男は何かに怯えるように、震えながら全てを語った。

アニメ大好きな大人たちが集まった収容施設「511キンダーハイム」。
そこで少年ヨハン・リーベルトは、大人たち全員が憎しみ殺し合うのを、上から、悠然と、ただ眺めていた。
そのとき彼……ヨハンは、ひとこと、たったひとこと声をかけただけだったんだよ。

ただひとこと「物語の“リアリティ”…って何ですか?」と。


アニメにおける「リアリティ」話は、ゲームにおける「ゲーム性」話と似た危険性を持っています。
すでにある定義を共有している仲間内や、定義が不十分でも文脈理解力のある人(普通程度でOK)との間なら、特に大きな問題は起こらないでしょう。

ただ言葉の意味がとにかく広いので、不特定多数に向けた場合、誤解によるトラブルが発生しやすいのは確かだと思います。

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力石くん、ここにひとつのまとめがあります。これをお読みなさい。(白木葉子)

「新セーラームーンはリアリティが無い」という暴論。あるいはSEEDとザブングルどっちがリアルか問題
http://togetter.com/li/695141

あでのい 17歳女子高生さん(@adenoi_today)によるTogetterまとめ。
新旧の『セーラームーン』を中心に、『戦闘メカ ザブングル』『機動戦士ガンダムSEED』などのロボットアニメの話題も交えて、アニメにおけるリアリティコントロール、リアリティレベルの統一について語られています。

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先日、日本はおろか台湾(の一部)でも注目されるほど、大きな話題となりました。
広く拡散しましたからすで知っている方も多いでしょうが、面白い話題なので未見の方はぜひご覧になってください。

御本人もタイトルにヨハン・リーベルト成分が含まれていることは自覚なさってますが、このまとめにはさまざまな反応が寄せられました。

そうした中に「『セーラームーン』の話に、ロボットアニメを引き合いに出す必要はあるのか?」といった反応も見受けられました。

これはあります。
ロボットアニメを持ち出すことそのものは的外れでも何でもないと私は思っています。
それはなぜか。

『セーラームーン』といえば「愛と正義のセーラー服美少女戦士(自称)」ですが、この要素を物語に組み込むことは、巨大ロボット「モビルスーツ」を組み込んで物語を構築することと本質的には同じはずだからです。

ロボットアニメでは「巨大ロボット」という虚構性の高い、大嘘ガジェットを作品世界に存在させるために、それを受け入れる世界やキャラクターなど作品全体でロボットの存在を支えてもらう必要があります。

以前引用した名言に再度登場してもらいましょうか。

富野由悠季監督「ロボット物をらしく創る要素は、ロボットを動かしてもいい世界観をつくることである」


これは逆に言えば、「ただロボットが存在しているだけでは、ロボットアニメは成立しない」ということを示しています。世界、キャラクター、さまざまな描写が、薄っぺらな二次元のロボットを立体的にする。
同じように『セーラームーン』も、ただ単に「セーラー服美少女戦士」が存在しているだけでは不十分だと考えます。

実際、『ガンダム』も『セーラームーン』も魅力的な被写体が最大限活きるように、サイズの大きい嘘でも入るような世界を用意し、本当(現実と地続きな部分)を混ぜたり、補強する小さな嘘を重ねたりして工夫がされています。

「セーラー服美少女戦士」と「ロボットアニメ」の比較に意味はあるか


確認しておきたいのは、魅力的な被写体(キャラクター)やビジュアル(絵面)、それらから展開されるであろう面白い物語を作ることが目的であって、リアリティは説得力や言い訳や魅力を増加させるものとして、目的を支える側の立場だということです。

リアリティのために作品が作られるわけではありません。
リアリティに作品を合わせるのではなく、作品のためにリアリティを合わせるという関係。
だからこそ「リアリティコントロール」と言うぐらいには、作品に合わせて調整(コントロール)して運用できるような柔軟なものなんだろうと思います。

