週末になってやっと時間ができ、Newsweekもゆっくり読むことができました。毎日とても忙しいし、凄く疲れる!って全然関係ありませんが。
まずはこちら。
【世界で増殖する差別と憎悪】
最近この女性、フランスの政治家、マリーヌ・ルペン。隣にいる男性は、オランダの政治家ヘルト・ヴィルダース氏。二人は差別的な価値観を共有し、欧州連合を引っ張っていこうと目論んでいるようです。ルペン氏の父親は、国民戦線初代党首のジャンマリー・ルペンということですから、彼女は筋金入りの極右派ということでしょう。イル・ド・フランス圏でこういう勢力が拡大してくると、怖いものです。首都は最も中立的な場所でなければなりません。
今蔓延する差別主義。これには、「人々の寛容さの欠如」が原因の一つとして挙げられています。私たちは常に自分とは違う文化と隣り合わせで、互いを尊重して生活する能力があるはずです。勿論肌の色も関係なく・・・団体競技のスポーツなどを見ると、白人も黒人も同じチームにいます。しかし、「自分とは違う」ものに対して私たちはストレスを感じるようになってきている。ヨーロッパは全体的に経済危機状態がまだ続いています。鬱積したものを何かに転嫁し、ストレスをぶちまけたい。要するに、人々の幸せ度が下がるとストレスが溜まって攻撃的になり、それが互いを憎悪する「差別」という意識に結びついてしまうのだと思います。
そして、私たちにとって身近なメディアが、それらの憎悪を煽る。私たちは自分に都合のいい情報だけを簡単に抜き取る手段をすっかり身につけました。ネットに確かなものなどない、ということを心のどこかでわかっていながら、ネットに蔓延する憎悪に共感してしまう。今は情報伝達のスピードが飛躍的に上がりました。もう、伝聞の時代ではなく、情報は一瞬にして世界を駆け巡る時代です。だから、何一つ吟味されていない情報が垂れ流し状態で、ネット上が無秩序な場になっている、そして私たちがそれに汚染されているのです。ネットに洗脳された私たちもまた無秩序に、何一つ思考することなく、憎悪の感情に走ります。だから、世界経済の危機とソーシャルメディアの在り方が、ヘイトスピーチなどを助長する原因になっているものと思われます。
ルペン率いる国民戦線は、見事にその波に乗っただけだと思います。しかし人々は生活が豊かになると、心にもゆとりが生まれます。そうすると、憎悪の感情レベルは、下がるはず。その時、彼らは生き残れるのか?多分、今度は左派的思想がメインになっていくでしょう。ルペンらによる憎悪の植え付けを可能な限り防ぎ、現在の状況を凌がなければなりません。
【「反差別」という差別が暴走する】
おかしなものですね。過激な勢力に対抗できるのは、過激な勢力しかない、ということでしょうか。日本でもお馴染の単語になった「ヘイトスピーチ」に対抗するかのように、反差別運動も盛んになってきているようです。ヘイト団体のしていることは、2ちゃんねるで行われているようなことを具体化したに過ぎないものに見えてくるのは、私だけでしょうか?掲示板で他人の悪口を言い合う習慣が、ネットの世界から出てきた感じです。
日本人は昔から在日朝鮮人を差別する傾向にありました。それが、エンタメなどを通じて互いに交流するようになり、今では「日本人より韓国の男のほうがカッコイイ」と熱狂する女性が増える有様で、ちょっと前では考えられないような寛容さが生まれたように見えました。私には身近に在日朝鮮人の知り合いがいて、彼らとは普通に暮らしていて特別差別意識は感じたことはありません。でも、私もいっとき、ある韓国の歌手にハマってCDを輸入していたことがありましたね(^^;) 「ヘイトスピーチ」という言葉が流行するまで、私は日本は差別感情から徐々に脱してきていると信じていたのです。
