味の素が流した、「とんでもない」性差別CM 「食事はお母さんが作る」は当たり前ではない
アベノミクスでも注目を浴びる、「女性の活用」。一見、聞こえのいいこの言葉、実は大きな問題をはらんでいるという。本連載では、そんな「男と女」にかかわるさまざまな問題を、異色の男性ジェンダー論研究者が鋭く斬る。
前回お話しした「(食事を)作るのはお母さんたちですから」という渋谷区教育長の性差別発言があったのは、PTAの食育に関する研修会でした。そもそもPTAの集まりは女性が圧倒的に多いことに加えて、平日の午前中開催、おまけにテーマが食育なので、「見渡す限り女性」になってしまうのでしょう。
でも、あの空間自体がやはり異様です。男性は給料を持って帰ってくれれば、あとはゴミ出しでもやってくれたら十分なのでしょうか?
■男性の家事貢献は合理的
私は保育所の送迎と夕食づくりが担当でした。子どもが大きくなったので、保育所通いがなくなり、少し楽になりましたが、夕食づくりの時間はいつも意識しながら働いています。もちろん飲みに行くことはときどきありますが。この連載で何度も述べてきたように、男性の家事貢献は、女性の家事負担を軽くし、女性がフルタイムで就業できるようになるため、家計としても非常に合理的なはずです。そしてそれは、最終的に男性を楽にするはずなのです。
などと思っていたら、連載を読んだ友人がとんでもないCMを教えてくれました。少し前のものですが、YouTubeの味の素KK公式チャンネルに載っていたCMです。残念ながら、7月いっぱいで公開が終わってしまいました。
CMは、あるご家庭の1日を描いています。主人公の女性は朝起きて、すぐに子どもたちの朝食とかわいいお弁当(キャラ弁)の準備をします。一方、夫と思われる男性は後ろで何もせずに、パソコンをいじっているだけ。その後、女性が洗濯物を干し、子どもを着替えさせているので、専業主婦かと思ったら、スーツ姿で3人乗りの自転車で保育所に駆け込み、あくびをしながら通勤電車に乗り、仕事をし、さらに保育所→スーパ→自宅で、父親のいない夕食を食べる。
この人、スーパーウーマンです。こんなことが毎日できると思いますか? まぁ、時短を取られているのかも知れませんねぇ。でも、仕事をしながら、朝食もお弁当(そもそも保育所ではお弁当は原則不要です)も夕食も全部作って、その片付けに洗濯もとなると、自分の時間はゼロでしょう。過労で倒れたりしないかと、心配になってしまいます。それに、そもそも、あの男性はなぜ、何もせずに後ろに座っていられるのでしょう。
「私作る人、僕食べる人」というハウス食品のラーメンのCMが問題になったのは1975年のこと。反発があって、2カ月ほどで放映中止になりました。当時小学校6年生だった私は、「なぜこのCMが問題になるかわかる?」と親に聞かれて、「料理を作るのは女性だと決めつけてるから」と答えた記憶があります。
■「お母さんが作る」は当たり前ではない
あのCMが、もうほぼ40年も前のことです。そこで今回の味の素のCMを見ると、この40年間で結局男性の家事参加は進まず、女性は仕事と家庭の両方を担当しなければいけなくなったという、いわゆる「女性の二重負担」が生じたことがわかります。
味の素のCMが特に悪質だと思うのは、(実態を検証しようのない)石器時代まで含めて、昔の光景を動画で再現しつつ、母がごはんを作るということが、世界中の歴史の中で常に普遍的だったというイメージを与えかねない点です。これでは、母親が食事づくりから逃げる道はどこにもない、と伝えていることになります。
北欧に行けば料理をする男性はたくさんいるでしょうし、最近の中国の都市部では、共働きの夫婦が子どもを連れてどちらかの実家に行き、そこでおじいちゃんが夕食を作る、というのもまったく珍しくありません。
「食事を作るのはお母さん」。CMのメッセージは、前回の記事で取り上げた渋谷区教育長の発言とまったく同じです。日本の場合、食事を作るのが歴史的に圧倒的に女性の役割であったのは事実ですが、お母さんだけが食事を作るようになるのは、大都市部で大正期、全国に広がるのが高度成長期にすぎません。
女中、娘、嫁、おばあちゃんなど、それが女性であったとしても、「お母さん」だけになったのは、実はごく最近なのです。なのに、まるで世界中で歴史的にずっと、「食事を作るのはお母さん」であったように思わせている。そしてそのことによって、それがこれからも続くと無批判に前提としています。CMのバックに流れる歌で「(食事作りは)何十万年も、何十億人ものお母さんが続けてきたこと」とだめ押しをすることで、「男性が食事を作ることを含めた、ほかの選択肢がある」ということを、完全に認めないような作りにしている点で、これは性役割分業を固定化する、極めて悪質なCMなのです。
■お客様相談室の説明は?