とりわけロボットアニメなどは「実現すべき嘘のサイズ」がひときわ大きいジャンルです。
嘘が大きからこそ作る側は、物語に組み込む過程でロボットを輝かせるためのリアリティを考えざるを得ないし、コントロールせざるを得ないはずです。

例えばもしそれで、作品が「何でもありの世界」になったのであれば、それは作品の魅力が最大限発揮できる舞台として「何でもありの世界」が選ばれた(設定された)ということでしょう。
リアリティなんか最初から無いのではなく、視聴者が「この作品のリアリティなんて、求めてないし気にしてないよ」と違和感なく思える世界を用意できたわけで、それもまた適切なコントロールであると思います。

このように、物語、特にキャラクターから背景から全てが絵空事のアニメーションでのリアリティは、自然に存在するものではなく、意図を持って設定され、コントロールされることで存在する要素です。
それは「美少女変身モノ」でも「巨大ロボットアニメ」でも変わりません。

もちろん、こうしたコントロールが上手な作品もそうでない作品もありますし、それら作品に対する批評や比較が適切なのかどうかという問題は存在します。それこそ言葉の使い方の問題もあるでしょう。
ただ、「美少女変身モノ」と「ロボットアニメ」のリアリティについて比較しながら考えてみることは別に無意味ではないはずです。私はそう思います。

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私は残念ながら『セーラームーン』については全く詳しくないですし、新しいシリーズも見ていません。
ジャンル比較などは出来ませんが、ロボットアニメの方でもう少し、大嘘ガジェットを支える世界とその描写について考えてみましょう。

『ザブングル』で感じるリアリティとは何か


題材は、まとめ内でも巨大ロボット物のリアリティの例として出されていた『戦闘メカ ザブングル』。



二代目主人公ロボットであるウォーカー・ギャリアに初めて乗った主人公ジロンの「おっ! この音は16気筒か!」のリアリティとは一体何なのか。
いや、これから私がするのは別にリアリティの話ではないですね。
ロボットのために用意された物語世界と、それを画面越しに見る私たちの世界とのつながりの話です。
(そして、いつもの当ブログらしく、富野アニメについてぐだぐだ書く流れです)

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なぜウォーカーマシンは「ガソリンとハンドルで動くロボット」なのか


『戦闘メカ ザブングル』の舞台は、星ひとつが砂漠化して西部劇化した「惑星ゾラ」と呼ばれる地球です。
私たちの住む水の惑星地球とはかなりかけ離れている荒野の惑星ゾラは、ゴロツキどもが巨大ロボット・ウォーカーマシンで商船団を襲うような世界で、ゾラは世の中荒れ放題。ボヤボヤしてると3日以内にバッサリな世界でもあります。にっちもさっちも。にっちもさっちも!

『ザブングル』のウォーカーマシンといえば「ガソリンとハンドルで動くロボット」。
動力源は「ガソリンエンジン」。操縦方法は「ハンドル」や「クラッチ、アクセル、ブレーキ」。

主人公たちがハンドル操作で「どうやって、人型ロボットをこんなに器用に動かすの?」と言ったアクションを見せることもあって、よく面白いものとして(バカにするのも含む)取り上げられたりすることもあります。

確かにコメディ成分が多分に含まれる『ザブングル』の作風もあって、ウォーカーマシンはユーモラスでおおらかな作品の象徴ではあるでしょう。

ですが私は、この「ガソリンとハンドルで動くロボット」という設定が、世界観上とても重要だと思っています。

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荒野の惑星であるゾラは、私たちの地球とはかなり異なる世界。
異世界を舞台にした、主人公ジロンたちのタフでコメディあふれる巨大ロボット大活劇。
まぎれもなくフィクション。当時子供であった私を毎週楽ませてくれたTVまんがです。

