広島原爆の日:亡き夫に励まされ…ヒロシマと世界結ぶ女性

毎日新聞 2014年08月06日 08時00分(最終更新 08月06日 18時31分)

 米国との二重国籍だった馨さんは日本国籍を選択。米国での子供時代は日本人とばかにされ、日本では米国のスパイと疑われたこともあったという。だが馨さんは生前、「自分の選択はすばらしい」と話していた。公務員として広島にいながら世界とつながる自分を誇りに思っていた。

 小倉さんには忘れられない夫の言葉がある。主婦として子育てに明け暮れていた毎日。「あなたはいいわね。仕事があって、本を読む時間もあって」。何度もため息をつく妻に夫は言った。「ケイ、今にチャンスが来る。君にできることがきっとあるよ」

 79年、58歳の馨さんは平和宣言の起草の最中に急死した。その後、本格的に英語を学び、35年後の今、小倉さんは平和のためのボランティア通訳者グループを組織し、被爆者としても世界の要人の前に立つようになった。

 小倉さんは言う。「式典に参列するということは、地下に眠る多くの人の上に立つということ。その上で、大国が何をすべきか、自分には何ができるか考えてほしい」

 二人とも、愛する人を突然失う悲しみを知っている。知っているからこそ、人の命の大切さや広島の痛みが分かるはずだと信じている。【高橋咲子】

最新写真特集