進駐米軍:旧日本軍の毒ガス、豊後水道に廃棄 資料発見
毎日新聞 2014年08月07日 15時00分(最終更新 08月07日 15時39分)
終戦直後、広島県に進駐した米軍が、旧日本軍の毒ガス兵器や原料の一部を同県竹原市の大久野島近海や四国と九州の間の豊後水道南側に海洋投棄した可能性が高いことが、石田雅春・広島大助教(日本近現代史)の研究で分かった。米公文書館に保管されている米軍資料で確認した。旧日本軍の毒ガスは1946〜47年に海洋投棄したとの記録があるが、それ以前の詳しい実態は分かっておらず、石田助教は「歴史の空白を埋めることができた」と話している。
旧陸軍の毒ガス工場があった大久野島に残された毒ガスは46〜47年、主に英連邦軍が高知県沖に海洋投棄したことが記録などで知られているが、それ以前の米軍による処理実態は工場の元所長の証言などから断片的にしか分かっていなかった。
米軍資料によると、45年10月6日に広島県に進駐した米陸軍第41師団に属する化学部隊が、英連邦軍に任務を引き継ぐ46年1月末まで毒ガス処理にあたった。45年12月末の報告書には、毒性の強いびらん性ガス「イペリット」の原料となるチオジグリコール約113トン、シアン化ナトリウム約33トンなど計5種類の化学物質を投棄したと記されていた。場所は大久野島近海とみられる。
また、同県江田島市の切串地区に貯蔵されていたイペリット爆弾4810発を45年12月23日、豊後水道の南に投棄したとの記録もあった。イペリットや、毒ガス「ルイサイト」も当初、備後灘に投棄する計画だったが、機雷掃海が間に合わず、処理は英連邦軍に引き継がれた。
石田助教は「米軍による毒ガス処理は占領作戦の一環だったため、日本側に知らされなかったのではないか」と指摘する。環境影響について、須藤隆一・東北大大学院客員教授(環境生態工学)は「過去に海中で毒物が漏出して被害が出たことはなく、たとえ漏れたとしても海では希釈拡散されるため危険性は低いだろう。国は過去の投棄実態をしっかり把握すべきだ」と話す。
70年には漁業者が大久野島周辺で引き揚げた青酸ガスボンベを廃品回収業者が解体中にガスが漏れ、28人が死傷する事故も起きており、環境省は「不審な容器を発見したら不用意に触らず、地元警察などに届け出てほしい」と呼びかけている。【吉村周平】