4D・MISSION第一部:孤高のサイキッカー 第一話:シャドウマン 一話無料試し読み
作者:ドボルザーク
今作品は創作交流サイトpiaproで始まった「曲+物語」のコラボです。作曲者sadaと物書きドボルザークが共創しました世界をお楽しみ下さい。
4D・MISSION
第一部:孤高のサイキッカー
第一話:シャドウマン
音も無く、脅威は迫っていた。
漆黒の宇宙空間に紙を割いたような亀裂が生じ、徐々に広がった。その裂け目から細かな粒子状のものが入り込んだ。それらは集まり、一つの形を成した。
群体生物。
人の顔を模したその生物は、口と思しき器官を大きく広げて噛みついた。
空間に。
すると奇妙な現象が生じた。元々何も無かったその場所が、真の「虚無」と化したのだ。視覚では捉える事が出来ない。また、常人が持つ他のどんな感覚器官を持ってしても。ただ事実だけがあった。その空間は死んだのだ。この生物に食われて。生物は分裂を繰り返して増えた。食った空間を生殖のエネルギーに変え、貪欲なアメーバのように増えた。地球からはまだ遠い。この世界の人類は誰一人、気が付いていない。
だが、いずれは…
地球。
マンションの一室で、ソファにだらしなく寝そべっている男がいた。男の名は空間 四次三十一歳。独身。
カーテンのついていない窓。転がっている無数のビール缶。つけっ放しのテレビの音。それより大きいいびき。デジタル時計の蛍光版は午前三時を示している。それが突然、けたたましい金切り声をあげた。四次はうつ伏せのまま飛び上がった。が、起きようとしない。眠気と苛立ち。
時計は風船の様に膨れ上がり、爆発した。空中で分解し、部品が散らばった。
誰も手を触れてはいないのに。
四次は腕を伸ばし、ソファの下まで転がって来た部品の一つを摘み上げて、言った。
「またやっちまた」
四次は身を起こした。
くそっ、もっと眠っていたかったのに。どうしてこんな時間に鳴りやがった?お前がそんな無残な最期を迎えたのは自業自得だ。
自分の悪癖を責任転嫁しても眠気は戻って来ない。アラームのセットを間違えたのも自分に違いない。
テレビ。まだ放送されていた。再放送のようだ。四次は眉間にしわを寄せた。「未知との遭逢」は心霊現象や都市伝説を扱うオカルト番組。司会者の天照はいけ好かない男だった。
「超能力と言うものは誰でも修められます。誰もが宇宙のエネルギーと通じる素質を持っているのです。さあ、意識を集中して下さい。見えてくるはずです。あなたの将来を映すヴィジョンが」
「知ったかぶりやがって、ペテン師め」
リモコンを掴むとカチカチボタンを押してチャンネルを変えた。
「エロいのやってねえかな…やってねえや」
スイッチを切り、煙草を探してポケットをまさぐった。が、箱の中には一本も無い。ため息をついた。
面白くねえな…
立ち上がり着がえた。黒いズボン、黒いジャンパー、黒い帽子。全身黒ずくめになるとバルコニーに出た。大都会の夜景。美しいものだ。夜気を胸いっぱいに吸い込むと気分が良い。
さて、行くかな。
柵の上に上がると、四次はためらいも無く身を投じた。黒い服が闇に溶け込んで見えなくなった。
空気を切り裂く音。自然落下に体をあずける。帽子は接着された様に頭から離れない。地面が迫ってくる。脳が危険信号を発する。アドレナリンが大量分泌される。世界がスローになる。スニーカーの底がコンクリートの表面に触れる、寸前。
落下が止まった。四次は宙に浮いていた。
ふん、今日はなかなか冴えてるな。
靴底と地面との距離は五、六センチと言ったところ。彼の最高記録に迫っていた。
見えない手がぱっとその呪縛を解いた。四次は弾むように大地を踏んだ。
「おい、あれを見ろ!」
げ、やべ。
四次は帽子を深くかぶり、顔を隠した。この「紐無しバンジージャンプ」は刺激的な遊びだが、地上は他人の目に触れる危険が多い。深夜なので誰もいないだろうと思い、油断した。
ぽかんと口を開けたサラリーマンが二人。頭にネクタイを巻き、赤ら顔をしていた。相手が酔っぱらいと分かると、四次は安心して冗談を言った。
「よっ、俺は三十路のピーターパンだ。妖精の粉が無くても飛べるんだぜ。見てな」
そして地面から数メートル、数百メートル真上にすっ飛んで、見えなくなった。二人は首を直角にして、しばらくたたずんでいた。
「なんじゃありゃ…」
ぐんぐんスピードを上げる。街の灯が前方から背後へ、まるで流星群の様に通り過ぎてゆく。本来なら体がちぎれそうなスピードだが、空気抵抗すらない。周りの空気ごと移動しているからだ。念力によって。
そう。彼は超能力者だった。
自身がそれを知ったのは四歳の時。当時はまだ疑う事を知らない純粋な子供だった。
積み木で遊んでいた彼は、高く積み上げたそれを誤って崩しかけた。あっ、しまった!手を伸ばしたが間に合わない。だが、積み木の塔は倒れかけた姿勢のまま静止した。
「ねえパパ!これ見てよ!」
自分の力に自分で驚いた小さな四次は、父親に言った。その傾きはピサの斜塔なんてものではなく、どの角度からどう見ても、倒れないのはおかしかった。四次はその時の事を、大人になった今でも忘れられない。トラウマだった。父親の顔。
疑心。驚異。困惑。動揺。確信。恐怖。憎悪。
順番に移り変わっていく感情が生々しくあらわれ、最後に口を引きつらせて「マトモじゃ無い」と言った。小さな少年がこの世の理を理解するには、それで十分だった。
この世は偏見と憎しみで満ちている。誰だって憎悪の対象にはなりたくない。
唯一四次の正体を知っている父親だが、彼はあえて自分からそれを口にした事がない。が、今でも心の中で自分の息子の事を「マトモじゃ無い」と思っている。父親でさえ、実の親でさえこうなのだ。増して他人はどうか?
