のドワンゴ就職が決定し、
来週に控えていたアルゼの最終面接に断りの電話を入れた。
なんとも、縁があったとしか言えない入社である。
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■グーニーズの話
子供の頃から夢だった
この標語が元に、専門学校のポスターに載って、ゲーム雑誌の広告に掲載されたことがある。
※電撃王 1999年7月号より
※付随するテキストを書いたのは一切俺ではありません。
いつかゲームを作る人間になること
そのきっかけを作ったのがファミコン版のグーニーズだった。
あのゲームのエンディングを見た時、グラデーション(8色)の海に進む船に感銘を受けて
いつかゲームを作る人になろうと決心した。
そして、専門学校の作品制作で DirectX を使ったグーニーズのまんまパクリゲームを作った。
これをドワンゴの面接に持ち込んだ。
これに独自にハイジャンプ機能をつけてすごく高く飛べるようにしていたのが、
森さんのツボにハマったらしく
森「君ダメだよこれは(笑)」みたいなことを爆笑しながら言われた記憶がある。
面接のとき森さんに
「あれ?スーツで来ちゃったの?うちは私服勤務だから私服でよかったのに。模擬面接のとき、君髪染めてなかったっけ? 染めておいでよ」
と言われた。
2,3年後の社内には、一般的な茶髪に留まらず
赤髪や緑髪、金髪、ひいては川上会長が青のアクリル髪になったりしていて
大変な自由気質の会社になっていた。
>>ドワンゴ初出社へと続く。
2014年8月31日を以って退職する運びとなりました。
ピッタリ在籍15年と実にキリがいい。
8月は有給消化で長い夏休みになる。
さて、いざ退職エントリを書いみたらなんだかとても長くなってしまい、
まとめあげるのが不可能とも思える量になってしまったので、
知り合いから「連載してみては?」というジョークを本当にやってしまおうと思う。
この際、文章がまとまってないとか結論と関係ないとかは置いといて、とにかく公開していくスタイルでいきたい。
どうせこの文章に価値などない、自分語りの自己満足だ。
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つれづれなるままにひぐらし
ドワンゴ卒業生もすなる退職エントリといふものを、自分もしてみむとてするなり。
近年の有名になってからのドワンゴやニコニコについては、
これから若い人たちがいくらでも書いてくれると思うので、
自分の知っている古いドワンゴについて書いていく。
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■入社面接
自分がドワンゴに入社することになったきっかけは、
当時通っていた専門学校 "アミューズメントメディア総合学院" からかかってきた電話だった。
先生「君、まだ就職決まってなかったらドワンゴを受けてみない?」
専門学校の2年生になって就職活動真っ最中の夏の時期に
学校は就職に向け模擬面接を開催していた。
会社で面接官を担当している人を学校に呼んで、本番前に実際の面接と同じことをやって面接に慣れさせるのが目的だ。
その面接官の1人にドワンゴの副社長をしていた "森栄樹" さんがいた。
自分は偶然にも森さんの模擬面接を受けることになり、
そして森さんは学校で模擬面接を行った中から3人に「実際にドワンゴを受けにこないか?」とオファーしたのだ。
今にして思えばこれは大変な幸運だった
自分は就職活動をアルゼ(現ユニバーサル)1社しか行っておらず、
1次、2次と順調通過し、後は最終面接を残すのみの段階だった。
最終面接を来週に控えたその絶妙なタイミングでの森さんの登場だった
面接で初めて行ったドワンゴは人形町にあり、
ビルの1階には米屋が入った雑居ビルにオフィスを構えていた。
今でもその1Fにある米屋さんは「ドワンゴって会社は昔はうちの上にあったのよ」と話してくれているらしい。
当時のドワンゴの社員数は約30人。
そのビルを出てから水天宮北辰ビル(200人)→明治座(600人)→歌舞伎座(1000人)とよくもまあこんなに立派な銀座のビルまで来たものだ。
10月からはKADOKAWA・DWANGOになって3000人になるとか想像もつかない。
面接は森さんと2人きりだった。(途中から誰かもう1人来たかもしれない)
森「ドワンゴって会社知ってる?」
俺「知らないです」
正直にと答えた。
今にして思えば就職面接を受けにいく会社が何をやっているのか
まったく調べずにいったのから呆れたものだ。
web を調べたかもしれないが当時のドワンゴのwebは何をやっている会社なのか分かりづらかったかもしれない。
そんな俺に森さんは丁寧にドワンゴがどんな事業を行っているのか話してくれた
・ドワンゴはインターネット通信を使ったゲーム開発を行っている会社
・SEGAの下請けをやっていて、セガラリーやバーチャロンの通信ライブラリを担当している
・So-net のゲームを作っている
・インターネット通信対戦のゲームロビーシステムを運用している (これが社名になっているDWANGOシステムであった)
その頃の自分は、バーチャロンの地方予選(渋谷地区)に出たり、
MMORPGダークアイズ(SEGA子会社のNextech)にドはまりしていた時期だったのもあり、
一気に事業内容に惹かれ
森「今どこか他に受けてるところはあるの?」
俺「アルゼです」
森「アルゼとドワンゴだったらどっちに行きたい?」
俺「ドワンゴです」
と即答してしまった。
1999年は就職氷河期で就職が決まるだけで万々歳だったのもあるが、それ以上に
まだ大手企業すら持っていないインターネット技術をウリにした会社という部分に将来性を強く感じたからだ。
当時パチスロが好きでアルゼ1社しか受けていなかったことを話すと、
ドワンゴ社員にパチスロ大好き(gensan)が居ることも話してくれた
森「じゃ、いつから来れる?」
俺「明日からでも!」
森「明日からは早いから・・・来週の9月1日から来てくれる?」
この瞬間に自分のドワンゴ就職が決定し、
来週に控えていたアルゼの最終面接に断りの電話を入れた。
なんとも、縁があったとしか言えない入社である。
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■グーニーズの話
子供の頃から夢だった
この標語が元に、専門学校のポスターに載って、ゲーム雑誌の広告に掲載されたことがある。
※電撃王 1999年7月号より
※付随するテキストを書いたのは一切俺ではありません。
いつかゲームを作る人間になること
そのきっかけを作ったのがファミコン版のグーニーズだった。
あのゲームのエンディングを見た時、グラデーション(8色)の海に進む船に感銘を受けて
いつかゲームを作る人になろうと決心した。
そして、専門学校の作品制作で DirectX を使ったグーニーズのまんまパクリゲームを作った。
これをドワンゴの面接に持ち込んだ。
これに独自にハイジャンプ機能をつけてすごく高く飛べるようにしていたのが、
森さんのツボにハマったらしく
森「君ダメだよこれは(笑)」みたいなことを爆笑しながら言われた記憶がある。
面接のとき森さんに
「あれ?スーツで来ちゃったの?うちは私服勤務だから私服でよかったのに。模擬面接のとき、君髪染めてなかったっけ? 染めておいでよ」
と言われた。
2,3年後の社内には、一般的な茶髪に留まらず
赤髪や緑髪、金髪、ひいては川上会長が青のアクリル髪になったりしていて
大変な自由気質の会社になっていた。
>>ドワンゴ初出社へと続く。
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