戦時の機関車避難壕、住民が修復 滋賀・米原「戦争遺産」案内も
太平洋戦争末期に空襲から蒸気機関車を守るため、滋賀県米原市のJR米原駅近くに造られた「蒸気機関車避難壕(ごう)」を住民有志が案内する活動を続けている。5年前まで地域のごみ捨て場になり埋まっていた壕を戦争遺産として残し、平和学習などに役立てようと復元改修した。見学者は2009年8月から5年間で3600人を超えた。
米原駅は、大動脈だった東海道線と北陸線の分岐の駅で、壕は、兵員や武器輸送に欠かせなかった蒸気機関車を連合軍の攻撃から守るために建設された。1944年3月から6月にかけ工事が着手されたといわれている。
壕は岩盤でできた地元の岩脇山の麓をくりぬく形で国が造った。壕は二つあり、一つは長さ130メートルで山を貫通している。もう一つは、両側から50メートルほど掘り進み、中央部約25メートルが未貫通だ。いずれも幅が約3メートルあり、高さは1・5メートルから5メートルほど。機関車も入らない未完成の状態で放置されていた。
同市岩脇(いおぎ)の岩脇まちづくり委員会会長の藤本伝一さん(72)は、子どものころ、壕内で遊んだ記憶がある。まだトロッコや線路に向かって盛り土も残っていた。藤本さんは「戦争末期、物資が不足する中、1年足らずで手作業で岩盤をこれだけ掘らなければならない状態に日本が置かれたことを見て知ってほしい」と話す。普段は柵で閉鎖され立ち入り禁止になっている。事前申し込みが必要。問い合わせは藤本さんTEL0749(52)1830。
【 2014年08月09日 09時26分 】