ところがその中で「ガソリンとハンドルで動くロボット」であるウォーカーマシンだけは、現実世界にいる私たちが直接のつながりを感じることが出来る設定となっています。

私たちは、化石燃料で動く車に乗り込み、ハンドルで操作していますからね。
もちろん、車とウォーカーマシンでは足の有る無いの差はありますが、動力とインターフェイスは同じですし、個人ユースの「足」という機械への距離感はかなりよく似ています。
そもそも、二足歩行の巨大ロボットなど虚構性の高い存在なのですから、不思議動力と不思議インターフェイスで動く不思議ロボットでも構わないのですが、ウォーカーマシンはそうはなっていません。

ですから、ジロンが新型ウォーカーマシンを前にしたときに発した「おっ! この音は16気筒か!」という感動を、私たちはダイレクトに理解することができます。
(もちろん私はエンジン音で見分けがつくわけではないですが)
いきなりアクセル吹かしてエンジンが風邪をひくのもそう。
私たちはガソリンとハンドルで動く機械の扱い方も、良い所も悪い所も知っている。ジロンたちのように。

こうして「ガソリンとハンドルで動くロボット」で、私たちと異世界とのつながりを作っておいた上で、物語が進むと、その異世界ゾラが実は未来の地球の姿だと分かります。(前半に判明するレベルのネタ)
つまり「ガソリンとハンドルで動くロボット」に対する共感は、単なるフィーリングの問題ではなかった。
ウォーカーマシンは今私たちが乗っているガソリン自動車の延長線上にあるものだったわけです。

ザブングルは男の子。と同時に、ザブングルはクルマの子でもあったわけです。
そして僕らはアトムの子。どんなに大きくなっても、心は夢見る子供さ。
(頭に浮かんだことをそのまま書くところがね)

世界とキャラクターと視聴者をつなぐためのロボット


さらに考えれば、さらに面白くなります。(訳:こっからさらに長いよ!)

『ザブングル』劇中には、2つの人類が登場します。
ひとつは、主人公ジロン達、強い生命力を持ったたくましくい「シビリアン」。
もうひとつは、惑星崩壊前のテクノロジーを保持している支配層「イノセント」。

惑星ゾラは天変地異により、普通の人類(イノセント)が住めない環境になってしまいました。
イノセントの「再び大地を踏みしめたい」という思いが、二足歩行の機械ウォーカーマシンを生み出しました。
これは『ザブングル』での二足歩行ロボットが登場する言い訳ではありますが、まさしく文字通り「足」としてのマシンであったわけです。我々が自動車をそう思っているように。いやそれ以上の気持ちで。

イノセントはさらに、この過酷な惑星に適応した人類を人工的に生み出しました。
その人類再生計画の完成形がジロン達「シビリアン」です。
生命力の強いシビリアンは、乾いた大地を走れないイノセントの代わりに惑星ゾラを元気に駆け回ります。

つまり、ウォーカーマシンもシビリアンも、イノセントの代わりに世界(惑星ゾラ)を駆けまわるものとして「作られた」ものなんですね。
その意味で、ザブングルとジロン・アモスはとても良く似ています。
ここで訓練された民であれば、『ザブングル』OPで、銃を構えたジロンに全く同じポーズで銃を構えたザブングルが重なるカットが思い浮かぶはずです。


サムネイルのドマンジュウ感が強いですが、そのカットは、1:16あたりから。
ちなみに私は、イントロでラグがバッと手足を広げるのが気持ちいい後期OPの方が好きです。


支配階級イノセントの立場・考え方・文化的背景は、私たち現代人に近いものがあります。
作品の設定からすればイノセントは、地球を崩壊させてしまった未来の私たちと言ってもいいかも知れない。

そのイノセントが次代の人類としてデザインした人類シビリアンは、野蛮で文化的ではなく、三日経つと全て忘れて刹那的に人生を楽しむような生き方で、私たち、特に現代日本人の感覚とはかなり異なります。
同じイノセントが作ったものとしては、自動車の延長線上にあるウォーカーマシンの方が親近感が持てるかも知れない、というのはこれまで語ってきたとおり。

