母子の人権と尊厳を踏みにじる行為に驚かされる。

 オーストラリア人夫婦がタイで代理出産を依頼した。ダウン症の男児を含む双子が生まれたが、夫婦はその男児だけ引き取らずに帰国した。

 その身勝手な振るまいに国際的な批判が起きている。救われるのは、産んだ女性が男児を育てると表明し、世界中から支援が寄せられたことだ。

 このケースは第三者の女性に受精卵を移植し、妻に代わって出産させる代理出産がはらむ問題の根深さを突きつけている。

 妊娠・出産にリスクはつきものだ。代理母の女性が重い後遺症を負ったり、死に至ったりすることもある。「自分の子」をもつために、そんな負担を他人に背負わせることが許されるかという本質的な問いがある。

 また、いま行われている代理出産の多くは報酬を伴う。豊かな国から貧しい国へ代理母を求める動きには、経済格差を背景にした搾取の性格が否めない。

 国際的な代理出産の全体像は見えにくく、同様のケースがほかにもあるかもしれない。代理母が赤ちゃんを手放さなかったり、引き渡した子と依頼人夫婦に血縁がないとのちにわかったり、トラブルの芽は無数だ。

 よその国のこととも言っていられない。日本人夫婦が海外で代理出産をしだして20年以上たつ。当初の米国から、報酬が安いタイ、インドなどアジア諸国に行き先が移っている。

 08年には、日本人男性が依頼した代理出産によりインドで生まれた子どもが、出国できなくなったケースが表面化した。

 深刻なのは、代理出産の規制で日本が大きく遅れていることだ。政府は2000年代以降、禁じる考えだったが、法案を出せずにきた。禁止は政府の専門委員会、学会などが打ち出しているが、これ以上、議論を遅らせるべきではない。

 代理出産という手段をとるのは親の都合だが、出産前後に何か問題が起こると、窮地に立つのは常に子どもだ。子の側に立ったルールを求めたい。

 ただし、たとえ立法がされても、海外での実施を防ぎきるのは難しいだろう。生まれる子どもや代理母が窮地に陥らないよう、関係政府間で調査し、対策づくりで協力できないか。

 自民党内には、秋の臨時国会に生殖医療をめぐる包括的な法案提出をめざす動きがある。

 素案は代理出産を子宮がない場合など条件つきで認めているが、社会の議論は追いついていない。科学的知見や市民の価値観に根ざした検討が必要だ。