こんなCMを堂々と発信する食品会社の感覚が、私にはまったく理解できません。企業のトップがよくこんな差別的なものを認めるものだと、驚くばかりです。企業イメージを悪くするだけだと思うのですが。男性が家事・育児に関わるシーンをもっと入れていれば、イメージを変えることができたはずなのに。
というわけで、味の素のお客さま相談室にメールで抗議をしたのですが、
固定的な性役割分業を肯定したり、助長したりするような影響は無いように留意し、父親が子供の着替えを手伝う場面などを入れて制作しましたが、母親が主人公のストーリーのため、お客様のご指摘の通り父親を前面に出す演出にはなっておりません。
とのお答え。やっぱりこの程度の発想だからこそ、こういうCMを作れるのですね。家事・育児は「手伝う」ものではなく、共有する、シェアするものです。共働きなのに、「父親が子どもの着替えを手伝う」という意識でいること自体を「固定的な性役割分業」というのであって、まったくの無理解としか言いようがありません。呆れました。この点を指摘するメールも送ったのですが、8月6日時点で、味の素からの返答はありません。
このままでは「食事を作るのはお母さんの仕事、しんどくてもがんばりましょう」というメッセージだけを発していると受け取られてもしかたありません。「あなたは、あなたの食べたもので、できている」という台詞が最後に入りますが、私は味の素の商品を食べて、あんな固定的な性役割の世界の住人になりたくはありません。「過去にそうだったから、未来もそうなる」と言うのなら、それは人類の進歩を全否定する暴論です。
小4の息子にCMを見せたら、「なんか変!」と言っていました。「どうして?」「だって、朝ご飯はママだけど、夕食はパパだし、保育園も買い物も、パパが遅い時以外は、いっつもパパだったしぃ……」。
うちが「変わった家庭」なのはわかります。ですが、家族の形態が多様化する中で、小学生ですら感じる「変!」を無視して、こんな世界を「普遍化」するのは許されないと、私は考えます。
男性側からこのメッセージを見ると、「家事はいいから、24時間外で闘え」と言っているように聞こえます。事実、夕食時には帰宅していません。
バブル期に「24時間闘えますか?」と連呼した「リゲイン」は、最近のCMで「24時間闘うのはしんどい」と認めた上で、「3、4時間闘えますか?」とセリフを変えています。
過労死を招きかねないようなメッセージに対する批判と、時代の変化を受け止めたのでしょう。それに対して、この味の素のCMはバブルの反省どころか、40数年前の高度成長期に先祖返りです。
■「ひとりボイコット」をやります
同時に、はっきりと「男はうちの商品なんて買わなくていい」という声が聞こえてくるように思います。ええ、もちろん、こんな会社の商品、私は買いたくありません。これから夕食の買い物をするときには「ひとりボイコット」をやろうと思います。
次世代育成支援対策推進法に定められた、「くるみんマーク」というものがあります。仕事と家庭の両立に関する就業環境の基準を満たせば、厚労省がその事業所にその証拠として使用を認めるものです。男性の育休取得者がいることも条件になっていて、東京大学も取得しています。
私はいつも夕食の買い物のときにそれを意識していて、冷凍食品を含め、くるみんマークのない会社のものは買わないようにしています。たとえば「ニチレイ」は、パッケージにもマークをつけているものがあり、極力そういうものを選びます。
おっと、味の素もくるみんマークを取得していました。男性の育休取得者が2010年度に11人とホームページで誇っておいて、このCMはないと思うのですが……。
皆さんはどうでしょう? このCMで、味の素のイメージがよくなりましたか?
付記:前回の渋谷区教育長の問題発言に対する反響は、私の想像を遙かに上回るものでした。これまでの連載の中で、アクセスや「いいね!」が断トツで多く、いかに多くのみなさんが、日本のPTAのあり方や教育長の発言に疑問を感じているかを実感することができました。
渋谷区教育委員会は、前回の連載以降、一切回答をしてこなくなりました。おそらく黙っていれば、そのうち騒ぎも収まるので、それで幕引きにしたいと思っているのでしょう。男性の側が、一部の女性が持っている古い考え方を性差別として批判することは、逆よりもはるかに強いメッセージになりうると考え、引き受けねばと考えました。引き続きご支援をお願いします。