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2014年8月 8日 (金)

慰安婦問題についての覚え書き

 朝日新聞が漸く吉田証言を事実誤認と撤回したことで、いろいろかまびすしい昨今ですが、今まで読んできた本から得た知識を覚え書きとして極々簡単に纏めてみました。これは初心者の、初心者のための簡単なまとめです。


Q 強制連行が問題だったのに、今は『広義』の強制制とか、話しずらしてるし、朝日新聞のプロパガンダに踊らされただけなんでしょ?

 河野談話発表までを並べてみる。ちなみに「挺身隊」と「慰安婦」は長い間日本でも韓国でも混同されていた様ではあるが、強制連行された女子挺身隊員は主に日本の軍需工場へ働きに来た人達のこと。その後の調査から今まで語られて来なかった慰安婦の存在が明るみに出てくる。

73年 千田夏光 『従軍慰安婦』出版

83年 吉田証言

87年 韓国、民主化闘争を経て民主化宣言

88年 ユンジョンオク氏福岡博多へ現地調査

90年1月 ハンギョレ新聞に「挺身隊取材記」連載

  5月18日盧泰愚大統領訪日直前 女子挺身隊が声明発表

  25日 韓国外相、日本政府に連行者名簿作製の協力を要請。

  6月6日 参院予算委員会で社会党本岡昭次が慰安婦について質問
厚労省は「民間の業者がそうした方々を軍と共に連れ歩いていたので調査しかねる」と答弁。

  10月 厚労省答弁に反発した韓国の37女性団体が、日本、韓国両政府に抗議の公開書簡を送る。

  11月 37の女性団体が「女子挺身隊問題対策協議会」を設立

91年 8月 金学順さん名乗り出る。

      電話ライン設置。名乗り出る人多し。

   12月 学順さんら三人が三十三人の軍人軍属と共に日本政府に訴訟を起こす。


92年 1月11日 吉見東大教授が防衛庁で慰安婦募集に軍が関与した書類を発見したことが朝日新聞に報じられる。

   1月17日 宮沢首相、訪韓の折りに、慰安婦問題でお詫びを表明。

   2月18日 国連人権委員会で「慰安婦」問題が初めて提起。


   7月 マニラの「アジア女性人権評議会」他は「フィリピン人元慰安婦の為のタスクフォース」を設立。
     加藤官房長官「軍が関与したことは否定できない」と談話発表。

   8月10日 「挺身隊問題解決の為のアジア連帯会議」には被害国韓国台湾、タイ、フィリピン、香港と加害国日本の市民団体が参加。


92年 7月6日

 日本政府は調査の結果 百二十七件の資料を公開し政府の関与を認めたが、「強制連行」を示す資料は見つからなかったと発表。
しかしこの一次調査の資料には警察労働省の資料が一点もなく調査が不十分であると非難される。

93年 8月4日

 日本政府、第二次調査結果(公表資料二百三十四点と国内関係者からの聞き取り、十六人の被害者の聞き取り)と共に河野官房長官による談話発表。

 慰安婦問題のそもそもは民主化がなされた韓国での調査が発端となった。また「日本軍が関与していない」という答弁も反発と感心を引き起こす事になった。その後軍の直接関与の証拠が日本側から続々発見されるにいたり、軍関与を否定出来なくなった後で、強制連行についてわざわざ「資料が見つからなかった」と強調した。
吉田証言については昔から吉見教授など研究者から疑問の声が上がっていた。河野談話では強圧的募集、強制的に接客などと書かれているが、強制連行されたとは書かれていない。吉田証言を元に書かれたものでないのは読めば一目瞭然である。それなのに吉田証言が慰安婦を問題視している人々の唯一の拠り所であるような印象を与え、河野談話を結びつけるのはこじつけであり、吉田証言が虚偽だったことをもって河野談話の撤回、慰安婦問題の免責は出来ない。また「強制連行」や「挺身隊」などの表現に関しては80年代当時、どの新聞もさして表現に違いがなかったこと、朝日新聞の吉田清治氏言及回数もほんの数回のみであった。


 Q 強制的に拉致されたのでなければ何が問題なのか。性奴隷という言葉は言いすぎではないか。

 旧植民地に於ける元慰安婦女性は、7割弱が事務、看護婦のような仕事と言われ売春とは知らずに募集に応じ、3割弱が役人、警官などが村にやってきて、『割り当てがあるので娘を出すようにと言われ』やむなく、残りの数パーセントが売春と承知して応募したと証言している。これは韓国と台湾、それぞれ別の時期に違う団体が聞き取りをした2つの結果がほぼ同じ割合であることから、信用できる数字と考えられている。

