長崎原爆の日:大震災・福島の2高校生「原発と根は一緒」
毎日新聞 2014年08月09日 12時24分(最終更新 08月09日 14時14分)
核兵器廃絶を訴える署名を国連に届ける高校生平和大使は9日早朝、長崎市内で開かれた平和集会の参加者に署名を呼びかけた。東京電力福島第1原発がある福島県沿岸部から選ばれた女子生徒2人も参加し、「一日も早く原発も核兵器もない世界を実現したい」と訴えた。
同県南相馬市の小高工高2年、石井凜(りん)さん(16)は、自宅が原発から約15キロの宿泊が禁じられた避難指示解除準備区域にあり、同市鹿島区の仮設住宅で暮らす。
中学1年の時に東日本大震災が発生。栃木県境に近い福島県西郷村に約8カ月避難した後、仮設住宅に入った。昨年4月に同高に入学したが、自宅近くの本校舎では学ぶことができない。サッカー場に建てられた仮設校舎は実習棟が離れているなど不便だが、電気関係の資格取得などに励む。
6日から初めて長崎を訪問し、爆心地から約800メートルで被爆し肉親を亡くした下平作江さん(79)から証言を聞いた。石井さんは「風化させないための活動が大切。私も福島のことを伝えていきたい」と誓った。
福島から選ばれたもう1人の平和大使、福島工業高専3年、本田歩さん(17)の自宅は原発から約47キロのいわき市にあり、現在も洗濯物を屋外に干さず、飲料水は市販のものにするなど、放射性物質の健康影響に気を使いながらの生活が続く。
中学1年の時に福島第1原発のPR施設を見学した時、案内係の職員から「原発は二重、三重に守られており、安全でクリーンなエネルギー」と聞いていただけに、事故には大きな衝撃を受けた。
約3週間、横浜市の親戚宅に避難したが、地元企業で働く父の希望もあり、いわき市に戻った。自宅近くには今も仮設住宅が並び、「被災地以外の人にとって3月11日は1年に1回だが、私たちは3月11日を毎日生きている」と考えている。
事故後、放射性廃棄物の処分や使用済み燃料の再処理など、原発を巡る問題を学んだ。長崎市では高校生らが開いた集会に参加し、「福島県では健康被害に脅えながら生活している人が少なくありません。原爆も原発も根っこの部分では同じではないでしょうか」と問いかけた。【樋口岳大、小畑英介】