広島原爆の日:翻弄された人生 姉妹、被爆体験伝えていく

毎日新聞 2014年08月06日 22時18分(最終更新 08月07日 05時13分)

亡き母の三宅道子さんの写真を手に、遺族代表として初めて平和記念式典に参列した木村美子さん(左)、和子さん姉妹。被爆者の高齢化が進む中、「自分たちが体験したことを伝えたい」と思いを新たにした=広島市中区で2014年8月6日午前9時48分、吉村周平撮影
亡き母の三宅道子さんの写真を手に、遺族代表として初めて平和記念式典に参列した木村美子さん(左)、和子さん姉妹。被爆者の高齢化が進む中、「自分たちが体験したことを伝えたい」と思いを新たにした=広島市中区で2014年8月6日午前9時48分、吉村周平撮影

 美子さんは91年に仕事の慰安旅行で偶然立ち寄った米テニアン島で、B29爆撃機「エノラ・ゲイ」が原爆を搭載し広島に向けて飛び立った地に行き着いた。「なぜ自分は、ここに導かれたんだろう」。白血病、骨髄腫、甲状腺腫……。家族や親戚に病が発覚するたび「被爆の影響では」と不安を覚える。自身も6年前に大腸がんを患った。

 姉妹は茨城、栃木の隣県で起きた東京電力福島第1原発事故の後、「核の平和利用」の危険性を指摘していた叔父の言葉は正しかったと確信した。

 美子さんは最近、原発や放射能の危険性に詳しい科学者に会って話を聞き、請われれば被爆体験を語っている。

 美子さんは式典終了後、語気を強めた。「核兵器も核物質も一向になくならない。世界はどこに向かっているのでしょうか?」

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