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新シリーズ
"Domus mea domus orationis vocabitur"
日本語版
2
阿倍野教会創立55周年記念ミサ
祭壇上に載せられた靴もしくはサンダルに注意
大阪教区 阿倍野教会で池長潤大司教司式で創立55周年記念ミサがありました。以下、その報告です。
聞いたことのない奉献文が唱えられた。
エレキギターやドラムを使った「ロックミサ」とでも言いたくなるような伴奏で、典礼聖歌やカトリック聖歌集の歌は全く使われなかった。まるでカリスマ派のゴスペル音楽のようなメロディーが延々と続いた。
阿倍野の信者さん方は西成のホームレスの方の支援をしているのだが、その関係からか、祭壇上の左側、蝋燭の隣には、ミサ中、ホームレスの方がふだん履いている履物を象徴する「サンダル」が飾られた。また、このミサにバプティスト派の牧師、日本キリスト教団の牧師、聖公会大阪司教が参加していたのだが、このミサのエキュメニカルを象徴するものとして、祭壇上の右側には果物の盛り合わせが飾られた。それぞれの果物は、同じキリストを信じる「兄弟教会」としての聖公会やその他の教派を意味していると説明された。
主の祈りが、一度に全部唱えられず、天におられる私達の父よみ名が聖とされますように(ココまで日本語)ここで一旦切って一堂「アーメン」み国がきますように、みこころが天に行われるように(この部分韓国語で唱える)。ここで一旦切って一堂「アーメン」地にも行われますように、私達の日毎の糧を今日もお与えください(この部分スペイン語)といった感じで、間に「アーメン」を挟んで数ヶ国語で分割して唱えられた。
アレルヤ唱は行われず、アレルヤに代わって、「イエス様に歌おう」という品のない賛美歌が歌われた。
跪くなんてもってのほかの大阪教区では、もともと、御聖体を舌で受けることはできない。そして、この日の一般信徒の拝領は相変わらずの両形式で、全員がホスチアを自分で御血に浸して拝領した。
感謝の典礼に入る前に、教会学校の子供達が、大司教様と聖公会司教様、牧師先生方、神父様方にバンブーダンスを捧げますといって、おそろいのユニフォームを着て、バンブーダンスを祭壇の前で踊った。
バンブーダンスはエンターテインメント。
ミサが主イエズス・キリストの十字架の生贄の再現であるとすれば
ミサ中のエンターテインメントはいかにもふさわしくない。
なお、バンブーダンスなら東京のカテドラルでもあったことが報じられている
日本のカトリック教会はどうなっているのだ?
ミサの最後に大司教が「全能の神、父と子と聖霊の祝福が皆さんの上に豊かにありますように」というときに、わざわざ聖公会の司教や2名の牧師に、司教様と先生方も一緒に手を出してカトリック信者を「祝福」してあげてください・・・・と出席者全員に聴こえる声で言った上で、この連中も一緒に手を差し出して私達を「祝福」した。ただしこのとき、日本キリスト教団の牧師先生は、他の聖公会司教やバプティスト派の牧師のように、カトリック司祭の真似をしてミサ中に祝福を与えることを、御自分から辞退なさった。
牧師達の祝福をカトリック信徒はどう受け止めたのであろうか?
祝福が神から来るものであれば、それは当然神の権威を体現する人たちから来なければならない。
それは司教であり、司祭であり、親である。
牧師達にはそのような資格が皆無である。
叙階も受けていないのだから、ただのおじさんでしかない。
祭壇に上がることさえ遠慮すべきでした。
これは噴飯物でしかない。御ミサをこのような茶番で汚してはいけません。
エキュメニカルの名を借りたこのような品位に欠けるミサを、こともあろうに、典礼の規範を示すべき立場にある大司教が司式し、共同司式の司祭達が異端者・離教者の頭目や牧師と平和の挨拶で握手をして喜んでいるようでは日本のカトリックの将来が思いやられる。このようなミサが子供ミサ同様、大阪教区が進める「新生」計画の名のもと、大阪教区の全ての小教区、そして日本全国のカトリック教会で日常的に行われることがないことを願うばかりである。
主よ我等を守りたまえ。聖母マリア、大天使ミカエル、聖ビアンネ、我等の為に祈りたまえ。
牧師達との共祝ミサではなかったかもしれないが、今後の参考のために以下の規定を信徒も知っておいて欲しい。
大阪の教会にとってはことさらに取り上げるほどの事件ではないが、それでも…
信者さんが「ほな、うちカトリック止めて仏教になる…」言うたら、神父さん、どないするねん?