四次は慎重になり、周囲を良く観察した。まず学んだのは、自分と同じ人間が一人もいない事。そして少数派は必ずと言って良いほど迫害に遭う事。
だから彼は早いうちに自分を殺した。生きる為に。
「マトモ」を装うのはそう難しくはない。実際、四次は一点を除けばごく平凡な人間なのだ。小、中、高、大学を出て就職し、それなりに友人もつくり、幾人かの女性と交際もした。
だが、誰にも心を開けなかった。
一年前、会社を辞めたきっかけは何だったか?それは今夜の様に、夜陰に覆われた都会の上空を飛び回っていた時の事だ。
昼間の世界でその能力を使わない代わりに夜、闇に紛れて疾走する。これはいつからか習慣になっていた。四次はそれを楽しみにしていた。自分の事を心秘かに「ピーターパンの影」もしくは「シャドウマン」と呼んでいた。むろん、誰にもその呼び名を教えた事は無いし、恥ずかしくもあった。
その日のシャドウマンはむしゃくしゃした気分だった。
「あなたって、いつも隠し事があるみたい。私を愛してないの?どうして何もかも話してくれないの?」
「話したら受け入れてくれるのか?」
元彼女の礼子は、やっぱり、と言う顔をした。
「浮気してるのね」
「どうしてそうなる?男が隠し事をする理由はそれだけか?」
「じゃあ何なの。言ってごらんなさいよ」
「言ったら何もかもお終いになるぞ。絶対だ」
「そんな事どうして分かるのよ?」
「俺には分かる」
「わけ分かんない。自分の言っている事、無茶苦茶だと思わない?もう良いわ。どっちみち何もかもお終い、よ」
その会話を思い出せば出すほど怒りがこみ上げてくる。いや、本当は悲しいのだ。「コレ」がある限り、自分は誰とも真の関係を築けない。「コレ」は一生つきまとう呪いだ。絶望感。それを振り払う為、悲しみを怒りに転化する。
「女ってやつは、何でも詮索しなきゃ気が済まないのか。謎めいたところがセクシーよ、なんて言っていたくせに。結局は優位に立ちたがる。要するに飽きが来たんだろうが。それならそうと、はっきり言いやがれ!」
やけになり、激情に身を任せて飛ぶと物凄いスピードが出た。しかし、やはりその怒りは偽りなので、気が緩むと元の悲しみに戻ってしまう。空中停止した途端、涙がボロボロ落ちるのを止められなかった。誰も見ていないので大声で泣き喚いた。
ひとしきり泣くと、周囲を見渡して異変に気付いた。
「ここは、どこだ?」
しまった。と四次は思った。どこかは分からないが、飛び過ぎた。国境を越えてしまったかも知れない。軍のレーダーにでも探知されては困る。その場合、敵国のミサイルか何かと間違えられて迎撃されるだろうか?もし、そうなったらどうする?ミサイルを撃ち込まれても大丈夫か?止められるのか??…いや。
止められるのかも知れない。
四次は自分の能力の限界を知らなかった。空を飛んだり、瓶のふたを開けたり、風が吹いたと見せかけて女性のスカートをめくったり…その程度の事にしか活用していないからだ。だが、この時ふと思った。
どこまで行けるのだろう?
上へ。横ではなく縦に、四次は直進してみた。自分がいつも何キロほどスピードを出しているのかなんて知らない。ただ「車よりは確実に早いだろうな」との認識だった。それが今「ロケットより早いらしい」に変わった。体のまわりで火が起こった。大気摩擦と言うやつだろうか?とにかく格好良かった!四次は興奮した。どうして今まで試さなかったのだろう?もっと早く、もっと早く!
「おお…」
足元に地球があった。例の言葉通り、地球は青かった。その事実を自分の目で確かめた者は少ないはずだ。
俺は今まで何を恐れていたんだろう。
せいぜいメロンくらいの大きさの球体を見下ろしながら、四次は恍惚感に取り憑かれた。この景色を見る為に、人類はどれ程の金をかけ、計画を練り、才能と努力と時間と労力を費やしてきた事か…自分は努力もリスクも無しにここへ来た。ここで平然と眺めている自分は、いったい何者なのか?誰に対してか、恐る恐る、四次はつぶやいた。
「せ、世界征服とか…出来んじゃねぇ、の…?」
青い球の上で右往左往する住人達。あの連中が自分に対して何を出来ると言うのか?自分の存在を脅かせる者なんているだろうか?例えば世界中を敵に回したとして、軍隊やら兵器やらを総動員させて自分を殺しにかかったとしても。
負ける気がしない…負けるイメージが無い。
だって、俺は宇宙にいるんだぜ?しかも自在に飛び回れる。気圧とか重力とかはどうなってんだか知らねえが、とにかく生きてる。ヒョロヒョロのロケットに爆弾を積み込んで打ち上げたとしても、そんなもんは軽くかわしてしまえるだろうな。
俺は、俺を殺す事も出来ないやつらの迫害を恐れて、本性を隠して生きて来た。だが、そんな必要は無かったんじゃないか?
地球と言うものはかなり繊細に出来ているらしい。地軸の傾きをほんの少し変えただけで、あるいは自転のスピードを今より遅くしたり早くしたりすれば、たちまち大災害になって連鎖反応が起こり、生き物の住めない場所になるのだとか。
四次は、ゆっくり、その球体を掴もうとするかのように、手をかざしてみた。
そして、思い浮かべた。自分を捨てた女。怪物扱いした親。がみがみ言う上司。学生時代の知り合いや親族、隣人。
そして、気が付いた。
この地球上には、自分にとって本当に大切な人間が居ない。愛する者が居ない。一人も居ない。
この地球を壊してしまう事に、何のためらいも無い!
「わっ、うわあーーーーーーーっっ!」
四次は恐怖を感じて叫んだ。何故?自分の生存を脅かす者は存在しないと分かったのに。何に対して恐れるのか?
自分自身に対してだ!父親のあの憎悪の顔、あれは正しかった。この世界の迫害の歴史、それには意味があった。自分の様な化物。嫌われて当然だ。自分を生み出した世界を滅ぼすのに、「ためらい」が無いとは!驚くほどに愛を感じなかった。愛と言う関係を、誰とも築いて来なかった証拠だ。
なるほど、なるほど。
四次は納得した。
だから愛は必要なのか。切実な問題だ。誰もが愛、愛と唱えるが、その本当の意味を、俺はこの齢になるまで知らなかったんだ。俺とこの世界との間には、どうしようもない程深い溝が出来てしまった。どうすれば埋められる?どうすれば…
それ以来、四次は「マトモ」を装うのが嫌になった。誰かと一緒に居る時ほど、孤独を強く感じた。だから会社を辞めたのだ。
ぶらぶら遊び歩くのに飽きると、今度は自分の能力の謎を解明するために調査を始めた。
「誰でも修められる、だと?嘘つけ」
四次は飛びながら、さっきの天照の言葉を思い出した。四次は探したのだ。自分と同じ能力を持つ者を。
様々な自己検証の結果、四次は念力の他にも色々な事が出来ると知った。
例えば精神感応、透視、空間移動、過去視、そして予知…
もしかすると、自分が認知していない能力が他にもあるのかも知れない。分かったのは、念力の他の能力を発動するには、とても集中力を要すると言う事。
念力ほど自在に扱える能力は他に無い。テレパシーは覗きたい心の主の体に触れ、じっと心の目を凝らさなくてはならない。今まで恋人か家族にしか使わなかったが、使うと後悔する事が多い。
透視は…例えばテストのカンニングに使うには時間がかかり過ぎるので、普通に頭を使って問題を解く方がまし。服を透かして女の体を観察するには不明瞭。どうせならこの能力に特化したかったと思う。
空間移動は使うのが恐いくらい不安定だった。どこへ飛び出すか分かったものでは無い。人が大勢いる場所にいきなり現れたりしたら…
過去視。これが上手くできれば探偵になれたかも知れないのに。いつなのかわからないイメージが薄ぼんやりと浮かぶだけ。
予知。これに至っては完全にコントロール不能で、能力と言うよりも突然降りてくる「お告げ」の様に、夢の中に現れる。ごくまれに。
つまり、ほとんど使い物にならない。
逆にこう思った。自分は念力に特化している。なら、他の能力に特化した超能力者が存在するのではないだろうか?この推理は妥当ではないか?
