日中緑化交流基金による助成事業では、日本の民間団体と中国側カウンターパートが協力し中国各地で多様な活動を展開しています。これら助成事業の取り組みについて、各団体からご報告をいただいておりますので、その一部をご紹介します。
 
1 赤土の山が緑の山に
一般財団法人 日本友愛協会
事務局  羽中田元美
 
赤土の山が緑の山に
    ホテルから車で三時間、第八次植林訪中現場へと向かう。この現場を訪れたのは平成十六年の三月初旬、凍てついた河原に竹の苗木を植えた。
 寒い中、ほっぺを真っ赤にした小、中学生が、サトウキビをかじりながら一緒に植えていたのを思いだす。本当に寒かった。内心「この寒さの中で、しかも竹、活着は望めまい」と思ったのも事実だ。
 「着きました」と言われても、にわかには信じがたい。そこは草木の生い茂る立派な雑木林なのだ。その雑木林のなかほどに、見事な竹林を背に、記念碑が建っている。「あ、間違いなくあの現場だ」。訪れた一行が、皆感嘆の声をあげた。「あの竹が根付いたんだ!」。竹だけではなく、様々な木々が緑の葉を広げている。根元には背の低い木々が茂っている。現地の担当者が、植樹祭当日の写真を持ってきてくれていた。写っているのは、赤土のハゲヤマである。それが今は見事な林をなしている。「地元では、この現場の前の道を友好道路・友愛道路と呼んでいます」とのこと、自然環境保護、日中友好、双方が形をなして実現しているのを目のあたりにして、時間の力を実感した。
 
桉樹の森が出現
    第七次、第九次植林訪中鹿寨県の現場へ向かう。永年木々を管理保育している王さんが、嬉しそうに説明してくれる。桉樹(ユーカリ)は大きく育っている。皮は地元の人がせんじ薬に使って役に立っている。等々、何を話しても日に焼けた顔には笑顔が絶えない。
 確かに、六〇センチ程だった桉樹の苗は、スクスクと成長を遂げ、二〇メートルを超す大木になっていた。記念碑の周りは、見晴らせる丘だったが、今や森の様子を呈している。中には川手団長が抱えきれない太さになっている木もある。「感無量だね」と目を細めて木に耳を当て、木の声を聞いている川手団長の姿は、まさに中国からいただいた「環境爺爺」の称号そのものだ。
 
20cm程の苗が10mを超える木に 2006年2月植樹実施 2011年6月撮影
一般財団法人 日本友愛協会
 
山の字が消えた
    いよいよ第一次植林現場へと向かう。現場近くは、昨日大雨警報が出たり、洪水注意報が出たりしていたということだったが、朝から晴天、気温もぐんぐん上昇している。現場近くまで進んだが、昨日の雨の影響で道が土砂崩れでふさがれていて通れない。かなりの迂回をして何とか現場の山が見渡せる村に着いた。線路の向うに緑豊かな山が連なっている。「あれですよ」と指差された。そういえば、植林当時に人文字ならぬ、樹木文字で「中日友好」と山の斜面に読み取れていたあの文字の、それらしき雰囲気がある。ここより良く見える所があるとのことで、十分ほど移動、確かに中日の「中」の字は見えている。字は見えなくなっても、その分緑が増えている。村の人も列車で通る人も、十年間「中日友好」の文字を見続けていたに違いない。そしてだんだん読めなくなったとき、あたりは緑に包まれたのだ。
 
山に木で書いた中日友好の文字(2011年)周りの木々が大きく育ち、その面影を残すだけになった。 2011年6月撮影
一般財団法人 日本友愛協会
 
最後に
    毎日現場の木々を手入れしてくださっている方々、日本から来てこの村に植林をしていった人がいる。そのことを教えている小学校、中学校の先生方、自分たちのこととして喜んでいる村の人々、色々な人に支えられて木々はますます大きくなる。川手団長の挨拶にもあった「緑が広がることが、日中友好の広がりです」を実感した。
 日本・中国の双方をつなぐ役割を果たしている日中緑化交流基金の存在は、樹木が枝を伸ばすように、日中の握手の手となっている。十年の歳月、始める勇気、実行する力、継続していくことの大切さを緑の木々に教えられた。
 

