にんじんの塔

ずっと UNDER CONSTRUCTION

文章力を上げたい話と、紙の本の良さについて

せっかくの個人ブログなので、普通の文体で書きたい。

詳細プロフィールには書いたけれど、仕事では堅苦しい文章ばかりを書いてきました。社内外への告知や社内規程、官公庁への提出文書など、ほとんどテンプレに沿ったもの。それでも出来るだけ誤解の無いよう推敲を重ねているわけです。後々、面倒ですからね…まあ、社内規程なんかは日本国憲法と比べればちょちょいと改定出来ますが、それでも難儀なものは難儀。

 

で、ブログなら話し言葉のような自然体で語れるかなあと思ったものの、様々な生い立ちや思想の方が読まれますし、これまでの文章で形成されたパーソナリティもありますので、思いもよらない解釈をされることがあり、文章の難しさを感じています。それで、ついつい、ピョイピョイピロピロリ〜ン☆などとふざけてしまう今日この頃です。(ちなみにオフラインの知人に読ませても「お前を見直した!」「久しぶりに会いたい」と言われることもあれば、「偽善的で気持ち悪い」と言われることもあり様々ですね…!)



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さてさて、今年からちょこちょこと読書を再開している私です。小説やエッセイなど、娯楽としての読書です。

 

私は紙の本が好きです。

 

幼い頃、母とよく図書館に行ったのですが、母はドケチなのか何なのか、私が気に入った本は何度も借り直し、それでも私が手元に置きたがったらしい本を書店で取り寄せを頼んで買ってくれました。何度も何度も読んだのに、やっと“私のもの”になった本は本当に嬉しくて、裏表紙に名前を書いてもらい、また何度も何度も読みました。そういう本がいくつかありましたが、今では親戚の子に受け継がれ、私の名前に二重線が引かれ、新しい名前が入る。ちょっとした胸の痛みとともに、温かさが湧き上がるのです。

 

また高校時代は、同学年の誰よりも参考書を手垢で汚し、自然に落丁したページをセロハンテープで補正して勉強しました。本気で勉強したことのない人にとっては、触るのも憚られるほどの汚すぎる参考書でも私にとっては努力の証で、それを処分するのを決めるのに10年かかりました。

 

学生時代には、娯楽として、まさに本を貪るように読みました。私は気に入ったフレーズのあるページには、いわゆる“ドッグイア”、つまり端に折り目を付けますが、人によっては付箋を貼ったり、線を引いたりと様々かと思います。

学生時代のある時、母に勧められて(半ば強引に渡されて)読んだ『アインシュタイン150の言葉』の「ある偶然の出来事を維持しようとする不幸な試みを結婚という」という箇所に、線とともに花丸が付けられていたのを見つけた時は、娘として複雑な気持ちになり、その後、大笑いしてしまいました。(もともと仲が良くも悪くもない夫婦でしたが、それから約10年後の現在は、気持ち悪いくらいに仲良しです。) 

アインシュタイン150の言葉

アインシュタイン150の言葉

 

 

ちなみに母は読了日を記入するのが癖です。そして母が旧姓の頃から使っている『GEM』という英和・和英辞典が素敵で、何度おねだりしても譲ってもらえない。何らかの思い入れがあるのでしょうし、使い込まれた辞典だからこその風合いが、より魅力を感じてしまうのだと思います。 

ジェム英和・和英辞典

ジェム英和・和英辞典

 

 

上記のエピソード以外にも、紙の手触り、質感、重さ、匂い、携帯や保存の仕方による風合いの変化、プレゼントやサイン本などなど。もともとは、どれも同じに見えるピカピカの一冊が、それを手にした人のかけがえの無い一冊になり、また誰かに受け継がれていくこともある。

 

そういうところに、紙の本の魅力を感じます。ですので、私は欲しい本があればなるべく書店に何ヶ所か足を運び、それでも見当たらなければインターネット経由で購入することにしています。



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しかしながら、最近読んだ本で、ものすごく読みづらいフォントが使われているものがあり、冒頭の短い文章ではあったものの、「これが全文だと放り出していただろうなあ」と思ってしまいました…。ついに私も、電子書籍の便利さに気づいてしまったのです…。

 

タブレット端末は所持していたものの、購入直後にハードワークが続き、ついカッとなって売ってしまいました(後悔先に立たず)。今はKindle paper whiteの購入を検討しているところです。 

Kindle Paperwhite(ニューモデル)

Kindle Paperwhite(ニューモデル)

 

 

おわり。