同類がいるなら会ってみたい。
テレパシーの拡張能力。思考を飛ばす「チャネリング」で、四次はメッセージを送った。
聞こえるか?聞こえるか?
俺と同じやつはいるか?俺と同じやつはいるか?
いたら返事をしてくれ!いたら返事をしてくれ!
俺はここにいるぞ。俺はここにいるぞ。
おーい。おーい。
応えてくれ。応えてくれ。
誰か…。誰か…。
チャネリングは難しいので短い言葉を飛ばすのが精いっぱいだ。なので、定期的に行う事にしている。今まで応答があったためしはない。
「やっぱり、俺は独りだ…きっと、俺は一生独りぼっちのまま、齢をとって死ぬんだ」
今夜もそれを再確認するだけで終わった。太陽の光が地平線に黄色い筋を作り始めた。街の輪郭がはっきりと浮かび上がる。闇に溶け込んでいた自分の姿も。帰らなくては。シャドウマンは夜しか存在できない。昼間は空間 四次と言う名の平凡な男が住む世界だ。
赤裸 美心は駆け出しのセラピスト(心理療法士)で、自分の診療所を持って間もなかった。今日もお客はない…
「あーあ、やんなっちゃう」
椅子の上で大きく伸びをした。机にはセラピストとしての、美心の心のバイブルが開いて置いてあった。心理学の本で、著者は愛沢 悟。愛沢教授は心理学界の権威であり、美心の恩師でもある。
「美心くん、患者の肉体を治すだけが医者の仕事では無いよ。心のケアはとても大切なんだ。人間はロボットとは違うからね。健全な心が宿っていてこその人体だ。私の心理学部で学ぶ気は無いかね?」
才能に恵まれていた美心だが、その才能を何に傾けるべきかを迷っていた時期だった。愛沢教授は尊敬に値する人だった。その人間性に惹かれて美心は決心した。自分も愛沢教授の様に人の心を癒す仕事をしよう、と。
「ああ…全知全能なる愛沢教授、塵に等しき私をお導き下さい」
美心は本を抱きしめながら、怪しげにブツブツ祈り始めた。しかし、いくら愛沢教授が有徳な人物であっても、人間である事に変わりは無く、神の様な力は持ち合わせていないので、診療所には午後もお客は来なかった。この分では明日も暇を持てあますに違いない。
美心は図書館に赴いた。読書は大好きだ。愛沢教授も良く言っていた。「本は心の缶詰だ」と。人間心理を加工し、本と言う形に現したもの。それは古くならず、いつでも好きな時に開けて味わうことが出来る。心理学を志す者は、読書家でもあるべきだ。
美心が特に好きなのは推理小説、サイコホラー…
「どんまい美心、くじけんな。人生って時には壁にぶつかるもんよ。そんな時はむしろ、名作と巡り会う機会と考えなさい。本は強い味方だわ」
車の中で独り言を言った。
ええっと、この前ドツボにはまったあの本は、何てタイトルだったかしら?さらった女をホルマリン漬けのコレクションにしている男を追う、刑事の話だったわね。犯行時の犯人の心理描写。あの見事な事と言ったらなかったわ。スティーブ・キングスレイは天才よ!彼自身が犯罪者なんじゃないかってくらいのリアリティ。たまんないわ。今日も素晴らしい小説に出会えるかしらね。
閉館時間の一時間前だった。あまりゆっくりはしていられない。図書館のコンピュータで、キングスレイのまだ読んでいない作品を検索した。しかし、完訳版はこの図書館に無いようだ。予約も出来るが、美心はすぐに読みたかった。探すと、何と児童書のコーナーに簡略版があるようだ。
まあ、これって子供に読ませても良いのかしら?私、自分に子供がいたら絶対読ませないわ。でも私は大人だから大丈夫。
美心はいそいそと児童書のコーナーへ移動した。児童書用の本棚は背が低く木製で、ピンク色の塗料が塗られていて可愛らしい。今はそこに子供たちはおらず、代わりに三十歳そこそこの男が一人。ラフな服装をしていて、髪の毛は金髪。染めているらしい。何か真剣に立ち読みをしている。
彼の前の棚に並ぶのは、誰もが子供の頃に一度は読んだ事がある、世界の名作児童文学ばかり。
「ピーターパンとウェンズデイ」「不思議の国のアマリリス」「十五少女漂流記」「オペラの怪奇」…
美心は番号をたどって目的の本を手に入れると、何となく、さり気なくその男のそばに寄った。彼の手にあるのは…「悲劇のホムンクルス」。
「これ、読んだ事あるか?」
男は美心に気づいていた。美心はぎくりとしたが、応えて言った。
「ええ、名作ですものね」
「この作者は何故、自分が怪物になった事も無いのに、こんなに怪物の気持ちを理解出来るんだろうな」
「小説家って、テレパシー能力でも備えているのかしらね」
男は小さくうなずいた。そして、目から一粒の涙を流した。美心はどきっとした。好奇心に促されるまま質問した。
「どこで泣けたの?最後、絶望した怪物が自ら命を絶つ場面?」
「いや、死はむしろ彼にとって救いだったろうさ。人造人間は造り主であるフランシス・シュタイナーに、自分の相棒を造ってくれるよう頼むだろう?それを拒絶される場面さ。どんなにか打ちのめされた事だろうな。自分と同じ者がいない世界で生きるのは、恐ろしい事だよ」
男は…四次は本を閉じた。そして美心を見た。その手元を。
「…それ、確か刑事をホルマリン漬けにしている男を追う女の話だったか?いや、ホルマリン漬けに追われている女と男をさらった刑事の話だっけ」
「だめ!私まだ読んでないんだから!」
「どうでも良いが、その作者はホルマリン気ちがいだよな」
閉館時間を告げる音楽が流れ始めた。美心は「急がなきゃ」と言い、貸し出しの手続きを済ませた。四次も何冊か借りていた。この図書館は容赦ない。時間ぴったりに電気が消え、戸に鍵をかける係りの者が現れる。二人は駆け足で玄関を出た。四次はそのまま挨拶もせずに歩道を歩いて行ったが、美心は呼び止めた。
「あ、待って下さい」
四次は振り向いた。
「なんだ?」
「い、いえ、何って別に、そのう…」
美心は言葉に詰まった。もじもじしていると、四次が言った。
「ナンパか?」
「そんなつもりじゃ…」
「あんた可愛いけど、俺は恋人募集してないよ。もう暗いし、知らない男について行ったりしない方が良いぜ。ホルマリン漬けにされたかないだろ」
四次は後ろ手を振って別れを告げた。
ラーメン屋で注文を待っている間に、携帯電話が鳴った。
「もしもし、姉貴か」
「四次、あんた今独りで何してんの?まだ結婚する気無いの?しかも会社も辞めちゃって、毎日ぶらぶらしてるんでしょう」
ラーメンが出てきたが、一気に食欲が失せた。
