被爆者手帳:4294件却下 「第三者証人2人」が壁
毎日新聞 2014年08月08日 08時30分
松本さんは爆心地から約33キロ北にある川棚海軍工廠(しょう)(同県川棚町)で魚雷製造の仕事をしていた。原爆投下翌朝、上司から命じられ、列車で川棚駅に運ばれて来た被爆者を川棚海軍共済病院へ搬送した。
松本さんは「直接被爆していない自分は無理だろう」と思い、手帳の申請をしていなかったが、高齢になり、被ばくの影響が出るのではという不安は常に抱え、昨年12月の毎日新聞の記事で「被爆で負傷した5人以上と接触」などの要件を満たせば交付されることを知り、申請を決めた。
国は申請に際して「第三者2人以上の証明」などを求めている。思い出した名字の家に片っ端から電話したが手がかりはなかった。
それでも松本さんは、何度も川棚町に足を運び、懸命に思い出し、申請書類を作った。「列車内には上半身、下半身がむき出しの人がいました。全身被災し重傷の人もおり、おんぶや抱きかかえて搬送しましたが、どこを触っても痛いというので困りました」。思い出すのは苦しく、頭の芯が熱くなった。県原爆被爆者援護課は「証人がいないからといって必ずしも却下するわけではない。文献等で被爆事実を確認し交付するケースもある」としている。【樋口岳大】