しかし、「朝鮮人は全員日本から出ていけ」などという輩が集団を作り、やがて暴動に発展するようになった。そして今年は彼らを徹底的に糾弾し、徹底抗戦する「反ヘイト団体」というものが生まれた。これ、凄くおかしいんですよ。「反ヘイト」というと、物凄く正義を振りかざしている印象ですよね。けどそうじゃない。差別主義者を差別し、攻撃しているのです。例えば、少しでも人種差別に触れる発言をした人を徹底攻撃し、ネットでその人の素姓などを流出させるなどの行為があるといいます。これは、正義感から来る行為ではないでしょう。これもまた、立派な差別であり、上の記事でも触れた、「寛容さの欠如」なのです。
これなら、ただの暴走族の抗争と同じですよね。非常に子供じみている。差別主義者が存在しなかった時代はない、ならばもう放っておいて、自分たちは彼らに干渉する必要はないじゃないですか。何故戦いたがっているのか、理解不能です。でもこれも、きっとヨーロッパで起きている異民族排除の動きと丸っきり同じで、経済格差やらストレス社会やらが原因なんだと思います。
私は、自分が100%誰も差別していないとは思っていません。可能な限り、差別感情という色眼鏡で他者を見ないようには心がけている。しかし、自分は全ての民族や文化を知ってるわけではないので、どうしても誤解してしまうことはあります。その誤解が転じて、特定の民族に対して差別感情を持つことがあったとしても、それはそれで自分を否定しません。少なくとも自分の中から差別感情を排除する努力はしているのだから。でも、世界がこれだけ広いと、誰もが同じ思想で同じ方向を向くことは無理です。その中で、特定の民族に対してイヤな思い出ができたり、対立してしまうことは仕方ない。問題は、どこまでが許されて、どこまでが許されないのか、ということです。この線引きは、実は本当に難しい。
数年前に、クリスチャン・ディオールのヘッドデザイナー、ジョン・ガリアーノが公共の場でユダヤ人に対する差別発言をしたとして逮捕されました。その後、彼はディオールを解雇され、現在に至ります。ユダヤ人に対して正しい認識を持っていれば、彼らが決して悪い民族ではないということがわかります。しかし、世の中にはいまだに深い反ユダヤ主義が根付いている。それは、どうにかしてぬぐい去っていかなくてはなりません。
ただ、それを取り締まり、刑法で裁くとなると、私は疑問なんですよ。彼が何かしらの個人的理由で、ユダヤ人に文句を言いたかっただけなのかもしれません。でも、ヨーロッパ全体に、反ユダヤを唱えれば犯罪になる、という空気があります。
実は昔、私はあるイスラエル人と対立したことがありました。その人と議論して、ユダヤ人の考え方に幻滅したことがあった。それを、うっかりカフェで「あ~あ、ユダヤ人ってマジ理解できないし~~」ってつぶやいたら、罰金になるのでしょうか?あり得ないでしょう。私は差別したかったわけじゃないのだから。
私たちは今、両極端に分散し、差別を助長しあっています。しかし、本来私たちは誰かを差別したり、他者と比べて自分が上にいるという優越感を味わいたいものです。その程度のことで済ませられるような時代になるまで、もう少し時間がかかるのかな、と最近は思います。
私はサッカー差別主義者かな(^^;)昔からサッカーはうるさくて大嫌いな競技で、見ていると疲れる。だから、早くWカップが終わって元の世の中に戻ってほしいと切実に願っていますが・・・別の意味で、今私は、サッカーW杯・ブラジル大会が成功することを祈っているのかもしれません。
私は大会前から、この戦いはブラジルが勝利すべきだと思っていました。そうしなければ、次のリオ五輪につながらないからです。政府は国民の反発をよそに、サッカーのスタジアムや選手の施設などに巨額を費やしてきました。その結果国民の怒りを買い、連日のデモ騒動。これでブラジルチームが中途半端な結果に終わったら、国民の政府に対する反発は、益々増長するでしょう。でも、ブラジルが万が一優勝すれば、サッカー大好き国民であるブラジルの人たちは熱狂してお祭り騒ぎになり、その流れをリオ五輪につなげていこうという、いい空気が生まれるかもしれません。勿論、政府は引き続き慎重に設備投資を行っていかなくてはならない。国民の同意が得られない限り、税金は無駄遣いすべきではありません。ただ、「五輪ウェルカム」状態にはなってほしいですよね。そのためにも、ブラジルが勝つべき、とは思います。