 
2 「赤城県土壌保全林及び水源涵養林造成事業」
一般社団法人 日本森林技術協会
国際協力グループ 西尾秋祝
 
 当協会は、2000年から日中民間緑化交流事業に参加してきました。2006年からは河北省張家口市赤城県で実施しており、この秋に5年目を終了しました。最終年度である来年の植林を確実に行うためにも、これまでの5年間を振り返りつつ、ここでの植林について紹介します。
 赤城県は、北京市の北方約90kmにあります。年平均気温5.6度C、年降水量は430mmです。一帯は、建築用材や薪炭材利用のため伐採が進み、また遊牧民族の支配を受けたこともあり森林の荒廃が進んだとも言われています。更に、近年は山地での農地開発により森林荒廃に拍車が掛かってきました。その結果、赤城県の森林率は18.5%までに低下しています。
 植林対象地を含め周辺一帯には、人の背丈にも満たない灌木や草はありますが、未立木地となっています。平坦地や緩傾斜地には黄土が厚く堆積していますが、雨が6月から8月にかけて集中しますので、黄土が浸食され、いたる所に深いガリーが出来ています。このような自然環境ですので、森林を早急に回復して、水土保全機能を高めることが強く求められています。
 これまで、河北省林業局、張家口市林業局、赤城県林業局との連携と、地元住民の参加を得て植林を進めてきました。植林樹種は、油松、カラマツ、沙棘です。なお、地元住民が希望する山杏、文冠果といった果樹もあります。これらのうち、2011年には、油松、カラマツ、山杏を合計60.5haに植栽しました。これらの樹種を立地によって単一樹種、あるいは混植で行っていますが、混植の場合には、7:3の割合です。植栽間隔は2m×3m、ha当たりの植栽本数は約1,670本です。植付け前に魚鱗坑を作っています。その窪地に植えることで、少ない雨を有効に活用し植栽木の成育を促しています。林業局によると以前は裸苗が多かったようですが、近年は厳しい環境下でも活着率を上げるためにポット苗を使っています。なお、油松など松類は、菌根が重要ですので、当協会ではその点に留意するように指導しています。なお、ポット苗は土を一緒に運んでいるようなものです。運搬作業は重労働ですから、トラックから降ろした先はロバで運搬します。
 
ロバによる苗木運搬
一般社団法人 日本森林技術協会
 
 山杏は種子を直に土中に植える直播きです。ガリーの拡大を防止し、植栽地を保護するために簡易な土盛りによる谷止工も毎年施工しており、今年は10基を作りました。
 当該地が寒冷であり、降雨量も少ないことなど自然条件は厳しく、植栽木の生育は決して早くはありませんが、これまで植えた樹木は確実に成育しています。将来、この地域が森林に覆われ水土保全機能を果たすことを期待して、来年も中国側と連携して計画どおりに植林を進めたいと考えています。なお、当協会では2013年以後、赤城県の次には河北省唐山市での新たな植林事業を検討しています。
 

 
3 日中交流の苗木を大樹に育てよう。
日中科学技術協力会議
代表理事 中馬弘毅
 
 日中科学技術協力会議は1992年設立以来、日中両国で相互に地域開発や、エネルギー・環境・福祉等をテーマにシンポジウムを開催し、また、両国の人的交流に尽力してきました。
 日中緑化交流については2003年からスタートし、これまで進行中を含め6か所の事業に携わっています。
 現在までに完成した植林面積は1313ha、完成植樹本数は約229万本になりました。植林の成果はそれぞれ効果を現わしつつありますが、何よりもそれぞれ地域での人と人とのつながり=交流の輪が広がるのはほんとうに素晴らしいことだと思います。殊に植林をする場所は当然ながら都市から離れたいわゆる山村であり、観光地でもありません。そこは当地の住民も、はじめて日本人を目の当りにするようなことなので、植樹記念式典には村人あげて参加し、歓迎、歓迎と心温まる状況が展がります。中国という広大な国ではありますが、植林にかぎらず地方においてもこのような交流の輪が拡がれば、両国の親近感はもっと密接になると、その都度実感する次第です。
 今年は青海省湟中県拉鶏山での事業式典が7月17日に行われ、これに参加しました。地理的にも青海省は中国の大河、黄河と長江の源流地で、昔は森林におおわれた緑豊かな土地だったとか、それが今では累々たる禿山・・・黄河が枯れてきたのもムベなるかなと思いました。
 
2011.7.17 着工式典時の記念写真
日中科学技術協力会議
 
 その式典での私の挨拶は「ここに皆様といっしょに植えた木が皆さまのご努力で大きく育ち、30年〜40年後には、キツネやリスなど小動物が走り廻り、小鳥たちがさえずるすばらしい森になっていることを願い、楽しみにさせていただきます」というものでした。
 中国各地でこのような交流と将来に向けた展望が開けることは、「日中緑化交流基金」の意義が如何に大きいか、あらためて認識させられる次第です。
 

