カザフスタンの歴史
東西文明の交差点
BC3000年頃 | 農業が始まる。 |
BC1800年頃 | 青銅器時代となり、その時代の終わり頃インド=イラン系民族の侵入をはじめとして広大なステップ地域に様々な民族・部族が侵入する。 |
13世紀 | チンギス・ハーンのモンゴル帝国の支配下に、その後、土地はチンギスの息子たちによって3地域に分割される。 |
15世紀末 | カザフ・ハン国1465年に登場、「カザフ」という民族名称もこのころから使われ始める。 |
18世紀初頭 | ジュンガル人襲来。この抗争を通してロシアの庇護を求めるようになる。 |
1860年代 | 現在のカザフスタン領域がロシア領になり、北部を中心にロシア人の定住が進む。 |
1919年 | ロシア革命勃発、赤軍の支配下に入る。 |
1920年 | ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の構成下にキルギス自治ソビエト社会主義共和国設立 |
1925年 | 民族別国家分画の政策の下、カザフ自治ソビエト社会主義共和国に改称 |
1936年 | ソ連内の一共和国としてカザフ・ソビエト社会主義共和国誕生 |
1990年 | ナザルバエフ大統領就任(その後現在まで三選)。 |
1991年 | ソビエト連邦崩壊、カザフスタン共和国として独立、独立国家共同体(CIS)に加入。 |
1997年 | 大統領令およびカザフ共和国議会の承認を得て、アスタナがカザフスタン共和国の首都と宣言された。 |
カザフスタン国旗 カザフスタンの国旗は1991年のソ連解体後、カザフスタン共和国として独立した際に制定された。青地は空、中央の黄は33本の光を擁する太陽と翼を広げて飛ぶワシ(ソウゲンワシ)をイメージし、左端の文様は民族の伝統的なアラベスク文様である。この青地はまた、この地域のテュルク系諸民族を示し、その諸民族の間では青地は宗教上特別な意味である神の存在を象徴するが、現在でカザフスタンの広い空と自由を象徴している。 |
カザフスタンの今
安定的なナザルバエフ大統領の長期政権の下、中央アジアのリーダーとしての国際的存在感を強める
2010年度中のWTO加盟を目標に各国と交渉進展中
インフレの沈静化にも成功(1994年のインフレ率は1,401%に対して2008年9.5%)
資源依存経済からの脱却を目指し、政府主導の開発金融機関を設立(Kazyna)(シンガポールがモデル)
中央アジアの金融センターを目指しRFCA* 設立
* Regional Financial Center of Almaty
* Regional Financial Center of Almaty
高まるカザフスタンの国際的存在感
2006年8月 | 小泉首相が初のカザフスタン訪問、原子力の平和的利用等を巡って会談 |
2007年4月 | 甘利経済産業大臣と民間財界人の官民合同ミッションがカザフスタン訪問予定 |
カザフスタン格付けの国際比較(外貨建て長期債)
*2012年2月20日
カザフスタン | 中国 | インド | ロシア | ブラジル | ベトナム | |
ムーディーズ | Baa2 | Aa3 | Baa3 | Baa1 | Baa2 | B1 |
S&P | BBB+ | AA- | BBB- | BBB | BBB | BB- |
「投資適格(Baa3/BBB-以上)」認定はCIS諸国で初
豊富な外貨準備を背景にBRICsと同水準以上の債務格付け
新首都アスタナと日本人1997年に新首都に定められたアスタナ(旧名アクモラ)は1830年に当時の帝政ロシアが中央アジアへの進出の拠点として建設したアクモラ砦がその起源といわれています。98年に新首都の設計についての国際コンペがアスタナで開催され、日本の建築家故・黒川紀章氏が優勝しました。その後、同氏はJICAの資金によりアスタナの首都建設に関するマスタープランを作成し、このマスタープランはカザフ政府に承認され、現在は同プランに従って首都建設が進められています。また、2005年3月にオープンしたアスタナ空港新ターミナルビルも故・黒川氏の作品のひとつです。 |