いや~ん、セクハラ大国って、インドの「レイプ大国」と同じくらいイヤな感じじゃないですか~。どうも私には、イスラム教圏において、女性差別の芽がまだ摘み切れていないとしか思えません。しかも、エジプトでは、女性の9割が「セクハラを受けたことがある」と発言しています。これは、非常におかしい。男性が女性より勝っているのは、肉体的強さ。けど、それだけです。それだけを頼りに女性を侮辱し、暴行するのは、単なる野蛮人です。極めて原始的です。しかし私たちは進化の過程で、人間の本質は肉体的強さのみにあるのではない、とわかっています。それでも、肉体的衝動のままに動く男たちは、単なるバカです。男性はみな女性から生まれています。悔しかったら自分の子孫を自分で作ってみなさい、と言いたくなります。そういう能力はないくせに、ただ筋肉が強いからと、体が強ければ何をしてもいいというのは、後進的発想としか思えない。絶対にこんなのナシです。エジプト政府には、早く性犯罪に対する対策を強化していただきたいと思います。
ブラジルの記者は、そんなに危険な立場にあるのですか?戦争特派員より危険って一体・・・?
ジャーナリスト保護委員会がまとめた報告によると、ブラジルの報道陣が暴力被害に遭う割合は、世界で11位にもなる数なのだそうです。テレビでちょっと権力者に楯つく発言をしたジャーナリストがあっさり暗殺されてしまうような、そんな場所らしいです。この統計で驚くのは、ブラジルでの取材活動は、アフガニスタンのそれよりもうんと危険性が高い、ということです。ならば、ブラジル人は一体どうやって暮らしているのでしょうか?
南米は昔から治安の悪い場所でした。マフィアがはびこるだけでなく、アマゾン一帯にはアマゾンの自然を守るための過激派組織がいたりするし、政治の腐敗は放置されたままです。無秩序が犯罪を多く生み出している、そして警察力がなさすぎることが南米全体に当てはまることだと思います。それにしても、私はブラジルがジャーナリストたちにとって戦場よりもひどい場所だということに、ただただ驚いています。サッカーW杯で熱狂の渦に包まれている現在もまた、多くの報道陣が世界各国から押し寄せています。だから、きっと多くの事件が起こっているに違いありません。日本にはそういった事件については伝わってこないけど、間違いなく今スポーツジャーナリストが危険にさらされているのだと思います。あ~怖い!ブラジル人って陽気で気さくなんですけどね~。
【アンジェリーナ失言で台湾独立派のレッテル】
有名人になると、この手のリスクは常についてまわるんだと、改めて思いました。私も多分、アンジーみたいな発言をするタイプですから。彼女が発言した内容は、そのまんま丸ごと私には理解できることです。私だって、台湾人は台湾人だと思っていて、中国人とは区別しています。私のいとこの奥様は台湾人ですが、彼女は中国人ではありません。それは、彼女自身のアイデンティティの主張によるものです。私は中国を旅行したいとは思わないが、台湾にはいつか行ってみたいと思っています。外から見ると、中国と台湾は別の国なのです。そして、それは無知を示すことではありません。アンジーは、インタビュアーに対して、「アナタは台湾人を中国人と見なすのかどうかはわからないけど」と前置きして話しています。この前置きは、不自然ではありません。
だから、これは中国人が過敏に反応し過ぎることがおかしいのだと思います。世界には独立国が次々に生まれています。とっくの昔にソ連やユーゴは崩壊したし、どの民族も独立する意思があります。中国だって、香港とマカオが中国とされていますが、私の中ではやっぱり中国ではありません。いまだ純中国的な文化とは違う文化形成をしています。こんくらいのことも許せないなんて、残念に思います。