この「主人公(シビリアン)よりロボット(ウォーカーマシン)の方が心理的距離感が近い」というのが、『ザブングル』の面白いところでもあります。

では主人公ジロンをはじめとした人工人類であるシビリアンのことを、私たちは理解できないのか。
できます。シビリアンと私たちをつないでくれるのも、また「ガソリンとハンドルで動くロボット」です。

ジロンたちは、Togetterまとめの例に出ているように、ガソリンとハンドルで動かす機械の喜びを知っているんですよね。
おニューのシートに座り、エンジンをかけて感動し、機械を子供のようにあやしたり、なだめたり、駄々をこねられたり。
新しい乗り物への感動。古い乗り物の面倒さと愛着。
そして惑星ゾラのモチーフである西部劇的にいえば「相棒」としての愛馬の存在感。

そのあたりのコントロールが非常に上手いなと思います。
新型ウォーカーマシンであるギャリアに感動するジロンは、確かに私たちとは異なる作られた生き物ですが、まさに私たちが新車を初めて運転するときの心の動きとまったく同じです。
私たちはジロンを理解できる。異星人でも人工生物でもなく、同じ感覚を共有できる同じ人類として。

惑星ゾラとシビリアンと私たちをつなぐ「ガソリンとハンドルで動くロボット」。
これはけしてコメディとして笑うためだけの面白設定ではないです。

大活劇のために生まれた子供たち


ウォーカーマシンも人工人類シビリアンも、イノセントの代わりに世界(惑星ゾラ)を駆けまわるものとして「作られた」もの


先ほどこう書きましたが、これを踏まえて、少し角度を変えてメタ的に考えてみるのも面白いかも知れません。(訳:もう少しこんな調子でさらに長くなるよ)

私たちとイノセントを重ねてみたとき、私たち=イノセントは、物語の舞台となる惑星ゾラで生きていくことができない種族です。西部劇よりも何倍も過酷なこの世界では、すぐに死んでしまいます。

しかし、惑星ゾラのためにデザインされた人類=シビリアンであれば、この荒廃した大地でたくましく活躍することができます。自然にしろ荒事にしろ、少々のことでは死にません。
精神的にも、文明崩壊した地球を前にシリアスに生きざるを得ないイノセントと違って、楽天的に単純に生きていけます。

つまりシビリアンは、惑星ゾラという活劇の舞台で活躍するためにデザインされた「フィクションチャイルド」と考えても面白いかも知れません。物語のためにつくられた人類という意味で。

私たち=イノセントのようなデリケートな生き物は惑星ゾラで活躍できません。
もっとリアリティレベルを下げた「フィクションチャイルド=シビリアン」こそ、この星の主役となるために産み出された存在です。

私たち=イノセントは、「フィクションチャイルド」であるシビリアンが惑星ゾラの大地で駆けていくのを眺めている。
イノセントは、安全なドームの中から。私たちは……そう例えば土曜夕方のTV画面から。

「三日限りの掟」「ブルーストーン経済」などのゲームルールを設定し、シビリアン同士が終わりない闘争とロボットプロレスをするように煽り、それが続くように調整していく。

ところが、ゲームルールを無視し、イノセント自体に反抗しようとするシビリアンが現れます。
これこそが主人公ジロン・アモス。彼は盗賊サンドラットですら疑問を持たずに律儀に守る世界のルールを悪用する形で無視し、あろうことかイノセントのドームを破壊して回る。
イノセントのシナリオにはない想定外の存在です。

物語中盤に発生するエルチ誘拐による洗脳は、この流れの場合、「シビリアン同士の闘争」シナリオへの軌道修正の試みでもあるし、「かつての仲間が敵となり戦う」という物語展開の演出をしたということになるかも知れない。

