以下の記事を読みました。最近はコミュニケーション能力が必要だと盛んに言われて,大学でもそのための教育が必要だと言われていますね。それもこれも就職活動のためでしょう。以下の記事ではコミュニケーション能力は相手との会話をスムーズに行う能力と考えているようです。
「コミュニケーション能力」と言った場合,「コミュニケーションスキル」と「コミュニケーションの中身」の問題が一緒に論じられていますよね。それらを「能力」とひとくくりにしたうえで,特に最近重視されているのは「コミュニケーションスキル」の方だと思います。しかし,この「コミュニケーションスキル」だけを鍛えても,中身が伴わなければただのうざい人になります。飲み屋にいる酔っ払いと変わりません。
また最近では英語に力を入れる大学が増えてきて,さらに「グローバル○○」もあり,中身よりもそのスキルを鍛えようという考えが多く見受けられます。こういうのも「コミュニケーションスキル」重視の流れを加速させているのでしょう。
もちろん「コミュニケーションスキル」を磨くことにマイナス面はないのですが,それだけになってしまうとダメです。大学時代,アメリカを一人で旅していた時,半年ぐらい留学していた東京外大の学生に「英語すごいしゃべれますね」と言われたことがあります。いえ,私,英語うまくありません。でも伝えたい内容があったので,それが伝わってコミュニケーションが成立していたんですね。「コミュニケーションスキル」なんてそんなもので,結局自分が興味があることであれば,話は通じるし「スキル」不足は乗り越えられます。
さらに「コミュニケーションスキル」に関して言えば,それは何も対面だけに限りません。学者に結構いるのですが,書いている文章は素晴らしいけど,会ってみると?みたいな人がいるわけです。この人大丈夫?という人に会って「これゴーストライターがいるんじゃない?」と思うこともあるのですが,書く文章は素晴らしい。そういうことってあります。
だから「コミュニケーションスキル」がないと考えている人は自分を表現できる手段を見つけること,そして「コミュニケーションの中身」を鍛えることが重要になるのです。そのためには相手を見てその能力を高めようとするのではなく,自分自身を見つめ直して自分の得意なものを何かを考えた方が楽だし大切です。
「でも企業に就職する時にコミュニケーションスキルが必要だよ」という方もいるでしょう。自分の得意とする分野でのみコミュニケーションが取れても仕方がない。しかも企業は面接だから対面の「コミュニケーションスキル」が必要。だから「コミュニケーションスキル」を鍛えて自分をよく見せたいのだと。でも自分が苦手とする分野でコミュニケーションを取ろうとしても,他の人よりもうまくコミュニケーションがとれるようにはなりませんし,そんな「スキル」はすぐに見破られます。
重要なのは自分の得意とする「スキル」や「中身」を鍛え,それが評価される環境を求めていくことです。環境にあわせるのではなく,自分にあった環境を探すこと。これがとても重要でしょう。
そうすることで今まで「コミュニケーション能力」がないとされていた人が,「コミュニケーション能力」がある人として評価されるのではないでしょうか?社会の「能力」に対する評価基準なんてそんなもので,相対的です。
以前ドラえもん見ていたら、昼寝が評価される社会ができて、のび太がスターとして扱われていた。能力がないと思われるのび太も社会が変われば評価されるんだよな。だから能力がないと嘆く人は、そんなの相対的なんだから社会の責任にしてしまって、やりたいように生きたら良いと思う。
— としぞう (@Gerge0725) 2014, 8月 8
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