「別に姉貴たちに迷惑かけて無いだろうが」
「今年の兄さんのお墓参りにも来ないんでしょう」
「墓参りは俺も行くさ。一人でな!俺は親父に会いたくねえんだ。姉貴なら俺の気持ちが分かるだろうに」
「あら、私もジョニーも、ちゃんとお父さんとお母さんと一緒に行くつもりよ。あんたの事、親族の前でどうやって説明すれば良いのよ。「四次さんはいらっしゃらないの?」「弟さんは今何をしてらっしゃるの?」って訊かれる度に、オロオロしなくちゃいけないのよ。それを考えただけで、私うんざりしちゃう。ねえ、聞いてんの?四次?」
四次は携帯電話を切って、ラーメンを食べ始めた。頭の中に怒りが充満していて、味なんて分からなかった。
姉が外国人の恋人を連れて初めて実家に来た時、父は「勘当する」と怒鳴りつけた。カタブツの父には「愛は国境を超える」と言う概念が理解出来なかった。母と四次は姉をかばい、慰めた。義兄のジョニーの努力は実を結び、今では父の態度も物柔らかになった。
その姉が、今では父と同盟を組んだように四次を責める。まるでこう言っているみたいに。
「あんたはマトモじゃ無いのよ」
のど元過ぎたら熱さを忘れやがった!あの時俺は姉貴と義兄の結婚をあんなに応援してやったのに、クソ親父からかばってやったのに、恩をあだで返しやがって。
ラーメン屋のカウンター席の向こうに、テレビが備え付けてあった。四次は嫌な考えから気をそらすために、それを眺めた。
ニュースが流れていた。
「人工衛星がとらえた映像です。拡大してみましょう」
「げっ、あれは…」
四次は立ち上がった。あれは、もしかして…
「人間の形に見えますね」
「まさか」
「新型のロケットでしょうか」
「早すぎてはっきりとらえられなかったようですが」
「スーパーマン?それとも宇宙人?」
四次は青くなった。人工衛星の映像、考えていなかった。勘定を済ませて、さっさと店を出た。
「何てこった、何てこった」
どうしよう?自分のせいで国際問題にまで発展したら?いや、今のところはまだ大丈夫。恐らく…そう言って自分を説き伏せる。たぶん、オカルト関係の雑誌やら番組やらが一時騒ぎ立てる程度だろう。だが、もうこれまでの様には自由に飛び回れないだろうな…
翼をもがれた気分だった。この能力。このせいで散々苦労はするものの、内心気に入ってもいる。空を飛ぶのは単純に楽しい。常人が生まれつきの手足で自由に活動し、喜びを得るのと同じだ。
四次は酒場に転がり込んでやけ酒を飲んだ。グラスを重ねて重ねて重ね、心地よい酔いの愛撫に身をゆだねていた時、誰かに話しかけられた。
「四次?四次じゃないか?」
その声の主は、テーブルに突っ伏して酔いつぶれていた四次の肩を揺すぶった。四次が顔を見ると、それはかつての同僚だった。名前は覚えていないが…
「君が突然会社を辞めた時は驚いたよ。上手くやっていた様に見えたからなあ。理由は何なのさ?体調を崩したのか?上司とのトラブル?女性関係?」
常人に思いつく悩みと言えばその程度だろうよ!
四次はさらに酒を飲んで、吐き出すように言った。
「俺はマトモじゃねえんだ。お前たちとは違う。この人間社会にとって俺は余計者なんだ。俺がこの世に生まれて来たのは間違いだった。神様がミスりやがった。必要も無い能力にたけて、そのせいで苦しむ。誰にも俺を理解出来ない。俺は「悲劇のホムンクルス」だ。体を失くした「ピーターパンの影」だ。俺は一生独りぼっちのままなんだ、うわあーっ!」
四次は泣き上戸だった。元同僚は困り果てた。四次の言っている意味が、さっぱり分からない。「俺じゃ力になれないと思うから、ここに相談してみたらどうかな」と、何か名刺を置いて行った。すっかりへべれけになってから店を出る時、四次はその名刺をポケットに突っ込んだ。
口笛を吹きながら夜道を歩いていると、数人の男が一人の女性を囲んで騒いでいる所に出くわした。
「や、止めて下さい」
「良いじゃねえか、俺らと遊ぼうぜ」
「む…」
四次は立ち止まった。男たちはそれに気が付いた。
「おいおっさん、何見てんだ?早いとこ回れ右しろ」
「それとも参加するか?ひひっ」
「た、助けて下さい!」
怯えて助けを求める女性を見て、四次はにっこりした。
「安心したまえ、シャドウマンが助けに来たぞ。ヒック。さあ、悪党どもめ、成敗してやるぞ。ヒック」
「何だこのイカれた野郎は」
「ボコっちまえ」
男たちは一斉に四次に飛びかかった。四次はポケットに手を突っ込んだまま動かない。そして…男たちも動かない。そしてゆっくり、空中に…
「な、何なのこれは…」
女性は唖然としてその光景を眺めた。四次は「ひとーつ、ふたーつ、みーっつ」と数を数えながら、念力で男たちの硬直した体を高く高く積み上げて行く。一番上の男は地上から十五メートルほど高い場所にいる。彼の顔から血の気が引き、ズボンに小便の染みが広がった。
「ぐらーん、ぐらーん」
パントマイマーの様に、四次は両手を動かした。その動きに合わせて「人間タワー」が左右に振れる。高い場所から男たちの悲鳴が聞こえてくるが、四次は大笑いした。
「不思議だねー。どうして倒れないのかなー?ねえ、父さん、どうして積み木は倒れないのかなー?」
四次はご機嫌で女性に話しかけた。女性は「ひっ」と言って、あの表情を見せた。四歳の時に見たあの顔とそっくりな…
四次の顔から笑いが消えた。真顔のまま、四次は言った。
「やっ、久しぶり。また会ったね…」
人間タワーはゆっくり崩れ、無重力の宇宙を遊泳する動きとそっくりに、彼らは地面に達した。その場にいる者は全く口がきけずにいた。四次は吐き気をもよおし、駆けて行った。
路地裏でゴミ箱を見つけ、四次は大いに吐いた。胃の中が空っぽになるまで吐くと、よろけながら立ち上がって家路を急いだ。
家に帰って寝床に身を投げたが、眠れなかった。ネガティブな思考がまとわりついて逃げられない。足の踏み場もない程汚れた部屋だが、足を十数センチ宙に浮かせて移動し、冷蔵庫の中を確かめたが、ビールはひとつも見当たらない。
タバコもビールも切れているのに、買うのを忘れていた。シャドウマンのコスチュームを着てバルコニーに出ると、下に誰もいないのを確認してから、四次は飛び降りた。
だが、今晩はいつもと違っていた。脳が危険信号を発信しない。アドレナリンが分泌されない。四次は迫り来る地面をただ見下ろしていた。いよいよ近い、いよいよ近い!