イノセントによる必死のシナリオ修正もむなしく、シビリアンの反乱は成功し、支配体制は打破される。
すると当然、私たちがイノセント演出のもと毎週楽しんできた、シビリアンたちのドタバタ放送もあえなく最終回となります。
ひたすら走り続けるジロンたちシビリアンを残して、私たちは残念ながら惑星ゾラを去ることになるわけです。(そして別の惑星系、ペンタゴナワールドへの移動を余儀なくされます)

ジロンたちは、私たち=イノセントが終わりない戦いを楽しむためにつくったすべてのシステムを破壊して、フィクションから開放され、物語のために作られた惑星を自分たちのものにしました。
彼らはイノセントなき惑星ゾラを走り続けるでしょう。

最終回を越えて、フィクションから解き放たれた惑星ゾラ


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『ザブングル』最終回後の世界を舞台にしたマンガ、『Blue gale(ブルーゲイル)』。
実は、表紙で分かるように、ラグ・ウラロが主役になっており、ジロン・アモスはもう死んでいる設定になっています。
私は当時、最初に読んだときには正直「あのジロン・アモスが死ぬかな?」と思ったりしました。
でも、物語の主役として「フィクションチャイルド」だったジロン・アモスが、最終回を越えて、そうでなくなったのだとしたら、あっけなく死ぬこともあるかも知れないと思います。単なる普通の人間として。

『Blue gale(ブルーゲイル)』ではさらに、ジロンと並ぶ物語の主役であるザブングルも、イノセント不在の世界で充分にメンテや修復ができず、近いうちに朽ちていく存在として描かれています。
これもジロンの死と合わせて、物語が終わったことで訪れる、フィクションの塊である主役ロボットの死と考えると面白いものがあります。

惑星ゾラは、こうして「フィクション・チャイルド」と「二足歩行巨大ロボット」が死に絶え、普通の西部劇世界になっていき、やがて『ベル☆スタア強盗団』につながっていくわけです。

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ちなみに、Togetterまとめで『ザブングル』と対比させる形で取り上げられている『ガンダムSEED』。
あの主人公は新人類「コーディネイター」で、ジロンと同じくデザインされた人類なんですよね?
私は『SEED』は見てないに等しいので何も語れないけれど、物語のためにデザインされた人間という形で比較すると面白いのかも知れないですね。

……と、いうようなことをTwitterで書いたところ、雪踏駄さん(@H926)が、以下のようなツイートをなさっていました。



『SEED』も『OO』もちゃんと見たとは言い難いのでコメントできないですが、興味深く拝見しました。
もし見る機会があるなら、参考にさせて頂こうと思います。

日本アニメのヒーローロボットvs実在の米軍爆撃機


さて、夏の『ザブングル』祭り2014と題しまして、本当にイヤになるほど長々と語ってきましたが、お別れの時間が近づいてまいりました。(訳:いい加減しんどいのでこのあたりで終わります)

「シビリアン」と「イノセント」の関係といえば、やはり当時の状況を踏まえつつ『風の谷のナウシカ』とも対比させて、新人類VS旧人類的な構図をとるのが自然かつ基本ではないか思います。

ただ、それだけで終わらせてしまうのは惜しいので、今回はフィクションを作る側(消費する側)と、フィクションに参加する側(フィクションチャイルド)という構図を持ちだしてみました。

本当は「フィクション」ではなく「フィクショナル」であるべきかも知れませんが、多分『蒼き鋼のアルペジオ』に出てきた「デザインチャイルド」が頭にあったんじゃないかなという気がします。
Twitterでツイートしながら考えたので、特に由来もなければ、使い方も適当なクラムボン級の言葉です。ニュアンスだけでも伝われば幸いです。

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「シビリアン」と「イノセント」の関係については、以前の『ザブングル』記事で少し書きましたが、「戦後占領下の日本人」と「GHQ」になぞらえる方法もあるかな、と思っています。
ただ知識も技術もないし、アニメをダシに社会と政治を語るような形になってしまう気がするので、そもそもあまり乗り気がしません。ただ、でっちあげることはできるな、とは思いますね。