因みに、私はアンジーのパートナー、ブラピが出演した「セブンイヤーズ・イン・チベット」って好きな作品ですよ。つい最近だったと思いますが、またあの作品が見たくなって、ツタヤで探したんです。見つからなかったけど。セブンイヤーズ・・・のせいで、ブラピはとっくに中国政府からブラックリストに載せられている。だから、このカップルは揃って中国から嫌われてしまった形になります。映画産業に携わる人にとっては、中国市場を失うのは残念なことかもしれない。けどk人的には、別に中国なんて気にしなければいいじゃん♪って思ってしまいます。
これはもう、失礼な話です。こういうものを「負の世界遺産」として後世に残したい、というのは、完全に建て前です。本当は日本に対する嫌がらせだと誰もがわかっている。中国と韓国の過去を引きずる有様は目に余るものがあります。日本をいつまでも歴史的に攻撃することでメンツを保とうとするなんてバカげています。まるでストーカー行為です。非生産的で、誰も何も得をしないというお話です。
世界には「負の世界遺産」と呼ばれるところが幾つかあります。日本では、原爆ドームがありますし、世界的には、ポーランドにあるアウシュヴィッツ強制収容所、リヴァプールの奴隷貿易の跡地である「海商都市リヴァプール」などが挙げられます。しかし、こういったものは、本当に私たちが忘れてはならない凄惨な姿を心に永遠に残し続けようという明確な目的があります。私たちには、忘れてはならない過去があるのです。
しかし、中国が慰安婦と南京虐殺を世界遺産にしたい理由は、それが凄惨で後世に残すべき貴重な史料ということではないでしょう。ここにも書いてありますが、彼らは天安門事件などで人民を弾圧した負の歴史を全く直視していません。自分にとって都合の悪いものは排除するか見て見ぬふり、そして、自分たちがアドバンテージを握れると思うところでは、愚かにも踏み込んでいきます。
こんなアホな世界遺産申請は、通ることはないでしょう。負け犬の逆恨みです。ICOMOSが賢明な判断を下してくれるものと思います。
スタバといえば、今や業界トップのコーヒーショップです。日本にはドトールコーヒーやサンマルクカフェなどオリジナルのコーヒーショップが多く存在しますが、世界規模でみれば、スタバのシェアは圧倒的なものになるでしょう。そして、韓国人はスタバが大好き。ってことは、実は知りませんでした。確かに韓国人の友達とソウルでスタバに行ったことがありましたが。しかも、イタリアよりもフランスよりも、韓国は「カフェ大国」なのだそうです。ソウルにある店舗数は284軒。これは、ニューヨークの7店舗多い数字だそうです。韓国全体ではスタバ数は642にもなり、この快進撃は止まりません。何と言っても、ブランドイメージがいい。スタバに店舗を貸す側は、スタバに対して高級なイメージを持っているので、喜んで場所を提供するみたいです。だから、韓国系のカフェチェーンはスタバに全く追いつけない。外資系企業に対してある程度の規制を設けても、スタバの快進撃は止まらぬままです。
日本にもカフェ文化ってありますよね。日本では、スタバよりもドトールっていう人が多いと思います。日本人はせっかちですから、さっとコーヒーを飲んでさっと次の場所に移動したいもの。それに、コーヒー1杯に日々高いお金はかけられません。高級志向であればスタバもいい。けど、普段はドトールのほうが便利、という人が多いのではないでしょうか。私もその手のタイプで、日常的に利用するカフェはもっぱらドトールです。スタバのカフェは、ボリュームがありすぎて困るっていうのもあるし、単価がやはり、ね。毎日というわけにはいきません。日本には、シアトル系カフェでお洒落な気持ちを味わいつつ、日常的なコーヒーはドトールなどで、という使い分け文化があるのだと思います。だから、共存できている気がする。勿論、これは私の個人的な印象でしかないのですが。
