統合失調症遺伝子が創造的価値を生む
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天才と分裂病の進化論 The Madness of Adam & Eve – How Schizophrenia Shaped Humanity |
デイヴィッド・ホロビン(英国分裂病協会医療顧問) David Horrobin |
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金沢泰子(新潟国際情報大学講師) | |
新潮社 | |
ISBN4-10-541901-3 | |
2002/07/30 | |
¥1800 | |
目次 | |
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文献 | |
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内容
- アラキドン酸は脳の乾燥物質の約八パーセントをしめ、すべてリン脂質の二位にある。[P.101]
- ホームレスになった分裂病症例[P.132-135]
- 精神分裂病患者の1割から2割が病気の進行の過程で自殺をはかる。[P.151]
- 分裂病の病像が一番おだやかな国々は、最も発展の遅れた国々であった。病像の評価が最悪だったのは西洋の工業国家である。[P.153]
- 会社ではIT部門、情報部門、会計部門に分裂病型人格が殊のほか多いように思われる。[P.163]
- 二人がともに分裂病である一卵性双生児は四十パーセントから五十パーセントである(一致)。[P.172-173]
- 一方が分裂病の二卵性双生児における分裂病発症の危険率は、一人が分裂病の一般の兄弟とほぼ同じ十パーセント前後である。[P.173]
- 分裂病患者の子供たちが音楽に並外れた能力を示す率はきわめて高く、十五パーセントにものぼる。[P.178]
- 偉人な業績をあげた人物が分裂病であることはほとんどないが、多くはあきらかに分裂病型人格である。[P.182]
- 作家の三割から六割が深刻な双極性障害である。[P.183]
- 分裂病患者はめったに関節炎にならないし、関節炎患者に分裂病はあまりみられない。[P.188]
- 分裂病患者は痛みを感じないようだ。[P.189]
- 誇大妄想や地位妄想などが痴呆や狂気に先だってあらわれる。[P.190]
- 高熱時には精神症状が改善するようだったが、熱がさがるとまた悪化する。[P.192]
- 精神分裂病プロスタグランジン欠乏症説[P.196-198]
- E・C・ドーハンは一部の分裂病患者において、穀物の消化が症状の悪化をもたらすことに注目した。[P.234]
- グウィネス・ヘミングスは英国分裂病協会の会員に特定の穀物を摂らないように助言し、個々の症例について好結果をえている。[P.234]
- γリノレン酸は分裂病症状にも遅発性ジスキネジーにも効果があった。[P.261]
- EPA療法による精神分裂病の完治例[P.264-267]
- 必須脂肪酸を与えないと、動物の歯の多くが虫歯になる。それとは対照的に、必須脂肪酸を与えた動物は虫歯にならない。[P.279]
ホームレスになった分裂病症例[P.132-135]
六年ほど前のことだ。
二十五歳の私は資格をとり、美容師として働き始めた。
地元の大学でビジネス経営の学位コース二年目を終えたところでもあった。
夢は美容チェーンを経営することだ。私は有頂天だった。
声がきこえはじめたのはその頃だ。最初の入院。
月経痛がおきるたびに声がきこえるようになったが、
月経痛との関係は定かではない。
頭のなかで誰かが喋っている。私だけがのけ者だ。
ひっかくような音、ささやき声、大きな叫び声のこともある。
