夏はアジア地域安保の季節である。ASEAN外相会議(AMM)、同拡大外相会議(PMC)、ASEAN地域フォーラム(ARF)と、外相が集う3つの多国間対話がASEAN議長国で開催される。今年のASEAN議長国はミャンマーで、3つの会議はこの週末、連続して首都ネピドーにて開催される。
最も注目を集めるARFに関しては、拉致問題解決に向けての一つの重要なステップ、日朝外相会談が10年ぶりに開催されることから、日本でも同問題を中心に関心が高まっている。しかしながら全参加国最大の関心事項は、南シナ海での領有権問題にある。係争当事国である中国や一部ASEAN加盟国に加え、近年米国も強い態度でもって中国に接するなど、同問題は現在、東アジアの安全を脅かす最重要課題の一つとなっている。
地域の安全を維持するためにどのような手段が最も有効であるかについては、国際政治学者の間でも意見が分かれる。例えば日本が位置する東アジアの秩序形成については、「力」の概念の重要性を唱える現実主義者は、米国を中心とした2国間同盟網である「ハブ・アンド・スポークス」体制の有効性を唱える。他方、自由主義者たちは、成長著しい東アジア経済の相互依存関係の進化に、紛争の蓋然性を低下させる抑止効果を見出す。
あるいは、アジアにおいて地域多国間制度を利用しようとする意志が、特に米中など大国の間で高まっていることを鑑みると、多国間協議が提供する会合の習慣化と、メンバーによる規範への従順により地域間協力が進み、地域秩序の安定につながるとする、構成主義者の説に説得力があるように思えるかもしれない。
しかし現実は、多国間制度において地域全体で安保協力を進めようとする動きにはつながっておらず、米中ともに自国の主張を優位に展開させるため、多数派工作活動拠点として同制度を位置づけているに過ぎない。
これらの地域制度は元来、各国の軍事や防衛政策の協調、調整を推進するものでも、ましてや共同軍事演習を提供するものでもない。対話を通じて閣僚や政府高官の交流を促進し、参加国間の防衛整備や安保政策の方向性に関する透明性を高めるといった信頼醸成装置の役割を担ってきたものである。つまり東アジアの地域安保制度は、米国が国連などの多国間制度に伝統的に求めてきた「結果志向」に基づくものではないということだ。現にブッシュ政権期のライス国務長官は2005年からの在任の4年間、2度もARFを欠席し、東南アジアの外交筋を落胆させている。
しかし米国は、軍事予算の削減を強いられる中で、軍事的、経済的に超大国化する中国との軍事衝突につながるあらゆる可能性を避けつつ、国際法に基づく海洋領域に関する紛争の平和的解決を中国に促し、紛争の火種を消すためのあらゆる手段を講じる必要性に駆られた。また、世界の商品貿易の約9割を占める海上貿易中、重量ベースで約半分が南シナ海を通過しているため、この海域の安定や航行の自由は自らの通商にも影響を受けることからも、米国は強い関心を示すようになった。
ルールに法的強制力がない東アジア安保制度のような多国間主義では、自らの意向を実現させるための連携形成(coalition-building)が主要な機能になる。つまり参加国間で争点が鋭敏化すればするほど、その争点を巡って対立する国同士の力関係が拮抗すればするほど、このような仲間作りのための多国間主義の利用価値は高まる。そこで米国は従来の方針を転換、アジア地域安保制度にも関与するようになる。これがオバマ政権が唱えるアジアに外交の軸足を移す「リバランス政策」の本質である。
本論はこのように米国の安保多国間地域制度への関与が強まる中、中国の行動に影響を与えたのかどうか、もしそうならどのような変化が現在みられるのか、来週にARFなど一連のASEAN会議が開催されるのを前に、少し整理をしてみたい。
米中の主張の相違
南シナ海では、中国、フィリピン、ベトナム、台湾、マレーシア、ブルネイが、各々の領有権を主張している。特に中国は、各国の主張する領海や排他的経済水域(EEZ)と大きく重なっている「9点線」と称される同海の約9割を占める広範な領有権を歴史的根拠によって繰り返し主張している。そして、主権に関する同問題は他国と交渉の余地はないと宣言、領海を基線から12カイリ、接続水域を24カイリに設定できるとする国連海洋法条約(UNCLOS)に従う意思を示していない。
中国の国際法を無視した要求には、中国の対外原油依存度が2009年にすでに50%を超えており、持続的な経済発展に不可欠である資源を自力で確保することを重視せざるを得ないという背景がある。中国国土資源省によれば、南シナ海の石油埋蔵量は推定230億から300億トンで、中国国内の埋蔵量の3分の1に相当すると言われており、近海で輸送工スト等も極めて低く抑えられることからも、のどから手が出るほど望む海であろう。
本年5月、同国を代表する国営企業である石油天然気集団(CNPC)が巨大石油掘削装置をベトナムの排他的経済水域(EEZ)内にあるパラセル諸島付近に派遣したことで、中国の野心が突如具現化されることとなった。後述のように、この動きと中国船によるベトナム船への体当たり攻撃とが相まって、ベトナムでは1万人規模の反中デモにつながり、中国籍の労働者に死者が出るなど、中越関係は険悪な状態に陥っている。
米国の立場は、UNCLOSの遵守と航行の自由の確保、そして地域の安定維持であり、中国以外の当事国の主張にもこれに沿っている。例えばフィリピンは、中国が2009年5月に国連に提出した文書において南シナ海ほぼ全域の領有を主張したことに対して、2011年4月に「国連海洋法条約上の根拠がない」とする抗議文書を国連に提出しているが、これは米国の立場と同じくするものである。フィリピンはさらに2013年1月、南シナ海問題を、UNCLOSに基づき仲裁裁判所で解決することという米国の立場に基づいた提案をもしている。
しかし中国は当事国同士の折衝を通じて解決するというのが重要な共通認識だとして、このアプローチに与する動きは一切示していない。加えて2002年に合意した南シナ海に関する「行動宣言」に代えて、法的拘束力を持つ「南シナ海行動規範」の策定というASEANの要求に応じる姿勢も示していない。
中国と米国の見解にある深い溝は、2010年のARFにおけるあるエピソードからも見て取れる。クリントン国務長官(当時)は、南シナ海における航行の自由に国益を有すること、アジアの公海においては開かれたアクセスが確証されるべきであること、領有権の主張は国際法に基づくべきであることを中国に突き付けた。ARFにおいて南シナ海問題が初めて取り扱われた瞬間である。それに対し、中国の楊潔篪外相(当時)が強く反発、一時は退室までする事態となった。楊外相はこの時、中国はARFに参加するどの国よりも巨大であると述べるなどの高圧的な発言が目立ったため、これを機に米国を含む参加国の外相が中国の南シナ海での行動を注視始めるに至っている。
翌年、首脳が集う東アジアサミット(EAS)への米国の正式参加が決まったことと、EASの性格がより結果志向の強い組織へと変化したこととは無関係ではない。従来、EASの具体的な協力分野として、2005年の第1回EASの議長声明ではエネルギー、金融、教育、鳥インフルエンザ/感染症対策、防災などの経済、社会文化領域及び非伝統的安全保障問題が優先協力分野とされていた。しかし、2011年からは既存の16カ国に加えてロシアとともに米国が正式参加したことで、伝統的な安全保障問題、特に中国が議題として扱うことに猛烈に反対してきた南シナ海問題が重要議題として取り上げられるようになり、EASの性格に大きな変化がもたらされている。これは米国が事前に南シナ海問題について触れるように参加国に打診していた成果であった。米国のアジア安保への強力な影響力を物語る事例である。
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