☆千早美術館を設立しました。

ついに、念願の千早抄がスタートしました。けれど、まだ本文には至りません。
その前に、千早さんの水彩画やイラストの紹介記事をスタートしました。
千早さんは中学までは目が見えていました。
高校から、ノートの文字が見えなくなり、大きな大学ノートにマジックで書くようになりました。やがて、テストの文字が見えなくなり、盲学校に転校されたのです。
視力の低下の中、燃焼するかのように描き続けた絵でした。
その趣味も、視力障がいから失いました。
盲学校から、治療院(あんま)の設立へ‥
ある時から、「千早さんの人生を知りたい」と思うようになりました。
ひらがな御書を通じて、交流が深まり、私は千早さんの絵を見ました。その絵は、美しく、見事な色彩や形のものでしたからビックリしました。
千早さんのこの才能を発揮できなくなったこと‥
こころの葛藤もあったに違いありません。辛いことも沢山あったことでしょう。
けれど、千早さんは挫けることなく歩みました。
創価と共に、同志と共に‥
千早美術館は、その千早さんの中学時代のもの。
どうか皆さん、ご覧になってください。
きっと、千早さんのこと、尚一層、理解が深まることでしょう。
その千早美術館は、→
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