心は乱れ、考えることができない。
ついに何もできなくなってしまった。
他人や自分を傷つけろと声が命じる。
正気を失ってしまうのではないか。
恐怖で絶望的な気分になる。何日も泣きつづけた。
最初に声が聞こえたときは酔いつぶれるまで飲んだ。
ひどい二日酔いで目覚めると、
声は前にもまして大きく雷鳴のように響く。
私はまた飲みはじめる。
酔っても声が消えることはないが、あまり苦痛ではなくなる。
それが嬉しかった。何日も声との戦いがつづく。
やがて耐え切れなくなり、私は酔いどれの薄汚い失業者になった。
母親の家で自殺をはかる。
幸運にも母と妹に発見され、郡の救急病院に運ばれ、
そこから郡の精神病院に送られた。
恋人のところにころがりこむと、
ほどなく例の声が仕返しにやってきた。
眠れない。集中できない。憔悴し、恐怖と絶望感におそわれる。
望みはひとつだ。一人になりたい。
他人といるのは嫌だ。酔いつぶれるまで飲むか朝まで寝ない。
目覚めは早く、周囲の人間はたまらない。
普通の時間帯で生活する人にとっては迷惑な話だ。
恋人とは絶えず喧嘩だ。
酔いつぶれるまで飲み、憂鬱を軽くしたい一心で、クラックを吸う。
クラックをやったあとはさらに落ち込む。
苛立ちがつのり、些細なことでも爆発しそうだ。
恋人もお手上げで、私はついに路上に放り出された。
精神的な問題に麻○。母や妹たちも私をひきとることを拒んだ。
こんな問題を抱えた人間に仕事などとうてい無理だ。
選択の余地はない。分別があればそんな人間をやとったりはしない。
私はホームレスになり、路上で生活するようになった。
寝場所、暖かい食事、酒と麻○を得るために体も売った。
麻○ほしさでやったことは想像を絶する。
梅毒を移され肝炎になり、HIVに感染した。
ホームレスのシェルターに抗精神病薬を置いてきてしまった。
再び大声がきこえはじめると、酔いつぶれるまで飲み、
ひっきりなしにマ○○○○を吸った。
衝動が抑制できない。クラックのせいで自制がきかない。
風体などどうでもいい。髪をすくこともなくなった。
何日も風呂にはいらず、歩きまわって意味不明なことを大声でわめく。
見るに堪えない姿だ。
ハロウィーンの夜、玄関にやってくるお化け――
美容師だった私のはれの果てだ。
男たちが妹や姪を殺そうとしていると思い込んだ。影が動き形になっていく。
人が近づいてきて私をじっとみつめる、誰もいないのにそう思った。
悪魔がやってくる。モーテルでクラックを吸いながら悪魔を見た。
五日間、昼夜クラックづけで、酒を飲み、
心臓が今にも爆発するのではないかと思うまで眠らなかった。
妹の家へ行き、包丁をもって妹の友人を通りまでおいかけた。
彼女が悪魔に変わったと思ったのだ。
警察がやってきて私を逮捕した。
刑務所は二度目だ。警察には顔が知れている。
私は郡の救急病院に送られ精神病院へ戻った。
今度はまったく別人になった。野蛮な悪魔だ。薬も拒否した。
病院の職員と敵対し、少しでも気に障ると悪態をつく。
私がいらだつので、家族も面会に来なくなった。
こんな私をみるのは家族もつらい。
肉親が精神に異常をきたした経験がない人には理解できないだろう。
重圧とストレスで家族も傷つく。
他の患者が私のアイスクリームをこぼしたと思いこみ、癇癪をおこす。
アイスクリームなどはじめからないのだ。
可愛がっていた甥を殺してやると怒鳴りちらす。
一人にしてほしいと職員に襲いかかろうとさえした。
何時間も立ち尽くし空をみつづける。
着替えにも、入浴にも介助が必要だった。
簡単なことすら繰り返し教わらなくてはできない。
促されなければやらない。
アスピリンを一瓶盗みだし、全部飲んで再び自殺をはかった。
発見され胃洗浄を受ける。
どん底というものがあるとすれば、まさにどん底だった。
これが精神に異常をきたすということなのか?