韓国も、今独自のコーヒー文化を根付かせようとあれこれ思案している様子です。私は、スタバを意識せず、韓国人の気質とうまく向い合えば、きっと彼ららしいコーヒー文化を築く何かが見えてくるように思います。そうしたら、面白くなりそうです。韓国に行ったら韓国独自のコーヒー文化を楽しむ。外国人にも喜ばれるような産業になるかもしれません。
当たり前のことが書かれているように思いますが・・・ってか、私自身が、C++だのJAVAだのの正体を殆ど知らないのです(^^;) これでは子供に教えられないし、子供に教えるという発想そのものがない。しかしアメリカでは、学校の授業の中でプログラミングを組み込んでいく動きがあるといいます。そして、その後方支援に回っているのが、ビル・ゲイツやFACEBOOKのマーク・ザッカーバーグら。彼らは小さい子供に対し、早い段階からコンピュータを操る能力を身につけさせることを目指しているようですが。
そんな動き自体、日本にはまだないでしょう。しかし、アメリカでは「PCを操る能力を養うなんていう教育はもはや時代遅れだ」とまで言われているようで・・・もう私、ついていけない( ̄∇ ̄;)=З
何故なら、コンピュータが人間の言語を理解するようになるのは時間の問題で、そうなれば、人が言葉でPCに指示できるようになるから、なんだそうです。怖い!私は過剰なテクノロジー追求には常に反対です。2030年のコンピュータは人間の指示を理解し、プログラマーを必要としない、とまで言い切られると、私は不安になります。
何でもコンピュータ任せになっていく昨今、人の感情がどんどん鈍化してきています。これははっきり言って、冒頭のヘイトスピーチなどにも関係してくる問題です。過剰なテクノロジー追求が生み出す副産物については何一つ議論されず、どんどん新しい技術が生まれる。そして、それらはよくその特性が吟味されないまま、野放しにされる。子供にメディアリテラシーという教育をするのが先です。PC言語の話は、ずっとずっと後の話です。競争原理だけでプログラミングを子供に押し付けようとしたら、子供の感性が未熟なままで、未発達な成人を多く生み出すことになります。通常の学習にプログラミングを導入することをこともなげに話すアメリカという社会は、私には異様な世界に見えてきます。
フランスの料理が日本料理よりも評価が劣ると言われるのが昨今の風潮です。でも、フランスでは現在料理人の育成が困難になっているようで、それが料理の質の劣化を招いているとも。また、アメリカ式ジャンクフードの普及で、味覚そのものが衰退してきている。フランス料理店が各レストランランキングで上位に食い込めない理由は色々とあるみたいですが、私個人の意見では、庶民が簡単に味わえるようなものがフランス料理には少ないのではないかと思います。
アメリカがジャンクフードに代表されるような大衆文化を作っているのと同じで、イタリアにはパスタがあり、食事のまずいイギリスにはフィッシュ&チップスがあります。それらの栄養バランスはさておき、各国にはそれぞれ庶民が簡単に味わえるオリジナルの味覚があるんだと思います。日本料理も、決して高いものではありません。元々の素材を生かした料理は味付けもシンプルでいいし、それでいて健康。普段食べるような納豆やおにぎりの具材なども安いものですし、何と言っても日本人には他国の料理文化を自国流にアレンジする卓越したセンスがあります。私たちは料理を進化させながらも、あくまで日本流を無意識に貫けるという強みがあるのです。
フランス料理の敷居は高いというのが率直な印象です。私たちがイメージする、誰もが親しめるようなフランスの味覚って何でしょう?ないんじゃないですか?イタリアンのレストランチェーンや中華、韓国料理は大衆化できる能力があるけど、フランス料理は基本的にそうではない。そういうことが、フランス料理全体のレベルを下げている一因になっているのではないかと思います。