 
4 中国・甘粛省八歩沙林場における沙漠緑化の実情調査
(特)草炭緑化協会
理事 中村作二郎
 
残存白樺の大木
(特)草炭緑化協会
 
1:沙漠緑化の今後に関するイメージつくり
    当協会は甘粛省武威市馬路灘地区などにおいて沙漠の安定化・緑化のための研究調査および植林の実践を行ってきた。この地域は、中国で4番目に大きい騰格里(トンゴリ)沙漠の南縁にあり、平均標高1200m、沙漠の70%は多くが移動砂丘である。しかしながら当地域における緑化・植林の歴史はまだ浅く試行錯誤の段階にあると言っても過言ではないだろう。その中で八歩沙における地元団体による緑化活動は30年近くの実践経験がある先駆地であり中国中央政府からも高く評価されている。
 我々が今後本地域で緑化活動を進める上で将来の緑化結果をどのようにイメージするかその姿を想定するために八歩沙における実績調査は重要であると考え、まだ僅かな資料しかないが取りあえず今までに収集したデータを報告する。
 
2:河西回廊と砂嵐(砂塵暴・黒旋風・砂嵐・黄砂) ─ 砂丘移動による実害の例 ─
    砂丘の移動は農地を破壊し集落をも埋め尽くす威力を発揮する。
 河西回廊は砂嵐・黄砂の発生地帯であり西風に黄砂が乗り朝鮮半島、台湾、遠くは日本にまで到達する。我が国への砂だけの到来であればそう恐れることはないが昨今の中国の工業化による有害化学物質や家畜などの病原菌なども共に飛来しているのではないかとの疑いもあり、日本にとっても他人事ではない。
 
3:八歩沙治沙造林 ── 沙漠拡大との戦いの歴史 ── 八歩沙の荒廃・沙漠化の速度
    1)八歩沙はまさに河西回廊の中央部に位置する。かつてこの地域はみどり豊かな土地であったが、たかだかここ100年程度の期間に大きなマイナスの環境変化が起こりこれとの戦いが今行われている。
 八歩沙での雨量は近年大きく変わり、1950年代までは年間降水量が600mmあり、地下水位は80mであったがわずか50〜60年の間に降水量は200mmに減少し、地下水位が200mまで降下し沙漠化したとのこと。清朝時代には降水量1,000mmあり、緑豊かな森林を形成していたそうである。その頃の残存白楡の大木などをわずかに見ることができる。
 
 2)八歩沙 植林20数年経過後
 鬱蒼とした森林とはとても言えないが植生としては十分に回復している。高木としては白楡、沙棗などの小林分が形成され、灌木としては花棒、沙拐棗、寧条などの群叢が出来ている。このように地表が安定してくると様様な草本も自然侵入してくる。より安定化が進行し、砂丘の移動はない。昆虫やトカゲなどの小動物も見られ、生物多様性をもつ生態系が生まれていることがわかる。
 
4:植生の解析
    白楡の林分:回復した植生地に定点を設け調査しているが下記はそのうちの一例である。立派に成長している20数年生の林分である。砂丘の頂部に発達しているのがすこし不思議だが、樹高7mに達し葉張りも5mにもなっている個体がある。
 
白楡の林分
(特)草炭緑化協会
 
林分投影図
(特)草炭緑化協会
 
5:まとめ
    本調査により、騰格里沙漠の沙漠化フロントエリアでの緑化・沙漠安定化作業に関し近未来:10〜20年程度の結果に対する一定の定性的イメージを得ることは出来たと思う。しかし、今後の課題も多い。すなわち次のようなテーマの追求が必要だろう。
 
 (1)定性的高評価は間違いないと思うが、定量的な評価(地域エリアとしての沙塵暴防止・沙丘移動防止など)
 (2) 緑化生産物の利用の可能性
 (3) 更に長期未来に向けての持続可能な環境保全のイメージの確立
 (4) これらに向けての技術・経営のあるべきすがた
 