靴底が地面に触れ、足首が軋み…
「痛っ!」
電撃の様に鋭い痛みが走り、四次はようやく念力を発動させた。四次は自分の足首を撫でさすった。骨折しただろうか?軽い捻挫程度か?いや、どうやら大事ない。
大事あったのは体では無く、心の方だった。
「俺、今、何しようとした…?」
その返答が頭の中で凝固すると、四次の心臓は小動物の様に早く鼓動した。「この遊びももう楽しくなくなったな」と思った。怖くて辛くてやりきれない気持ち。ただ、その場で膝を抱えて泣くだけだった。「もう限界だ」と四次は確信した。この悩みの大きさは、一人では抱えきれない程大きくなっていたのだ。
しばらくして、四次は財布を持って来たかどうか確認しようと、ポケットに手を突っ込んだ。取り出したのは小さな紙切れ。そこにはこう書いてあった。
サイコセラピー診療所 セラピスト赤裸 美心
裏面には簡易の地図が記されていた。さほど遠くない。
夜が明けたら行ってみよう。四次は決意した。
美心は昨晩読書にのめり込んで寝不足した。眠い目をこすりながら運転をし、職場にたどり着くまでに二回もクラクションを鳴らされた。「あんな鳴らし方しなくても…」とブツブツ文句を言いながら車を降りた。少し離れた駐車場から歩く途中、タクシーを降りた男と目が合った。
「あ」
「あ」
四次だった。四次は軽く会釈しただけで去ろうとしたが、美心は歩み寄ってくる。と言うより、行き先が同じだからだ。
「奇遇ですねえ」
「そうだな」
「昨日、私全部読んでしまったの。簡略版だから字数が少なくて。でも、是非とも完全版も読まなくては」
「えっと、何の話?」
「生きたホルマリン漬けに追い詰められた男と女と刑事が協力して、最後は全員が助かってホルマリン漬けと和解するお話しよ。キングスレイにしては珍しくハッピーエンドの、良いお話しだったわ。だから子供用が出版されたのね」
「へ、へえ…」
四次は引いた。「変な女だな」と思ったが、その一秒後に反省した。自分が他人を変人呼ばわり出来る道理はあるのか?だいたい、彼女に最初に声をかけたのは自分の方だ。
しかし、それにしてもこの女はどこまでついてくるのだろう?建物の中まで追ってくる。ひょっとすると本当にストーカーなのではあるまいか。男子トイレの中まで追ってきたら本物だ。だが試す勇気がない。
診療所のドアノブを同時に掴もうとした時、とうとう二人は理解した。美心は戸を開いて「どうぞ」と言った。
椅子に座って向かい合った時、どちらからともなく笑いはじめ、部屋の中に爆笑が起こった。
「あんたが赤裸 美心先生か!」
「ごめんなさい。患者さんだったのね」
笑いが収まってから、美心は言った。
「今日はどんなご相談でまいりましたか?」
「ねえ、俺こう言うのって初めてなんだが、基本あんたが質問して俺がそれに応える形式なの?」
「いえ、別にそんな決まりは無いけれど」
「じゃ、先に俺の質問に答えてもらっても良いかな」
美心は、ダメだと言う理由も無いので「どうぞ」と促した。
「あんたは、自分が何の為にこの世に生まれて来て、何の為に生きているか理解して生活しているのか?」
美心はすぐに「いいえ」と言う答えを思い浮かべたが、もっと慎重に答えるべきと判断し、こう言った。
「それを理解している人は、恐らく存在しないわ」
「だよな。だから俺はあんたにも、そして誰に対しても過大な期待はしないつもりさ。皆、今が初めての人生なはずだ。中には悟ったような口を利くやつもいるけどな。あの天照とか。だが俺は、ヤツの言う前世なんてものも信じちゃいないし」
四次は少しうつむいてから言った。
「じゃ、何のためにこんなところに来て相談しているのかって言うと…自分も弱さを持つ人間の一人だって事をわきまえているからさ。人間はやっぱり…完全に一人では生きていけないんだと思う。「生存」は出来たとしても。「生存」と「生きる」は全く別だから」
美心は頷きながら聞いていた。四次は膝の上で両手をこすり合わせながら言った。
「全ては話せないんだ、俺の事。でも、聞いてくれるかな」
「ええ、もちろん」
四次は語り始めた。他に待っている患者もいないので、時間など気にせず。
家族の事、仕事の事、元恋人の事。子供の頃の事、大人になってからの事。
自分が超能力者であると言う事実は避け、上手に濁しながら話した。しかし、心理学を修めた美心はその違和感に気が付いていた。
美心の分析では、四次は「マトモ」と言う言葉を頻繁に使っていた。追及してみると、父親から「マトモじゃ無い」と言われた経験があると語った。確かに、子供の時に親に言われた言葉と言うのは、その人の将来に大きな影響を及ぼすものだ。しかし、見たところ四次は普通の男性に見える。一体何が「マトモ」でないのか?それについては何も答えてくれなかった。
「全ては話せないって言ったろう?それを言わなきゃ診療出来ないって言うんなら、このまま帰るしかないな」
どうしても言えない「何か」があるらしい。その不可侵領域の扉を、無理矢理こじ開ける訳にはいかない。
四次は、溜まっていたものを吐き出したい気分だった。美心はただうなずいて聞いてくれる。だが、二時間ほどしてすっかり話してしまった後、急に気恥ずかしくて居たたまれない思いに襲われた。
「男のくせにこんなに長々と泣き言を吐いたりして、情けないなあ。子供の頃に親に言われた事だとか女にふられた事だとか、今更どうにもならん事で何うじうじ悩んでんだろ…」
「男はうじうじしちゃいけない、なんて決まりはありませんよ。男も女も同じ「人間」ですもの。弱さを持っていて、一人では「生存」出来ても「生き」てはいけない。それが人間ですもの」
二人は微笑み合った。四次は帰り際に「また来ても良い?」と言い、美心は「いつでもお待ちしています。予約は必要ありません…ご覧の通り」と返し、また微笑み合った。
その晩、美心はテレビ電話で愛沢教授と連絡を取った。愛沢教授は多忙だがまめな人で、自分の教え子たちと個人的な関係を保つのを喜びとしていた。美心はこの時間を「降臨タイム」と呼んでいる。たわいない会話の後、美心は四次の話を持ち掛けた。
「パラノイア(妄想症)」
「それが君の見解かね」
美心は頭をかいた。
「言動の不一致や異常性はみとめられません。ただ、自分の事を「特別な存在」だと思い込んでいる様なんです。恐らく、父親との不仲と言う問題から逃避する為、つくり出した妄想ではないかと思います。でも…」
美心は考えてから言った。
「妄想って、あそこまで信じ込めるものなんですね。彼の話を聞いていると、実はこっちが妄想症なんじゃないかと思えるくらい。いえ、私は心配要りません」
「何が現実で何が妄想か、それを定義するのが我々の仕事ではないからね。大切なのは患者にとって必要なケアを施す事だ」
「おっしゃる通りです」
「セルフイメージ(自分に対する思い込み)の改善、彼にはこれが必要なのかな。父親の「マトモじゃ無い」と言う言葉を真に受けてしまったんだろうね。心身共に成長途中の時に刻み込まれてしまったイメージ。これを払拭するのは難しい」
「私、頑張ります!彼の様な悩める人を救うのが私の仕事なんですわ」
美心は若さ特有の使命感でもって高揚していた。しかし、愛沢教授は「ゆっくりと、じっくりと取り組みたまえ」と忠告した。
「心理学はまだまだ発展途上の学問だ。人の心は複雑で、ただ反応するだけの機械とは違う。一人一人が別個の世界を持っていると考えるべきだよ。その心の世界を包み込んでいるグレートウォール(世界膜)を、無思慮に侵害してかき乱す権利など誰にもない。一律な世界観を押し付け、自分色に染めあげ、支配しようなどと思ってはいけない。色々な価値観があってこそ、人間社会は面白い場所になるのだからね」
「教授、私は彼にどんな治療を施すべきでしょう?」
「セラピーは精神病院とは別だからね。美心くんの真面目な性格は素敵だけど、もっと軽い気持ちで取り組むと良いよ。ふわふわ〜っと、軽い気持ちで、ね」
愛沢教授はジェスチャーをまじえながら言った。
「ふわふわ〜…と言われましても」
「ふわふわと言えば、これから妻と外食の約束なんだ。遅い夕食が体に悪いって事は知ってるけどね。じゃ、軽い気持ちで頑張りたまえ。幸運を祈るよ」
爽やかなウインクと共に通信は切れた。美心は寝床の中で「何を食べに行くのかしら。オムレツかしら」と考えながら眠りに落ちた。
その後も四次は診療所に訪れた。ただ黙って聞いてもらう事が新鮮で気持ち良かったのだ。美心は愛沢教授からの忠告を踏まえて、あまり突っ込んだ手法をとらなかった。が、じれったくもあった。相手が妄想に取りつかれている事が分かっているのだから、その妄想から救ってあげる必要があるのでは?
