広島原爆の日:亡き夫に励まされ…ヒロシマと世界結ぶ女性

毎日新聞 2014年08月06日 08時00分(最終更新 08月06日 18時31分)

 広島は6日、69回目の原爆の日。亡き夫に背中を押され、ヒロシマと世界を結ぶ女性がいる。日系2世で元原爆資料館長の夫が急死した後、喪失感の中で英語を学んだ被爆者の小倉桂子さん(77)=広島市中区。夫の生まれ故郷でもある米国は原爆を投下した国であり、核兵器の保有国でもある。小倉さんは6日の平和記念式典に初めて参列するキャロライン・ケネディ米駐日大使や、各国大使に「死者の声なき声に耳を澄ませてほしい」と願っている。

 8歳のとき、爆心地から約2.4キロの自宅のそばで被爆した。すすと血で真っ黒の女性が足にしがみつき、求めに応じて水を飲ませると、目の前で息絶えた。「どうして水をあげたんだろう」。目に焼き付いた光景は、何十年たっても夢で小倉さんを苦しめた。式典会場の平和記念公園にかつてあった街で亡くなった親戚も多い。

 「想像してみてください。ここに原爆が落ちたら−−」。2011年から市の要請で広島を訪れた海外の要人や若者に、英語で被爆体験を伝えている。「目と目を見合わせれば、何かが伝わるはず」。そう思うからこそ、胆のう摘出手術をした直後の今年4月も、広島であった軍縮・不拡散イニシアチブ(NPDI)外相会合で証言の場に立った。

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 「ここに立つと、主人を感じて胸がいっぱいになる」。原爆資料館は小倉さんにとって特別な場所だ。東館の壁に張られた核実験の抗議文は夫馨(かおる)さんが訳し、馨さんは亡くなる直前も資料館にいた。

 馨さんは1920年、3人兄弟の次男として米国シアトルで生まれた。10歳で父のふるさとだった広島に移り住んだ。徴兵先のインドネシアで終戦を迎え、戦後は米国政府機関勤務を経て広島市職員に。自宅には海外の研究者やジャーナリストが訪れ、さながら「平和のサロン」だった。

 市長室次長だった78年には、原爆資料館を訪れたケネディ一族を案内した。毎日新聞の記事によると、叔父のエドワード・ケネディ上院議員(故人)と一緒に初来日した当時20歳のキャロライン・ケネディさんは、被爆した職員に「怖くなかったの」などと矢継ぎ早に質問し、一行が立ち去った後も展示物の前に一人立ちつくしていたという。

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