自分がどん底にいるということはわかっている。
でも、自分では何も出来なくなってしまう。
確かに病気がそうさせてしまうのだ。
精神分裂病プロスタグランジン欠乏症説[P.194-198]
分裂病患者はめったに関節炎にかからない。
彼らはあまり痛みを感じない。
病気で熱がでると精神症状が改善する。
これらにはどのような関係があるのだろう。
友人から分裂病の弟の世話について助言を請われたとき、
私ははっと気付いた。
患者はコレステロール値が高かった。
現在のようなコレステロール低下薬があらわれるずっと前のことだ。
当時、コレステロールを下げる最良のものは
ビタミンB複合体のニコチン酸(ナイアシン)であった。
通常、ナイアシンは一日数ミリグラムしか必要ではない。
その量でコレステロールは下がらない。
一回数グラムを一日数回服用すると、
コレステロールを低下させる効果がある。
ナイアシンの主な問題点は、
その服用量でほとんどの人にひどい顔の高潮がおきることである。
ところが、意外なことに、何もおきなかったのだ。
予想された紅潮はあらわれず、何もおきない。
私はびっくりして理由を考えつづけないわけにはいかなかった。
分裂病患者の治療に高量のナイアシンをつかっていた
エイブラハム・ホッファに電話をかけた。
患者がひどく紅潮することなどめったにない、
彼は確信をもって答えた。
私はあのひらめきの瞬間、
カチッと音を立てて謎が解けた瞬間をあざやかに覚えている。
モントリオールでのことだ。
すべてが凍りつく二月、すばらしい快晴の日。
気温は零下二十度だった。
当時勤めていた臨床研究所から、
マッキンタイヤビルにあるマッギル医学図書館へと歩いていく途中だった。
市街を見下ろす道から遠くにセントローレンス川が望める。
凍りついた川面は太陽の光をうけきらきらと輝いていた。
なぜ分裂病患者にはそれらが起きなかったのだろう。
全くわからなかった。
しかし、すべては一緒に説明できることだったのだ。
患者はなぜ紅潮しなかったのか、私は突然悟った。
最も可能性のある原因は、アラキドン酸に問題があったからだ。
アラキドン酸そのものと、
アラキドン酸からプロスタグランジンへの変換に問題があったのである。
十分なアラキドン酸が遊離されなかったとすれば、
あるいはそれがプロスタグランジンに変換されなかったとしたらどうだろう。
これこそ患者が予測に反して紅潮しなかった説明になる。
ほかの現象もこれで説明できるであろう。
人体は炎症反応をおこすことによって傷害に対抗する。
アラキドン酸はそのために必要な物質である。
紅潮、苦痛、腫れは外傷や感染のあとに起きる。
それらはリン脂質からのアラキドン酸の遊離および
アラキドン酸のプロスタグランジンへの変換によってひきおこされる。
ヒドロコルチゾンクリームのようなステロイド剤は、
リン脂質からのアラキドン酸の遊離を阻害することにより
抗炎症薬として機能する。
非ステロイド剤性抗炎症薬、
アスピリンやイブプロフェンなどは、
アラキドン酸がプロスタグランジンへ変換されるのを阻害する。
分裂病患者が関節炎にならないのは、
アラキドン酸が遊離されない、
あるいはアラキドン酸がプロスタグランジンに変換されないからである。
分裂病患者が「正常に」苦痛に反応しないこともそれで説明がつく。
身体が苦痛に反応するためには、
脳と外傷の部位におけるアラキドン酸の遊離が必須なのである。
発熱中のおどろくべき精神症状改善についてもこれで説明がつく。
高熱はリン脂質からアラキドン酸を遊離させるもっとも強力な刺激なのである。
発熱時には、細胞膜からアラキドン酸が遊離し、
感染や他の有害物質に対して身体を守るのを助ける。
生理学的にいえば、
身体のすべてのシステムが正常に機能するためには、
コンスタントに低容量のアラキドン酸を遊離し、
プロスタグランジン生合成をつづける必要がある。
分裂病患者ではこの正常な低レベルの遊離がおこらない。
あらゆる種類の身体システムが正常に機能しないのだ。
<中略>
私は「プロスタグランジン欠乏症としての分裂病」という論文を書き、
世界でもっとも権威ある雑誌のひとつ、「ランセット」に送った。
意外にも、論文は受理され、大した騒ぎもなく予定どおり掲載された。
私は期待していた。世界中の人々がそれを読み、
すぐに同じ考えで研究の方向を変えるだろう。
五年以内に分裂病という恐るべき病気に対する