騙されて連れてこられた女性達の存在を軍部が知っていた事は日本軍、兵士や憲兵の夥しい数の日記、報告などから確実だが、軍がその業者を処罰し、騙された女性達を帰国させた書類も事例も一つもなく(兵士がカンパして解放した例などはある)、そのまま業者に営業させ、女性達に接客させていた時点で、セックストラフィックに関する近代的な人権を全て棚上げしたとしても、性奴隷であり申し開きは出来ない。ましてや後年彼女達を「売春婦」と呼ぶ事はセカンドレイプ以外の何者でもない。


Q でも、お金を稼ぐ目的で行った人もいるわけだし、何から何まで悪かったというのも不公平では?

 日本軍慰安婦制度は日中戦争中から始まり、最初は醜業婦と呼ばれたプロの女性が実態を知って慰安所に来る事が多かったのだが、戦線の拡大による慰安所数の増加と、兵士の性病予防という慰安所設置の第一理由などから、プロではない女性の需要が高まったため、就労した時期により応募した元慰安婦達の背景、慰安所での生活にはかなりの違いがある。
慰安婦はピクニックにも行った(実は軍高官のレクリエーションのため接待にかり出されただけ)、高給だった(日本軍が発行する軍票が大暴落したため額面が大きくなっただけ)、志願した売春婦だった(上述僅か数パーセント)などと、一つ二つの事例を挙げて(それさえデマに近い曲解なのだが)も、その他の事例が免罪される訳ではない。
たとえて言うなら、開業当初は従業員に週一日休ませ、安いとはいえ残業代を払っていた企業が、後年三ヶ月休み無し、一日18時間労働、残業代無しで過労死する従業員が続出したとして、開業当初の例を持ち出して、後年の労働法違反が消えて無くなるわけではないし、昔残業代をもらっていた事を理由に、後の残業代不払いや退職拒否を当然視することはできない。
また売春目的で応募した女性も、深刻な人権侵害があった。健康を害するほど接客させられた事例の他に、軍と共に行動することで戦闘に巻き込まれ戦死した女性、退却中に動けなくなり置き去りにされた女性(『処置』する様にという通達が残っている)が多いことなど、兵士並みの命の危険に晒された女性も多数いた。
からゆきさんなど、海外に出稼ぎに行った日本人女性の待遇もひどいものではあるが、当時アジアの一等国、遅れたアジアを解放すると胸を張っていた大日本帝国が、それよりはるか昔の民間の悲惨な事例(かなり前に売春目的の渡航が禁止された)と同じか、それよりひどい事をやっていた事実、その女性達を兵士と共に戦闘に参加させた挙げ句、後年政治家が「高給取りの売春婦」などと公言するのは、許されるものでは決してない。


 Q とはいえ慰安所は必要悪だったのでは?どこの国もやっていたのでは?


 日本は急激な戦域拡大で指揮官が不足した。しかし士官を士官学校卒に限定していた旧日本軍は、学校を出たばかりの現場経験ゼロの若造に兵士を率らせたため、めちゃくちゃな作戦がまかり通ることになり、意味のない戦死が増えた。また食料、装備などを戦地で自己調達するという日本軍の遅れたシステムから、深刻な食料・物資不足に陥る部隊も多く、それらと相まって、兵士の不満が爆発。隊の統率が全く取れなくなってしまう事例が頻発した。戦場で規律が緩み自暴自棄になった兵士らによる略奪・放火・強姦が多発したため現地での日本軍への反発が非常に強まってしまったこと、また強姦によって性病になる兵士が増え、戦力不足に陥りそうになったために軍幹部が考え出したのが慰安所だった。これは現場からの報告と要請(兵站の充実、兵士の休養の確保、きちんとした上官の育成など)を完全に無視した付け焼き刃の対策でしかなく、強姦数は慰安所を作ってからも減ることはなく、むしろ増えてしまい、慰安所の存在が強姦の引き金になったともいえる有様となった。
慰安所が出来る前に、惨状の中でもきちんと統率された立派な部隊が数は少なくともちゃんと存在した(笠原「アジアの中の」)ことを考えれば、慰安所など造らず、別のまともな対策をとったほうが、兵士にとっても進軍した現地住民にとっても、慰安婦とされた女性達にとっても、どれだけ良かったかしれない。