「ヒュプノセラピー?ああ、催眠術とか使うやつか」
「催眠術と言っても自意識を完全に失う訳ではないの。気持ちをリラックスさせて、潜在意識を呼び起こす」
四次は腕を組んでから言った。
「…どうだろうな、それって半分眠った様な状態になるんだろう?」
四次は自分の悪癖を思い出した。今朝も目覚まし時計がひとつ犠牲になったのだ。きっぱりと言った。
「危険すぎる。無理だ」
「過去に何か嫌な体験をして、思い出したくないとか?」
「嫌な体験って言うか、俺自身が嫌とかそんな問題じゃ無く、あんたにも被害が及ぶと思うから…って言っても、意味分かんないよな」
「そう言う自己への悪いイメージを改善する為にも、この方法は効果的ではないかと思うの。ね、やってみません?」
四次は美心の顔を見た。その顔が「あの顔」に変容するのを想像し、虚ろな気持ちになった。
「きっと俺の事、パラノイアか何かだと思っているだろうね」
その深い絶望を湛えた声に、美心ははっとした。
「無理ないよ。俺があんただったら、そう判断するよ」
「い、いえ、あの…」
「俺、いったい何のつもりなんだろ?分かってもらえる訳無いのに。何か、あんたが話を良く聞いてくれるから、嬉しくなっちゃったんだな。普通、他人のグチって聞いててイライラするだろ?俺ならイラつくね。でも赤裸先生はさ、黙って聞いていてくれたよな」
幽霊の様に四次は立ち上がった。
「どうもありがと」
囁く様な声だった。喉が苦い塊に圧迫された時に出す声だった。彼が去った部屋の中で、美心はようやく気が付いた。
「私、彼を傷つけたんだわ」
人の心を癒すどころか、完全に失望させた。他人から見ると妄想でも彼にとっては、彼の世界の中では、それは揺るがぬ現実。認識が甘かった。もっと想像力を働かせるべきだった。
例えば「地球が丸い」と言う現実がある。それに気が付いているのが自分だけだとしたら?周りは皆、平面世界説を信じていて、その中でずっと生きてきたら、どんな態度をとるようになるか…
自分だけが真実を知っている。しかしそれを表立って見せると迫害される。だから隠す。でもいつまでも秘密を抱えてはいられない。誰かに打ち明けたいと思う。
そんなすがるような気持ちでここへ来たのだ。
その彼に、間接的に「あなたは病気です」と告げた。彼は、彼の認識では「自分は病気じゃない、誤解だ」と思う。同時に、その誤解は決して解けないとも思う。
だから出て行った。もう、二度と戻っては来ないだろう。
「馬鹿…馬鹿馬鹿っ!美心、頭の足りない女ね、あなたって人は」
患者に感情移入し過ぎると泥沼にはまる。と、看護学科の担任が言っていたっけ。でも愛沢教授の方針はそれとは違った。
「患者との人間味ある関わりを恐れるなら、初めから医者になどならんさ」
私だって恐れやしないわ!でも教授、彼は行っちゃったんです。まさか家まで追いかけて行くわけにはいかないでしょう?
美心は嘆息しながら自分のコートをとる為にロッカーを開け、歓呼した。
神様!あなたって方はナイスです!
ロッカーの中には四次のコートと、そのポケットには住所の記された身分証があった。
四次は道を歩きながら、喉の苦味が全身を侵してゆく感覚に支配されていた。
この馬鹿野郎。立派ないちもつ持ってるくせに、女みたいに泣くんじゃねえよ、四次。
だが、男も女も同じ人間だぞ。この理論は覆せないだろ?
分かった分かった、お前あの先生に気があったんだな?惚れっぽいやつめ。
ほざけ。今さら女なんか欲しがるかよ。優しくしてくれるのは初めだけさ。ただ、俺はちょっぴり精神的にまいってたんだ。気が弱くなってた。世界の事も、自分の事も殺してしまいたい気分だった。でも、それは正しくない事だとも思う。だから抑止力が欲しかったんだ。
でも、あの先生は違ったな。見込み違いだったな。
あのくらいが普通だろうよ。あの人は悪くない。俺だって悪くない。「成るように成った」それだけさ。問題ない。今までと何も変わっちゃいない。
どんなに絶望したって、俺は自殺するほど度胸ねえし、世界を滅ぼすには悪意が足りねえ。だから引き続き「生存」するのさ。影みたいにな。
それに関しちゃお前は大丈夫。太鼓判を押すぜ。宇宙空間でも死なない身だからな。金が無くなりゃ未開の地で隠遁生活でもして、嫌な人間社会からおさらばしようぜ。
そうだな。ただし「生きる」事は出来ないけど。死んでるけど。
自問自答の末にたどり着いた境地だった。
墓参りの時節。姉たちよりも早く済ませてしまおうと、四次は準備を整えて玄関を出た。すると戸の前に男が立っていて、インターフォンを押そうと構えていた。その男の顔には、見覚えがあった。
「これは失礼しました。初めまして空間さん、私は天照と申します」
「あっ!天照って、あんたは…」
天照は二ヤァと不気味な笑みを浮かべた。「うわ、キんもっ」と、四次は思った。
「そうです。私があの、天照です」
「そっすか。で、有名な天照さん、ご用件は?」
「この映像をご覧になっていただきたいのです」
天照は電子端末で動画を再生して見せた。
「ぐらーん、ぐらーん。不思議だねー。どうして倒れないのかなー?」
ところどころ不明瞭ではあるものの、あの時の映像だった!酔っぱらって超能力を披露してしまった、あの時の。
ちくしょう、あの女!