あらたな治療法ができるかもしれない。
そう思った。だが、なんと浅はかだったことか。
論文とその後のさまざまな追跡調査にたいする反応はまったくなかった。
私の指摘した点に興味をもつものは誰もいなかった。
資金援助の申請は、公私をとわずすべての助成団体から拒絶された。
学会に論文を提出するたびに却下された。
採用されても発表はプログラムのおわり、
ほどんどの出席者が帰ってしまったあとだ。
だれも私の意見を聞きたがらず、
研究資金を出してくれるものもいなかった。
頭のいい変わり者、とっぴな説で皆を退屈させる異端者――
私に張られたレッテルだ。
何がいけなかったのだろう。もちろん今ならわかる。
この種の扱いは科学者、
医者、製薬会社にとってはまったく普通のことなのだ。
EPA療法による精神分裂病の完治例[P.264-267]
精神科医アレックス・リチャードソンは分裂病と分裂病型人格、
独自障害の関係を研究していた。
アレックスはロンドンのチャリングクロス病院医学校で働いており、
研究のいくつかをベイサン・プーリと協同で行なっていた。
プーリはグリーム・ビーダ教授によって運営されている
ハマースミス病院王立医学大学院のMRIユニットで働く精神科医である。
アレックスとベイサンはジョナサンという患者を担当していた。
彼は三十一歳で、十九歳のときに分裂病を発症し大学を中退した。
彼はたった一度の抗分裂病薬の投与で、
ひどい逆行反応を経験し、二度と薬はのまないと誓っていた。
十年間ロンドン中をさまよい、
典型的な職のない分裂病患者の生活をしていた。
チャリングクロス病院の長期研究プログラムに応募し、
過去二年間、定期的にアレックスとベイサンの診察を受けている。
プログラムの二年目に、
彼は六ヶ月ごとにハマースミス病院でMRI検査をうけることに同意した。
三つのスキャン画像は若い分裂病患者に共通のパターンをしめしていた。
脳質という脳内の液体にみちた空間が徐々に、
しかしまちがいなく大きくなっていた。
これは脳の組織が徐々に失われていることを意味していた。
分裂病ではこれが生涯にわたり着実に退行をひきおこす。
すべての患者におきるわけではないが、かなりの患者にこの喪失がおきる。
アレックスとベイサンはマルコム・ピートが
エイコサペンタエン酸を豊富に含むキルナールの効果について話すのを聞いた。
ジョナサンにキルナールをためしてみるよう説得できないかと二人は考えた。
ジョナサンは標準的な抗精神病薬は敵意を抱いていたから、
彼らは注意深く説明した。
キルナールは魚から抽出されたもので、
人間の脳にも存在する物質であるが、
分裂病患者には通常より多く必要かもしれないと説明した。
アレックスとベイサンを信頼していたジョナサンは、
よく考えたすえ実験に同意した。
彼には一日八グラムのキルナールが与えられた。
その量で純粋なエイコサペンタエン酸二グラムを摂ることになる。
彼は四週間ごとに評価のために来院することになった。
四週間後、標準分裂病評価スケールに基づいた評価では
あきらかな効果は認められなかった。
妄想、幻聴、全般的な無感情にも変化はない。
しかし、特定はできないが何かが改善しているとアレックスは感じた。
ジョナサンは前より健康そうに見えた。
皮膚も髪の状態も改善した。
まだ、キルナールは役にたたないと結論を出すことはできなかった。
八週間たつ頃までに、ジョナサン、アレックス、ベイサンの三人は
何か重要なことがおきていることを知った。
あきらかにジョナサンは良くなっていた。
あらゆる評価スケールでスコアが改善し、外見も変わった。
元気そうで人生にも興味をいだいていた。
妄想が劇的に減り、幻聴もすくなくなった。
アレックスがジョナサンに興味を抱いた大きな理由は
彼が分裂病であると同時に読字障害であったからだが、
読字障害のテストでも彼は改善していた。
今では難なくジョナサンにキルナールを続けるよう説得することができた。
続く十二ヶ月間でジョンサンは徐々にすべての面で改善した。
発病から十二年たっていたが、標準分裂病評価スケールのスコアは、
正常の平均よりいくらか上という程度にまで改善した。
彼にはじめて会った人は、
多少変わっているが分裂病とは思わなかったし、読字障害も大いに改善した。
彼は大学にもどろうと考えはじめた。
エイコサペンタエン酸摂取を始めて三年たった現在、彼は勉学にもどっている。