  Q 慰安婦についてはわかった。しかし20万人なんて誇大な数は訂正すべき。

日本軍慰安婦の数が過大だと考える人は東郷和彦『歴史と外交』を読んだ方がいい。元となる条件は大体同じで、常識的な接客数と期間で計算したら20万人に なったのと、潰れるまで使い倒したので5万人で済みましたという違いだけだとよく分かるから。少なければ罪が軽くなるという話ではないのよ。
https://twitter.com/ponzoo/status/487449185080193024 この本で東郷氏は秦氏と吉見教授の積算根拠は大体同じで、その違いはどこから来ているのかを説明し、日本政府は数を問題にしない方がよいと忠告してる。


Q 日本の歴史の汚点にこだわるのは自虐的でしょ?ほじくり返す意味はどこにあるの?


 上述した通り、無理な進軍、未熟な上官、きちんとした兵站を整えず食料や必需品を戦っている兵士達に自己調達させるというめちゃくちゃな軍の方針に対する、兵士の不満のはけ口として軍慰安所は設置された。
進軍に次ぐ進軍で碌な休みも与えられない兵士が、最初こそ利用するのを躊躇いながらも慰安所でのひとときを「生きていると実感できる唯一のひとときだった」と考えても無理はない。その相手が騙されたり強圧的に連れてこられた女性達であっても、兵士達がその事実に目をつぶるか、ここでお金を稼いで幸せにしていると思い込んだとしても、私には責められない。
本当に責められるべきは兵士という一人の人間をそこまで追い込んだものの方だ。

 有名なスマラン事件ではオランダからの非難を受けた時こそ軍部が士官を処罰したけれど、その士官はその後出世し将軍にまでなってる。東南アジアでは女性達を無理矢理拉致をして接客させた事例が多いのだが、指揮官が処罰されなかったものも多い。これをみれば旧日本軍が慰安所の女性に対して一片の人権も考えていなかった事を物語ってい る。そしてその人権感覚の延長線上に数多くの日本軍兵士が置かれていた。日本軍慰安婦制度を不問に付し忘れ去ることは、数多くの日本軍兵士の置かれた悲惨な状況も忘れさり、その状況をつくったものを不問に付すという事になる。


この記事での参考文献(取りこぼしもあるかも知れません)

従軍慰安婦 (岩波新書) 吉見 義明 


共同研究 日本軍慰安婦 吉見 義明、 林 博史 (1995/8)

アジア・太平洋戦争―シリーズ日本近現代史〈6〉 (岩波新書) 吉田 裕

アジアの中の日本軍―戦争責任と歴史学・歴史教育 笠原 十九司 (1994/9)

従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実 吉見 義明、 川田 文子 (1997/7)

歴史の事実をどう認定しどう教えるか―検証 731部隊・南京虐殺事件・「従軍慰安婦」 笠原 十九司、吉見 義明、渡辺 春己、 松村 高夫 (1997/10)

慰安婦と戦場の性 (新潮選書) 秦 郁彦 (1999/6)

歴史と外交─靖国・アジア・東京裁判 (講談社現代新書) 東郷 和彦 (2008/12/17)

「慰安婦」問題が問うてきたこと (岩波ブックレット) 大森 典子、 川田 文子 (2010/2/6)

日本軍「慰安婦」制度とは何か (岩波ブックレット 784) 吉見 義明 (2010/6/10)

「慰安婦」問題とは何だったのか―メディア・NGO・政府の功罪 (中公新書) 大沼 保昭 (2007/6)

参考リンク

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する内閣官房長官発表 http://www.awf.or.jp/6/statement-01.html

アジア女性基金  http://www.awf.or.jp/guidemap.htm

陸軍慰安所の設置と慰安婦募集に関する警察史料 永井 和 

永井和の日記

日本の現代史と戦争責任についてのホームページ 林博史研究室 

従軍慰安婦問題 資料  

従軍慰安婦問題リンク集 

Apes! Not Monkeys! はてな別館 


従軍慰安婦資料集
 

2013年06月13日(木)「歴史学の第一人者と考える『慰安婦問題』」(対局モード)
書き起こし   『ラジオ批評ブログ――僕のラジオに手を出すな!』様   

そのほか沢山のサイトに書籍「従軍慰安婦資料集」からの転載があり、その数々を参考にさせて頂きました。
歴史修正主義」ブックマーク

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