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法華狼の日記

2014-08-07

[][]テレビ朝日版『ドラえもん』の誕生に高畑勲監督が貢献していた

藤子・F・不二雄大全集 パーマン 7』を読んでいたところ、別紙壮一プロデューサーが巻末に寄稿していた。シンエイ動画のたちあげにかかわり、最近に退職するまで専務取締役までつとめていた人物だ。

もともと『ドラえもん』を制作するためシンエイ動画が生まれ、放映できるまでにかけた苦労が語られる。その苦労のひとつとして、アニメ化権料を支払うかわりにレポート提出を求められたくだりが出てくる*1

 アニメ化の権利をおあずかりするにあたって、いくらかお支払いしようとしたのですが、藤本先生は「お金はいりません。その代わり『ドラえもん』をどうしたいのか、『ドラえもん』のどこが好きなのかということをレポートにして提出してください」と言われました。

 私や楠部は文才がなかったので、当時一緒に仕事をしていた高畑勲さんに『ドラえもん』を読んでもらってレポートをまとめてもらいました。それをお持ちしたところ「わかりました、結構です」とお返事いただき、権利をあずけてくださったんです。

そうして他社の仕事を下請けしながら、2年半後にパイロット版がテレビ朝日に気にいられて放映にこぎつけた。以降の成功は誰もが知っているところ。

権利料を求めないところは、いかにも原作者らしいエピソードだ。引用の直後に言及されている日本テレビ版『ドラえもん』の失敗も、制作許可に慎重になった一因だろうか。

一方、シンエイ動画の前身であるAプロに高畑監督が所属し、『パンダコパンダ』シリーズ等を作っていたことは有名だった。しかし会社が新生した時まで、名前が出ないかたちでかかわっていたことは初めて知った。そして高畑監督にしても、後年に『風の谷のナウシカ』のプロデューサーをまかせられた時のエピソードを思わせる、それらしいエピソードだ。


ちなみに『ドラえもん』『パーマン』ともに放映が軌道に乗ったころ、原作者から絵柄の統一を求められたという。

基本的に制作現場の裁量にまかせていた原作者なので意外の念があったが、かつて『ドラえもん』は月曜日から土曜日にかけての10分間帯番組で、『パーマン』は15年ほどのブランクがある原作の絵柄変化にひきずられ、実際に不安定なしあがりだったと別紙プロデューサーがふりかえっている。『ドラえもん』は金曜日の30分枠にうつったことで作画監督をひとりに統一でき*2、『パーマン』はキャラクター設定書を起こして統一することにしたという*3

きちんとしたキャラクター表がないまま作画していたとは信じがたいが、おそらく充分なものがなかったというくらいの意味だろう。これならば原作者がアニメ企画時に参考となるキャラクター表を描き起こしていたり、熱心に協力していた理由もわかる。1980年代と現在とでは、TVアニメに求められる質が違うのだろう。

*1:343頁。

*2:344頁。その後に「ジャイアンの前髪の形と数を決めましょう」ということや、驚いた時もふくめて「しずちゃんの目を寄り目に描かないでください」ということが決められたという。現在ならばキャラクター表で指示しそうな範囲のことだ。ちなみに『ドラえもん』は放送枠を移った後にもキャラクター表を描きなおしていた。

*3:345頁。

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