帯裏に書いてある紹介文は以下の通り。
スターリンの評伝ということで、おそらく一般的な日本の読者が求めるのは「非道の独裁者の正体」といったところなのですが、上記の文章を読めばわかるようにこの本の内容はそれとはちょっと違います。
スターリンの生涯とたどりつつ、その政治的な業績を「ソ連(ロシア)史の中でどう捉えるか」ということが、この本の力点になります。
この本の終章の「ソ連国内の葛藤」という節に次のような文章があります。
スターリンが行った大粛清、農民からの過酷な収奪、少数民族への弾圧や強制移住、日本人のシベリア抑留をはじめとする外国人の取り扱いといった事を並べると、ヒトラーと並ぶ20世紀の「巨悪」というイメージしか浮かびませんが、ソ連(ロシア)という国家から見ると、彼は戦争を勝利に導いた指導者であり、祖国を救った人物でもあります。
この本では、そうした視点を意識しながら、できるだけ中立的にスターリンの生涯を辿ろうとしています。
まず、第1章から第3章では社会主運動に身を投じるまでのスターリンの足跡が描かれています。
スターリンに関しては、その後の残忍な政治手法から、子どもの頃から暴力的で家族への愛情もなかった人間として描かれがちですが、著者は丹念に資料を拾いながら、そうとは言い切れないことを示していきます。
ここで示されるのは母親の愛情を受け、詩を愛する、比較的平凡なインテリたらんとする少年の姿です。
また、スターリンが育った当時のカフカースの情勢についても比較的詳しく書かれており、カフカースのナショナリズムとロシアに起こった革命運動の動きが少年時代のスターリンに影響を与え、徐々に政治的活動へと彼を引きずり込んでいったこともわかります。
第3章から第5章は革命後の混乱の中でスターリンが権力を握るまで。
ここでは、スターリンが早くから民族問題と組織の問題に着目し、特に共産党の組織を抑えたことがスターリンの権力獲得につながったことが示されています。
また、スターリンは工業化のために農民から厳しい収奪を行い、それに反対するクラーク(富農)を徹底的に弾圧したことが知られていますが、このクラークへの弾圧がすでにレーニンによって指示されていたことも明らかにされています(107ー110p)。(しかし、レーニンの指示通りには実行されず)
こここら著者は、「まさにこの時期にスターリンは革命の最前線にあって権力と農民の対立を目撃し、レーニンから農民の抵抗に対処する仕方を学び、やがてスターリン自身が統治者になったときに、師の行動を想起したと考えられる」(110p)とも述べています。
第6章から第8章にかけては最高指導者になってから。
ここではスターリンの政治がかなり外的な要因に左右されていたことがわかります。
スターリンが農民からの収奪で重工業化を進めるために、有無を言わせぬ穀物調達を始めた背景には、独仏関係の改善によるソ連の孤立化、満州での日本の動きなどがありました。 スターリンは資本主義諸国が協力して反ソ行動に出ることを恐れており、その恐れが国内での強迫的な政策へとつながったのです。
さらにこの強迫的な政策は共産党内部へも向けられ、1934年のキーロフ事件をきっかけに「大粛清」が始まります。
著者はこの大粛清について「農業集団化の悲惨な結果が出発点としてあり、その責任を糊塗する過程」(203p)で起きたとする解釈が説得的だと述べていますが、大量の女性や東清鉄道の従業員など満州に関係した人間を含む大粛清は、それだけで説明できるものはないような気がします。
また、第二次世界大戦から冷戦にかけてのスターリンの動きも詳しく書かれているのですが、ここでもスターリンのある種の被害妄想的な側面が目につきます。
彼が第二次大戦終結後にまず心配したのはアメリカとの対立ではなく、ドイツや日本が復讐戦を挑んでくることでした。このためスターリンは1947年時点で、分割は再びビスマルクを生み出すという考えからドイツの分割に反対しています(239p)。
朝鮮戦争においても、当初、スターリンは朝鮮統一を訴える金日成の考えに否定的であり(264ー267p)、ソ連が第二次大戦の戦勝国となったものの、スターリン自身はソ連の行く末にかなり不安を抱いていたことが伝わってきます。
終章はスターリンの歴史的評価について。
ここでは最初に書いたようにソ連(ロシア)でのスターリン像の変遷と、その評価の難しさといったものがとり上げられています。
このようにこの本ではスターリンを「怪物」として描くのではなく、ソ連という国家の中でのひとりの政治指導者として描こうとしています。
だから「怪物」を期待する人にはやや肩すかしかもしれませんが、政治家の評伝としては面白いものになっていると思います。
ただ、スターリンひとりに焦点を当てているため、例えば、オルジョニキッゼ、モロトフ、ベリヤといったスターリンの側近がどんな人物だったかということはわかりません。こういった側近の肖像や、共産党内部の組織の力学のようなものがわからないと、やはり説明しきれない問題があるのではないかとも思いました(アーレントはスターリニズムを全体主義と捉え、その本質を「運動」だと考えましたが、その側面がこの本だとよくわからないと思います)。
スターリン - 「非道の独裁者」の実像 (中公新書)
横手 慎二

「非道の独裁者」―日本人の多くが抱くスターリンのイメージだろう。一九二〇年代末にソ連の指導的地位を固めて以降、農業集団化や大粛清により大量の死者 を出し、晩年は猜疑心から側近を次々逮捕させた。だが、それでも彼を評価するロシア人が今なお多いのはなぜか。ソ連崩壊後の新史料をもとに、グルジアに生まれ、革命家として頭角を現し、最高指導者としてヒトラーやアメリカと渡りあった生涯をたどる。