 
5 甘粛省合作市での緑化交流事業
NPOアジア交流センター
理事長 野中一秀
 
 NPOアジア交流センターでは、2009年から甘粛省合作市において緑化交流事業を実施してきました。
 合作市は青蔵高原東北地帯にあり、プロジェクト実施区は黄河上流水源涵養地域と補給地域に属します。この十年余り、この地域における地球温暖化、人口増加、牧畜業の急成長、土地の過剰開発、人工的な森林破壊や無計画伐採等がなされ、合作市の水源補給区が脆弱になり、生態環境は急激に悪化をしてきました。
 合作市を流れる洮河、大夏河、黒河、格河、合作河は急激に水量が減少し、風と砂の浸食がひどくなり、水土流出も激しくなったため、草原、森林の涵養生態機能を失いました。
 このような情況が改善されない限り、黄河水源と中下流域にも悪影響を与えることになります。そのため合作市は当該地域の植林と緑化に重点をおき、2000年より緑化事業に全面的に取り組んできました。市民は積極的に緑化活動に参加し、毎年約5万人の住民がボランティアとして植林作業に参加をし、「全民緑化」運動を実施してきました。2009年は、日中緑化交流基金の助成事業により、合作市の山里100haの緑化プロジェクトを実施しました。この緑化事業の実施により黄河上流の水源補給機能の改善、生態環境改善の礎をつくることができました。
 今後も、この事業を通して日中両国間の経済、文化、生態、環境保護及び民間組織との積極的な交流を行うことで自発的な環境保護運動に繋げられるよう支援をして参ります。
 
甘粛省合作市植林地
右より中国国際青年交流中心の賈棣鍔氏、于泊寧氏、野中一二三 一行団
NPOアジア交流センター
 

 
6 緑の絆
財団法人 日本生産教育協会
理事長 浅野秀満
 
 重慶は大河長江と嘉陵江の合流点にあり、春秋戦国時代から長江を利用した水上交易の中心地として知られる。三峡クルーズの下りの拠点としても有名だ。
 人口約2900万人(2010年)。北京、上海、南京に続く中国4番目の大都市であり、直轄市となった。その西端に唐末期から南宋にかけて造られた70余りの石窟は1999年にユネスコの世界文化遺産に登録された。その間に峨々たる山脈が長江と共に広がり、森林と農村地帯を成している。縫うようにして国道が走っており、自然と景勝地が連なる一帯だ。
 
 現在、当協会が植林事業を3カ年計画で進めている重慶市南川区地域はその国道沿いにある。標高数百メートルの小高い丘陵に向けて何十キロも何百キロもの広い森林が広がっていただろうと、想像できる一望が続く。
 
 それが、近年の森林火災や伐採で緑が奪われ荒々しい地肌の大地を見せている。
 点々とある民家も農家も美しい自然の中にあった以前と比べ、さぞ住民たちは苦労しているだろうと思った。やせて立ち枯れた樹々も散見される。近くの農家の集落を訪ねると、どこでも子供や老人たちがいた。昼間だったので、大人たちは仕事に出かけているらしかった。放し飼いの豚や鶏、犬たちが周囲に声を上げて走る。赤ん坊の泣き声もした。
 
 集落のはずれの畑地沿いに、水路が造られ滔滔と用水が流れている。音をたてて、幅1メートル、高さ1メートルほどのコンクリート壁で造られた灌漑用水が延々と長く続く。そこから、汲み上げて一帯に水を撒く人たちの姿もあちこちにあった。
 森としては機能が奪われかけた大地に森を復活させ、その、すそ野に農地を再生させようという願いが込められているのだろう。営々と、果てしなく続く人間の営みの原点を教えられる気がした。
 
 私たちは現在、日中緑化交流基金と両国政府の支援で2010年から2012年の3年間に亘って南川区水江鎮古城に190haの日中友好記念基地の建設を計画した。
 
 2010年度には50haの実施地に83000本の楓香、桉樹、銀荊の植林を行った。完成した造林地を地元の300戸の農家にバトンタッチした。立ち枯れた植木の多くは金木犀に植え変えたりした。地元農家には漢方薬の原料として使えるので大変歓迎されているという。農産物に代わる現金収入が期待できるとかで思わぬ“枯れ木の功名”だ。
 
 地元の人たちも、植林事業に積極的に参加するようになり、植林指導に協力してくれる南川区林業局や青少年交流機関の人たちの「緑の輪」が広がり大きくなり、日毎に「緑の絆」が強くなっていく。来年度にかけては地元の人たちの積極的な参加が、協力がエネルギーとなって、植林地を更に20ha増やして、70haとする計画だ。(2011年11月記)
 
浅野秀満理事長による現地調査 平成23年6月
財団法人 日本生産教育協会
 


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