四次はこぶしを握りしめた。恐らく、助けた女が携帯電話か何かで撮影したのだろう。
「当番組に匿名で送られてきた映像です。ここに映っているのはあなたではありませんか?」
「何だこれ?合成か?映っているのは確かに、俺とそっくりさんだな。酔っぱらっている様に見える。いつかの宴会でこんな醜態をさらしちまったかも。それを誰かが合成して、インチキ番組…失礼。あんたの番組に送ったんだろ。別れた恋人の仕業かな?いくらなんでも悪戯が過ぎるよな」
「証言は他にもあるんです。このマンションの住人からです。…○月×日の晩、窓の外に人間の様な影が見え、自殺者かと思い慌ててバルコニーに出てみると、地面すれすれで停止し、次に物凄いスピードで空に舞い上り、消えた…」
「な、何だか要領を得ない証言だなあ。それ、本当にこのマンションの住人の証言?電波な隣人もいたもんだ。引っ越そうかな…」
四次が汗をかきながら弁解じみた言葉を述べるのを、天照は鋭い目で観察していた。
「な、訪ねて来てもらって悪いが、俺は出かけるところなんだ。兄貴の墓参りに…」
「お時間はとらせませんよ。大丈夫、死者には時間がたっぷりあるのですから、お兄様には多少お持ちいただいてもかまわんでしょう」
また知ったかぶった言い方をしやがる!てめーは死んだ事あんのかよ?
四次はその言葉をぐっと飲み込んだ。「だめだ」「そこを何とか」「ついてくんな」と言い合いながら廊下を歩いていると、忘れ物を届けに来た美心と出くわした。四次は彼女の顔を見つけると、チャンスと思ってこう言った。
「おお、礼子!そうだった、デートの約束だったな」
「は?礼子?」
四次は美心に近寄り、わざと馴れ馴れしく腕を組んだ。天照は言った。
「お墓参りでは…」
「うるさいな。墓参りしながらデートの予定だったんだよ。良いのか?墓場でいちゃいちゃ始めるぞ?まさかついて来るとは言わないよな?天照さーん、空気呼んで下さーい」
天照は首を振りながら名刺を渡そうとしたが「要らん、二度と来ないでくれ」ときっぱり断られた。彼の背中を見送りながら四次は小声で「馬に蹴られろ」と呪いを浴びせた。廊下で二人だけになると、四次は美心に弁解した。
「申し訳ない、赤裸先生。しつこいやつを撒くためだったんだ」
「礼子って?」
「だって、とっさに先生を「美心」と呼び捨てるのには抵抗があって。元カノの名を言っちゃったんだ」
「ふーん…」
何故か居心地の悪い沈黙が流れ、四次は茶化すつもりで「先生の方が良い女だけどな」と言った。美心はぴしゃりと「そんな事訊いてません」と返した。
「私は忘れ物を届けに来たのよ。はい」
「ああ、これ。わざわざどうも」
「あの…もう診療所にはいらっしゃらないおつもりなの…」
「行く意味が無くなったからね」
「どうして?」
「俺は結局、先生を心の底から信頼していないんだ。先生の中にも偏見があって、俺の本性を知ったら俺を嫌うだろうと思う。患者と医者の間に信頼関係が無いなら、どんな治療も実を結ばないだろうよ。それに」
四次の瞳が悲しげに光った。
「俺はマトモじゃないけど、自分の事が好きなんだよ。自分を正気だと信じてる。でも、信じてもらえないのも分かる。ガルリオ的な気持ちさ。「それでも地球は丸い」」
コートの入った袋を受け取り「じゃ」と言いながら立ち去ろうとした時、美心はそれを追った。
「あなたが心配なのよ」
「大丈夫、自殺したりしないよ」
「そういう事じゃ無くて」
「セラピストはそこまで責任の重い仕事かい?」
「違うわ、友人として心配しているのよ」
二人は立ち止まった。
「私たち、友人でしょう?違う?」
「あんまりぼっちな俺に優しくするな。惚れちゃうぜ。良いの?」
「プラトニックって言葉があるでしょう」
「噂には聞いてる」
「今まで恋愛以外で異性と深い関係を築いた事は?」
「うーん…」
「私はあるわ。大学の恩師なの。素晴らしい人よ。私は正直、実の親以上に信頼しているの。困った事があれば彼に相談するわ。心強い味方なの。だから、あなたも…私は教授程立派じゃないし、頼りにならないけど…」
美心はもじもじしながらうつむいた。四次はそれを冷静に見ながら「こう言う真面目な人間もいるんだな」と思った。そして少し悲しげに言った。
「先生、本当に優しいね」
「赤裸と呼んで下さらない?今はプライベートですもの」
「赤裸さん」
「空間さん、どこかへお出かけするところ?」
「うん。死んだ兄貴に挨拶に」
「霊園までタクシーで?お金もったいないわよ。私の車で行きましょうよ。ね、そうしましょう」
やや強引に事は決まり、四次は美心の車の助手席に乗った。二人は色々と話した。話し始めると、四次も人恋しかったようで随分口が動いた。診療時とは逆に、美心がグチを言い四次が聞いた。仕事が一向に上手くいかない事のグチだ。
「やっぱり若いと信頼されないのよね」
「積極的に宣伝とかしてるの?」
「名刺配ったりチラシ置かせてもらったり。インターネットで宣伝とか出来たら良いけど、そう言うの良く分かんないのよ。私、機械音痴だし」
「俺やってやるよ。以前、会社のホームページの運営担当してたから」
霊園に着いた。二人は四次の兄、空間 一の墓石の前で手を合わせた。
「幽霊も輪廻も信じないけど、ここに来ると不思議な気持ちになる。俺の兄貴の話はしたっけ?」
「お母様のお腹の中で、生まれる前に亡くなったのよね」
「生まれる前に死ぬって、どんなものだろうな。まだ一度も生きていないのに死ぬって」
美心はふと気になって質問した。
「あら?お兄様の名前が一さん。四次さんは三番目でしょう?」
「うん、その質問は良くされる。親父の名前が一郎、おふくろが一希、兄貴が一、姉貴は一華…1+1+1+1=4。で、四次って事らしい。くっだらないけど、名前なんてそんなもんだよな。こういう名前つけられると気になるのが、四番目はどうするつもりだったんだろ?って話。1+1+1+1+4=8だけど、八郎?八重子とか…まあ、たぶん俺で終わりだと思ってつけたのかな」
「私も末っ子よ。末っ子って良いわよね。皆から愛されて」
「そうかな?何だか余りものみたいな感じがしないか?」
「ええ?そんな風に思った事無いわ」
