例えば、今期放送中の『グラスリップ』。未来が予知できる二人の少年少女がその仲間たちを介して様々な臨死体験を重ねて時かけよろしく未来を変えていくという内容(と筆者は思い込んでる)だが、筆者はカタストロフィー論に特に秀でてる訳でもないので割愛する。
で、何が言いたいのかと言うと、折角のファンタジー要素があんまり役立っていない上に清涼感が場全体を包み込んでるというのに
甘酸っぱいといえば多少語弊はあるが、要するに恋愛というジャンルにおいてファンタジー要素は必要ないのでは?と思う事がある。
ここの会社の前作、西村純二監督でという意味において、『true tears』では、乃絵という少女がやはり電波であった事が実はあまり意味を為していなかった。
その上彼女は別にシナリオ全体のキーパーソンでもなく、道先案内人という役柄でも誰かに当てつけるような恋のライバルであったわけでもない。
ただそこにいただけである。
その意味から察するに、彼女自身がファンタジー要素なのではないかと時々思う事がある。
彼女は主人公ともう一人のヒロインを繋げるキーパーソンとして存在していた訳ではないが、少なくとも主人公の優柔不断な態度を改めさせる重要人物という地位にあったのかもしれない。
乃絵という少女は結局鶏と話す事が出来ると言ったり、また兄に主人公の恋人候補を突いて貰う役割を担わせるだけに存在していた、引っ掻き回し担当だとするならば、グラスリップの未来予知もあながち不必要ではないのかもしれない。
要はこのファンタジー要素も不必要ではない、何かを成し遂げるためにあえて不確定要素を残しておいたのではないだろうか。
少なくとも本編の主人公透子はこの未来予知に同じくそれを覗く事が出来る駆もそれによる繋がりを意識しているのだから、恋愛アニメにおけるこのファンタジーはある一定の成果を齎すのかもしれない。
ただ、恋愛アニメ、つまり『君に届け』とか『好きって言いなよ。』のような完全な青春ドラマにはこの要素は必要ないし今後も出て来る兆しはない。
恐らくそれが必要になるのは、恋愛に対してある一定の共鳴や共感を覚えるために必要な不確定のファクターが作用する時だけであろう。
「私はファンタジー要素のある恋愛アニメが好きじゃない」 お前が言いたかったのはこれだろ? 出発点間違ってんぞ
意味ありげな文章を生成するプログラムかな?
俺達にとっちゃ恋愛そのものがファンタジーだから