原爆:非人間性訴えた米司令官の名…再び通りの名前に

毎日新聞 2014年08月08日 20時47分(最終更新 08月08日 20時53分)

夫と共に新たに掲げられた案内板の前に立つデルノア元司令官の長女パトリシア・マギーさん(右)=長崎市で2014年8月8日午後2時34分、須賀川理撮影
夫と共に新たに掲げられた案内板の前に立つデルノア元司令官の長女パトリシア・マギーさん(右)=長崎市で2014年8月8日午後2時34分、須賀川理撮影

 終戦翌年の1946年、連合国軍総司令部の長崎軍政部司令官に就きながら原爆の非人間性を訴えた米軍人、ビクター・デルノアさん(98年に83歳で死去)の名前を冠した通りがかつて長崎市内にあった。市は改めてその功績を顕彰しようと、油屋町から愛宕までの約1.5キロを「デルノア通り」と再命名し、8日、案内板の除幕式をした。

 通りの名称と由来を伝える二つの案内板があり、デルノアさん宅の跡地に建つ老人保健施設「サンブライト愛宕」(愛宕4)前に設置した。

 市によると、デルノアさんは49年まで司令官として治安維持などの任務にあたる一方、被爆者宅をよく訪れたという。48年には第1回平和祈念式典にあたる文化祭の開催許可を市に与え「世界中の人々がこのような出来事が二度と起こらないことを祈るべきだ」とのメッセージを寄せた。

 除幕式に出席したデルノアさんの長女で長崎生まれのパトリシア・マギーさん(66)は「長崎市民を尊敬した父の娘であることを誇りに思う。天国で父も喜んでいるでしょう」と話した。9日の式典にも出席する。【平川哲也】

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