| | 亡き母を思い、心を込めて盆踊りを舞う辻さん=長崎市稲佐町、稲佐児童公園
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毎年夏に全国各地で開かれる盆踊り大会。長崎市内では戦後、原爆犠牲者を悼むために「慰霊」と銘打って始まった盆踊り大会が脈々と続いている。7日夜、稲佐児童公園(爆心地から約2キロ)であった「稲佐校区原爆被爆死没者慰霊盆踊り大会」では、被爆者の辻かず子さん(91)=旧姓岡嶌、同市稲佐町=が、原爆のため45歳で亡くなった母カナさんを思いながら、あでやかに舞った。
大会は約500人の参加者全員で黙とうし、幕を開けた。「あまりにかわいそうな死にざまでした」。ちょうちんの明かりの下、辻さんは69年前の情景を思い出した。
当時22歳で電話交換手だった。夜勤明けで竹の久保町3丁目の自宅(同1・4キロ)に帰宅し就寝中、爆風に襲われた。気が付くと倒壊した家の下敷きになっていた。数時間後に助けられたが、母は家の柱が首に刺さり、息絶えていた。
盆踊り大会に欠かせない曲がある。「長崎盆踊り」。長崎の歌謡史に詳しい宮川密義さん(80)によると、原爆で肉親を亡くした青年が犠牲者の供養と復興への勇気づけにと制作を発案し、1947年8月9日に披露された。
「クルス(十字架)の陰で 母が弟が 見てござる」。原爆犠牲者に思いをはせた歌詞に、辻さんは悲しい気持ちを重ねる。
辻さんらによると、稲佐校区の盆踊り大会は昭和30年代に始まった。当初は8月7〜9日の3日間だったが、参加者や協賛金の減少で1日だけとなった。同様の大会は爆心地周辺の他の地域でも実施されていたが、徐々に減っている。
被爆当時を知る人も年々少なくなっている。それでも、主催する稲佐地区連合自治会の吉野定保会長(81)は「冒頭の黙とうで大会の意味合いを確かめている。若い人へ引き継ぎたい」と力を込めた。
辻さんは今年も約2時間、丁寧に踊り続けた。亡き母に見てもらいたい一心で。