フランスの料理文化が発達したのは中世後期のことです。それまでのフランス人は手で粗末な食事をしていたんです。それが、イタリアから食文化が輸入され、それが宮廷で花開きました。それから、フランス料理の高級路線は始まったのです。時代が変わっても路線は変わらない、それがある意味でのフランス料理のよさだったのかもしれません。しかし、時代のニーズには応えられていない。何か、私にはそんな気がしてなりません。
私たちは手っ取り早く食せる加工食品を好む傾向にあります。じっくり煮込んだ肉を食べている余裕などありません。そういう世の中だから、手間暇かけた料理は敬遠されるのでしょう。私はフランス料理を作ったことがないからわからないけど、一流でいるには、今という時代と柔軟につき合わないといけないのではないかと思います。そこが恐らく、フランス料理の今後の課題です。
日本の結婚式のスタイル、大嫌い!(^^;) 無駄にお金をかけているし、夫婦の出会いエピソードなどのスライドもいらないし、何をどう切り取っても、結婚式ではなく単に新婚カップルの自慢大会です。「式」という厳格さが欠如しているのです。このコラム「Tokyo Eye」で今回イギリス人ジャーナリストが書いているのは、「日本の伝統的な「欧米式」結婚式で、これほど耐えがたいものはない」という主旨のことです。確かに・・・。御祝儀の費用は大体3万円、花嫁はウェディング衣装のほかに、お色直しの衣装も用意しています。式は綿密な計画のもとに行われ、上司のスピーチやイベント性を重視するところは、かえって苦痛です。結婚は単なる産業であり、夫婦は結婚式、いや、結婚発表会に巨額を投じます。その発表会の綿密な流れに、私たちは否応なしに従わないといけないのです。これはもう、心から結婚を祝うというレベルのものではありません。結婚発表会へ無理やり投資させられる肉体的・精神的苦痛です。何故欧米式結婚式に、日本語を話す謎の神父がいるのかも理解できない。何故どのホテルにもチャペルがあるのか、なぜホテルとチャペルが同じ場所にあるのかも理解できません。こういった文化は、私の文化でもありません。
更にここで言われているのは、「完璧すぎる結婚式が日本をダメにする」ということです。日本人の緻密さ、時間の正確さは世界的に評価されています。しかし、そういった産業的な面が、結婚式にまで出てきてしまいます。幸せな結婚は「製品」ではない。自分たちで作り上げる「行為」である、とここには書かれています。このような一大イベントの結婚式を演じて完璧なイメージを打ち出し、あとでそのイメージが崩れて、うちひしがれる。人々は結婚に理想を求めすぎ、結婚に完璧でいようとするから、晩婚化が起こる。結果的に、少子化にも繋がっているとまでここには書いてあります。ま、さすがにそれは言いすぎか。でも、結婚ビジネスがある限り、少子化問題を解決できないような理屈、何となく理解できる気がするんです。日本人の完璧主義が裏目に出ているのが、日本式の結婚式です。
そういう私も、40歳手前でいまだに独身です。ただ、私は結婚して子供を産み育てる自信がないのだから、子供を産みません。無責任に子供を産んでいる親がいる限り、ネグレクトの問題は解決されません。そういう環境なのだから、安易に子供は産めないのです。
結婚式は個人的に嫌いです。私は誰かの結婚を祝う気持ちがあっても、彼らの幸せに自分がお金を払う理由がわかりません。私は今までに結婚式というものに出席したことがあっても、それは単なる同窓会のレベル。結婚式で感動したことなんてありません。はっきり言って、シラけます。まぁ、どうでもいいですけど(^^;
少子化は世界的に起こっていることで、日本特有なことではありません。私たちには、かつては子供を産み育てるという選択肢しかありませんでした。しかし、今は自分のキャリアを優先して子作りをしないという選択肢もあります。価値観が多様化したから、少子化問題が生まれた、ともいえるでしょう。完璧すぎる結婚式は、確かに日本をダメにする原因になっています。しかしそれ以前に、子供を産むだけの選択肢が、子供を産まずに生きる選択肢にまで増えたことが大きいと思いますよ。
以上、今週のNewsweekでした。
コメントを残す