私の「イノセント=GHQ」的なイメージの原点は、大人になってからというより、恐らく子供時代にリアルタイムで見たイノセントの飛行機だと思われます。
ジロンがさらわれたエルチの奪還を目指してイノセントのドームを襲撃する中で、そのエルチを乗せて、空の彼方へ去っていく飛行機。
これは実在の飛行機で、Wikipediaによると、太平洋戦争にも使用された米軍の爆撃機だそうです。

飛行機械はほとんど存在しないが、実在する爆撃機フライング・ガン・シップ「ミッチェル」(ノースアメリカンB-25J爆撃機)などが登場する。外観はオリジナルの通りで米軍のマーキングまで再現されているが、イノセントがドームの外に出る際の移動手段として使用されている。機内はドーム内と同様に彼らの生命が保たれるようになっており、内装も作り変えられている。
Wikipedia 『戦闘メカ ザブングル』:登場メカ


もちろん、まだ子供の私は当時「GHQ」というものを知らなかったと思います。
ただ、実在の米軍飛行機が惑星ゾラの空を飛んでいて、それに日本アニメの主役ロボット(ギャリア)が必死に飛びつこうとしても届かない。どうしても届かない。このイメージ。
政治的なものとか社会学的にどうのとかでは全然なく、子供のときの強烈なビジュアルイメージ、それだけだったりします。
「戦後占領下の日本人」と「GHQ」というのは、大人になった私がこのイメージに適当に名前を付けただけのことで。

今夜はお前とカタカム・ズシム(関連記事紹介コーナー)


では最後に、このブログで過去に書いた『ザブングル』記事の紹介を。
基本的にそれぞれの記事は独立していますので、全部読まなくても大丈夫です。(ただし、どれも長い)

惑星ゾラで生きるための、たったひとつのルール。<"異世界もの"としての戦闘メカ ザブングル>

『ザブングル』の舞台、惑星ゾラには「三日限りの掟」という、ひとつのルールがあります。
「三日の掟、泥棒、殺人、あらゆる犯罪は三日逃げ切れば全て免罪」という単純なルールですが、これが提示されたことで、惑星ゾラはすばらしい異世界となりました。
『ザブングル』を知らなくても、作品舞台としての「異世界」づくり、という意味でいろいろと考えてみるのも面白いと思います。

ブルーストーン経済によるシビリアンコントロール<『戦闘メカ ザブングル』惑星ゾラ開発史>

『ザブングル』の舞台である「惑星ゾラ」が、ロボットアニメの物語世界として出来上がるまでを、富野監督の手記を元に追いかけます。分かりやすくするために図を入れてあります。
『ザブングル』に興味がなくても、物語創作や、それに関連する世界構築に興味がある方なら、楽しんでいただける内容ではないかと思います。

ジロン・アモスの持論に基づくダブルスタンダード<『戦闘メカ ザブングル』のイノセント・ワールド>

上のブルーストーン経済記事の続編というか、補遺拾遺のような記事。
主人公ジロンは三日限りの掟を破るのと同時に、都合よく掟を利用している。つまりダブルスタンダード。
そこに単にルールの破壊者ではないジロン・アモスの特異性を見る……いや、これ内容を大分盛ってるな。
実際は、3つぐらいの話に分かれています。


以上、長い記事で恐縮ですが、『ザブングル』を見ていない方がもし興味を持って頂けたなら幸いです。
『Gのレコンギスタ』にはまだ少し間があります。その前に楽しい『ザブングル』あたりで体を慣らしておくのも悪くないでしょう。(プールに入る前に慣らさないと心臓マヒで死ぬぞ的感覚)

「女いろいろ万華鏡」(第37話)みたいな楽しいサブタイトルが出てくるアニメはそうそうありません。
「今夜はお前とからくり時計」とほぼ同じジャンルのワードとして、私は日常で使っています。
みんなも使おう。

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