結局、胸部レントゲン写真の被曝は安全か?

・はじめに
 胸部レントゲン写真を撮影すると、被曝します。「大丈夫なのか大丈夫でないのか、結局どうなの?」という質問を患者さんからいただくことがあります。結論として、私は「ほぼ大丈夫」と答えています。「ほぼ」って何だ、とお思いの方もいらっしゃるかと思いますが、100%の安全が保障できない以上、臨床医はこう答えるしかないと思います。


・1つの数値目安:100 mSv
 ヒトの体は、何もしていなくても年間で2~3 mSvの自然放射線に晒されています。東日本大震災における福島の一件があってから、国際放射線防護委員会(ICRP)の「現在の福島第一原発は緊急事態時にあたる、事故による被曝量が年間20~100 mSvを超えないようにする」という声明に基づいて、1年間に100 mSv以下であれば問題ないとする論調が一時期マスメディアに流れました。ICRPは「それ以下なら安全という意味ではない」と追加明言し、これは「あくまで緊急時の目安にすぎない」としています。この問題についてはいまだに議論の余地があるところなので割愛しますが、この福島の一件によって国民の医療被曝に対する関心も深まったように感じます。

 一方、ヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)は、ICRPは低線量被曝のリスクを小さめに見積もっているのではないかと批判しています。ICRPとECRRには、それぞれ被曝線量のリスクモデルに差があり、ICRPは直線モデル(the linear, no threshold [LNT]モデル:こちらが有名)、ECRRは、極低線量でいったんリスクが極大値を示すというbiphasicモデルを提唱しています(図1)。いずれも“しきい値”のない確率的影響を表していますが、発がんについては確率的影響でよいとする世界的にコンセンサスがあります。
図1. LNT(左1))とbiphasic(右2))の発がんリスクモデル

 しきい値のない両モデルのいずれかが正しいのであれば、低線量でも発がんのリスクが増加します。その低線量の基準値として100 mSvという数値がよく引き合いに出されます。この数値が注目されている理由はいくつかあります。1つ目は、上記のようにICRPが分類した被曝量の基準値としての100 mSvがあることです。100 mSvの放射線を全身に被曝することで癌による死亡率が0.5%上昇することが報告されています。2つ目は100 mSv以上の原爆生存者におけいて、過剰ながん発生が観察されているためです。3つ目は、100 mSv以下の被曝量では、統計学的にヒトのがんのリスクを評価することは難しいとされていることです。種々の情報に基づいて100 mSv以下でがんのリスクがないとする文章もよく見かけますが、正確には「100 mSv以下はリスク評価が極めて難しい低線量である」ということではないでしょうか。チェルノブイリの件ですら、発がんとの因果関係の根拠をめぐって論争が繰り広げられたくらいです。低線量ではその議論はやみません(図2)。
図2. 100 mSv以下もLNTモデルで説明可能?


・患者さんが心配すること
 患者さんが心配するのは、胸部レントゲンやCT写真を撮影することによる発がんです。上記の直線モデルが正しいとしても、低線量の医療被曝による発がんについては、まだ確実な証明がなされていません。この状況で言えることがあるとすれば、放射線に安全な量はないだろうということです。ただし、しきい値があるとする研究グループもあります(Wikipedia:しきい値はあるという反論)ので、将来的に決着がつくのかどうか見ものです。

 病院で撮影される胸部レントゲン写真は1回あたり0.02~0.1 mSv程度です(撮影条件や診断法によって変動します)。また、側面レントゲン撮影は正面レントゲン撮影の3~4倍の被曝量とされています。飛行機に乗ると宇宙線に晒されますが、国際線の場合、胸部レントゲン写真を撮影するのと同じくらいの被曝量とされています。そのため、1年間に複数回胸部レントゲンを撮影する外来患者さんが受ける被曝量は、海外旅行に何度も行くようなものです。

 胸部レントゲン写真の場合、通常の撮影では被曝が発がんのリスクになることはほとんどないでしょう。ただしこのリスクがないことの疫学的証明は難しく、いまだに世界各国の研究者の間でも意見が分かれています。近年、5000人以上の炭鉱夫を30年間フォローアップした研究が報告されていますが、これによれば胸部レントゲン写真の撮影によって過剰な肺癌の死亡は観察されなかったとされています3)

 胸部CTになると被曝量が少しだけ上昇しますので(1回5~8 msV程度)、議論はもう少し複雑になります。

 妊婦の場合は医学的なリスクよりも社会的な問題の方を優先して撮影しないことが多いです(胎児に与える影響は微々たるものとされています)。胸部レントゲン写真の撮影を拒否する妊婦さんが、新婚旅行で飛行機に乗って海外に行くのをみると「なんだかなあ」と思ってしまうこともあります。


1) Pierce DA, et al. Radiation-related cancer risks at low doses among atomic bomb survivors. Radiat Res. 2000 Aug;154(2):178-86.
2) ECRR. 2010 Recommendations of the European Committee on Radiation Risk.
3) Laborde-Castérot H, et al. Chest X-ray screening examinations among French uranium miners: exposure estimation and impact on radon-associated lung cancer risk. Occup Environ Med. 2014 Jun 23. pii: oemed-2013-101937. doi: 10.1136/oemed-2013-101937. [Epub ahead of print]





by otowelt | 2014-08-09 00:03 | コラム:患者さんへの説明

抜管後の酸素療法はベンチュリマ... >>