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【社会】

語り部を継ぐ 長崎の被爆2世「父の生きざま 伝えたい」

被爆者の父池田早苗さんの紙芝居を朗読する佐藤直子さん=7月27日、長崎市の原爆資料館で

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 原爆投下から六十九年を迎えた九日、長崎は平和への祈りと静かな怒りに包まれた。不戦の誓いを込めた憲法がないがしろにされたと、厳しい非難が上がった。「戦争が憎い、核兵器が憎い」と訴える被爆者から、平和のバトンを受け継ごうとする人たちがいる。長崎市長は平和宣言で「集団的自衛権」に触れて問いかけた。平和の原点は揺らいでいないか−。被爆地の声に日本政府はどう答えるのか。 

 「父は常に体に不安を抱えながら、被爆の実情を語り続けてきた。その生きざまを伝えたい」。長崎原爆から六十九年が経過し、実際に体験した人の多くが亡くなっている。「語り部」を目指す被爆二世の佐藤直子さん(50)=長崎市=は「被爆者の苦痛や思いを風化させないよう、次世代に橋渡しするのが使命」と誓う。

 父池田早苗さん(81)は現在も小中学生らに体験を語っている。十二歳で被爆。きょうだい五人全員を原爆で亡くし、三歳の弟を一人で火葬した。「弟は関節の音をぐしぐしと立てて火の中に消えていった」と惨状を伝える。

 原爆で体調を崩した両親に代わり、中学中退で働いた。大病を繰り返しながら定年まで勤めた後、語り部を本格的に始めた。

 手帳が真っ黒になるほどの頻度で語り部をし続けていた二〇一一年六月、疲れからか転倒して腕を骨折した。活動継続に不安を感じ「語り部を真剣に考えてくれ」と娘の佐藤さんに頼んだ。

 佐藤さんの長男秀太君(15)はこの時、原爆投下時の池田さんと同年代。「別世界の話と思っていたが、父と私の子の間に重なる部分をみた」と決心を固めた。朗読ボランティアの育成講座を受け、被爆者から話も聞いた。現在は長崎原爆被災者協議会の「被爆二世の会」会長も務める。

 今年七月二十七日、長崎原爆資料館。有志が作成した、池田さんの半生を描いた紙芝居を、佐藤さんが朗読した。「戦争が憎い、原爆が憎い、核兵器が憎い」。〇一年の長崎の平和祈念式典で池田さんが訴えた「平和への誓い」の一節を、力強く読み上げた。

 目の前で聞いた池田さんは涙が止まらなかった。「過去を思い出して我慢できなかった」

 聴き終えた池田さんは「娘は被爆体験がなくても、私の苦労を知っている。それだけで説得力が違う」と評し、「頼もしい。もう自分に何かあっても安心だ」と笑顔を見せた。

 佐藤さんは「父や私の活動を理解し、この先を引き継いでもらいたい」と、秀太君と次男良太君(10)を可能な限り、不戦の集いなどの平和活動に連れて行く。佐藤さんによると、八月九日生まれの良太君は池田さん似。池田さんは「亡くなったきょうだいの代わりに生まれてきたのかもしれない」と穏やかに語った。

 

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