スターリンの評伝ということで、おそらく一般的な日本の読者が求めるのは「非道の独裁者の正体」といったところなのですが、上記の文章を読めばわかるようにこの本の内容はそれとはちょっと違います。
スターリンの生涯とたどりつつ、その政治的な業績を「ソ連(ロシア)史の中でどう捉えるか」ということが、この本の力点になります。
この本の終章の「ソ連国内の葛藤」という節に次のような文章があります。
スターリンなしに、ソ連はヒトラーとの戦争に勝てたのか。フルシチョフが評価を与えなかった1930年代の急進的工業化なくして、ソ連は第二次世界大戦を戦うことができたのか。この集団化と結びついた工業化は、スターリンがいなかったとしてもソ連共産党は成し遂げたのか。もし、そうだとすると、集団化が出した数百万人の犠牲者はどう評価すべきか。歴史の大きな転換点には、普通の人々が犠牲になるのは不可避なのか。(288p)
スターリンが行った大粛清、農民からの過酷な収奪、少数民族への弾圧や強制移住、日本人のシベリア抑留をはじめとする外国人の取り扱いといった事を並べると、ヒトラーと並ぶ20世紀の「巨悪」というイメージしか浮かびませんが、ソ連(ロシア)という国家から見ると、彼は戦争を勝利に導いた指導者であり、祖国を救った人物でもあります。
この本では、そうした視点を意識しながら、できるだけ中立的にスターリンの生涯を辿ろうとしています。
まず、第1章から第3章では社会主運動に身を投じるまでのスターリンの足跡が描かれています。
スターリンに関しては、その後の残忍な政治手法から、子どもの頃から暴力的で家族への愛情もなかった人間として描かれがちですが、著者は丹念に資料を拾いながら、そうとは言い切れないことを示していきます。
ここで示されるのは母親の愛情を受け、詩を愛する、比較的平凡なインテリたらんとする少年の姿です。
また、スターリンが育った当時のカフカースの情勢についても比較的詳しく書かれており、カフカースのナショナリズムとロシアに起こった革命運動の動きが少年時代のスターリンに影響を与え、徐々に政治的活動へと彼を引きずり込んでいったこともわかります。
第3章から第5章は革命後の混乱の中でスターリンが権力を握るまで。
ここでは、スターリンが早くから民族問題と組織の問題に着目し、特に共産党の組織を抑えたことがスターリンの権力獲得につながったことが示されています。
また、スターリンは工業化のために農民から厳しい収奪を行い、それに反対するクラーク(富農)を徹底的に弾圧したことが知られていますが、このクラークへの弾圧がすでにレーニンによって指示されていたことも明らかにされています(107ー110p)。(しかし、レーニンの指示通りには実行されず)
こここら著者は、「まさにこの時期にスターリンは革命の最前線にあって権力と農民の対立を目撃し、レーニンから農民の抵抗に対処する仕方を学び、やがてスターリン自身が統治者になったときに、師の行動を想起したと考えられる」(110p)とも述べています。
第6章から第8章にかけては最高指導者になってから。
ここではスターリンの政治がかなり外的な要因に左右されていたことがわかります。
スターリンが農民からの収奪で重工業化を進めるために、有無を言わせぬ穀物調達を始めた背景には、独仏関係の改善によるソ連の孤立化、満州での日本の動きなどがありました。 スターリンは資本主義諸国が協力して反ソ行動に出ることを恐れており、その恐れが国内での強迫的な政策へとつながったのです。
さらにこの強迫的な政策は共産党内部へも向けられ、1934年のキーロフ事件をきっかけに「大粛清」が始まります。
著者はこの大粛清について「農業集団化の悲惨な結果が出発点としてあり、その責任を糊塗する過程」(203p)で起きたとする解釈が説得的だと述べていますが、大量の女性や東清鉄道の従業員など満州に関係した人間を含む大粛清は、それだけで説明できるものはないような気がします。
また、第二次世界大戦から冷戦にかけてのスターリンの動きも詳しく書かれているのですが、ここでもスターリンのある種の被害妄想的な側面が目につきます。
彼が第二次大戦終結後にまず心配したのはアメリカとの対立ではなく、ドイツや日本が復讐戦を挑んでくることでした。このためスターリンは1947年時点で、分割は再びビスマルクを生み出すという考えからドイツの分割に反対しています(239p)。
朝鮮戦争においても、当初、スターリンは朝鮮統一を訴える金日成の考えに否定的であり(264ー267p)、ソ連が第二次大戦の戦勝国となったものの、スターリン自身はソ連の行く末にかなり不安を抱いていたことが伝わってきます。
終章はスターリンの歴史的評価について。
ここでは最初に書いたようにソ連(ロシア)でのスターリン像の変遷と、その評価の難しさといったものがとり上げられています。
このようにこの本ではスターリンを「怪物」として描くのではなく、ソ連という国家の中でのひとりの政治指導者として描こうとしています。
だから「怪物」を期待する人にはやや肩すかしかもしれませんが、政治家の評伝としては面白いものになっていると思います。
ただ、スターリンひとりに焦点を当てているため、例えば、オルジョニキッゼ、モロトフ、ベリヤといったスターリンの側近がどんな人物だったかということはわかりません。こういった側近の肖像や、共産党内部の組織の力学のようなものがわからないと、やはり説明しきれない問題があるのではないかとも思いました(アーレントはスターリニズムを全体主義と捉え、その本質を「運動」だと考えましたが、その側面がこの本だとよくわからないと思います)。
スターリン - 「非道の独裁者」の実像 (中公新書)
横手 慎二