「親父はたぶん、兄貴の事が好きだったんだと思うな。物凄く期待した長男は生まれて来なくて、つくる気無かった次男が生まれて来て…何て言うか、心の整理が上手くつけられなかったんだろう。しかも…」
美心は四次が何を言いたいのか分かった。「しかも…それはマトモじゃない子供だったから、親父は愛せなかったんだ」と。
四次は墓石の前にしゃがみ込んだ。
「こんな風に想像するんだ。もし、兄貴が生きていたら、兄貴だけは俺の事を理解してくれたんじゃないかって。もしかしたら、兄貴は俺と「同じ」だったかも知れない。そうだったらどんなに良いだろう。でもそんなのはただの願望だし…」
美心はしゃがみ込んだ四次の丸い背中を見て、何だか、小さくて頼りない少年を見ているような気がした。彼は、どこかが大人になれなかったんだろう。陽の光に向かって必死に背伸びをしたが、見えない天井に邪魔されて成長出来なかった蔓植物の様に。
セルフイメージ(自分に対する思い込み)、か…
診療所の宣伝の件で四次と美心は度々会った。美心はその時間を楽しんでいたが、四次は次第に冷たい態度をとるようになった。少なくとも、美心にはそう見えた。
「ねえ、空間さん。今夜一緒にお食事に行かない?愛沢教授お墨付きのレストランなんだけど、「トリュフとチーズのふわふわオムレツ」が絶品なんですって。でも、一人じゃ行きにくいのよ。カップルばっかりなんだもの」
四次は美心をチラリと見てから「他に友達いねえの?」と言った。美心はむきになって言い返した。
「んまっ、失礼ねえ!いるわよ。でも皆、医学関係の仕事についていて、忙しくしているわ」
「俺はプーのヒマ人だからとっつきやすいってか」
「そんな事言ってないでしょ。それを言うなら私だってヒマ人よ」
「ふん」
四次はコンピュータの方に視線を戻し、無言で作業を続けた。美心は動揺し、おどおどしながら言った。
「ね…ねえ、空間さん。私、何かあなたの気に障る様な事した?どうしてそんなに機嫌が悪いの?怒っているの?」
「怒ってない。でも、あんたは何のつもりだ」
「何って…」
「あんまり俺に優しくするなって言ったろ」
四次の手が止まった。
「捨てられなくなる」
「捨てるって?」
「俺は…どこか遠い所へ行ってしまうつもりだったんだ。一人になれる所へ」
沈黙が落ちた。四次は顔を覆って「俺、本当に何のつもりなんだろ…」とつぶやいた。
「何を期待してんだろ…」
「ねえ、空間さん…何を悩んでいるの?」
「俺はあんたたちと違うんだ。本当に、違うんだ」
「違ってても良いじゃない。そもそも、同じ人間なんて一人も存在しないのよ?」
「そんな「次元」じゃないんだ。あんたには分からない、絶対分からない」
美心は悲しくなった。四次の心のグレートウォール(世界膜)。それを侵害し支配する気なんて全く無い。でも、その中を少し覗くだけの事も、彼は許してくれないのだ。強固な鉄壁。逆に美心の世界膜に亀裂が入った。
四次は驚いた。
「なっ、泣いてんの?」
「そうやって、そうやって、あなたって人は、自分の世界から他人をことごとく締め出すのね…どんな秘密を抱えて生きているのか知らないけど、人を信じる勇気がないだけのヘタレじゃない」
四次は頭に血が上った。
「知った口をきくな!」
「だから「知らないけど」って言ったでしょ、この、馬鹿!」
「なっ…あ、あんた…俺がこうしてあんたの為に世話を焼いているのに、結局女ってやつは皆同じだな。恩をことごとく仇で返しやがる」
「そうやって何でも一緒くたに考えるのが、あなたの悪癖なのよ。あなた世界中の女と付き合った事でもあんの?偉そうな口きくのはそれからにしなさいよ」
二人は互いに何を言っているのか分からないくらい感情に任せて言い争った。
「じゃあ、何か?あんたを信頼すりゃそれに報いてくれるのか?俺の面倒を一生見てくれんのか?齢をとって死ぬまで、俺のそばに居てくれんのか?」
「良いわよ!」
「はっ、あんた正気じゃねえよ。自分の言っている意味が分かってんのか?」
「分かってるわよ!」
「あ、あんたなあ…じゃあ、自分のところに来る患者といちいち結婚する気か?」
「必要とあらばね。ええ、それで皆の心が救われるんなら、何人とでも結婚してやろうじゃない。どんと来いよ」
「…この国の法律知ってるか?」
四次は唖然としてしばらく黙った。しかし、美心は赤い目で彼を睨みつけたままだった。四次は美心の手を掴み、言った。
「嘘ならこの場ですぐ見抜いてやるよ」
四次は心の目を凝らした。美心は「どうぞ」と言わんばかりに瞳を閉じた。
テレパシーは集中力を要する。徐々に、徐々に、美心の内面の「形」が露わになる。それは…その姿は、今まで四次が見てきたどんなものよりも…
美しい。
四次は、目を開いた。美心も、目を開いた。二人の視線が交わった。
四次は…自分の顔が熱く、真っ赤になってゆくのを感じた。美心はきょとんとしていたが、四次は何とも言えない恥ずかしさでたまらなくなって、手を離した。
心臓が爆発の様に鼓動して、上手く呼吸が出来なかった。部屋の中を無言で歩き回り、ロッカーからものを取り出すと、急いで身支度を…でも、上着のジッパーが上手く噛まなくて手こずり、結局あきらめた。すがるようにドアノブをひっつかんで外へ出た。美心が「傘を…」と呼びかけたのにも気を留めず、土砂降りの中を走り去った。
「彼女は俺を愛してる!心の底から!」
天にも昇る気持ちで叫んだ。雨音にかき消されながらも、その余韻は四次の胸の中でいつまでも残る。雷が鳴っている。天を見る。曇り空で辺りは暗い。誰も見ていない。
四次は瞬間移動に近い速さで昇天し、暗雲をぶち破り、すぐに大気圏を飛び出した。
地球を眺め下ろしながらそれに呼びかけた。
「仲直りしようぜ!」
開いた手をさし出し、言った。
「俺は幸福だ!ひゃっほうっ!」
その晩の「降臨タイム」で、美心は懺悔をするように愛沢教授に言った。
「公私混同」
「それが君の結論かね」
「だって、他に言いようがあります?」
美心はうなだれた。しかし、愛沢教授はにこやかだった。
「患者とか医者とか言う前に、我々は人間だよ。私が知る限り、君は軽薄な性格では無い。きっと魅力があるんだろうね」
美心は頬を染めた。
「私、思うんですけど、妄想だろうが何だろうが、それが彼の人格の一部なら受け入れてあげるべきじゃないかと。でも、それを分かってあげられる人間が、彼のまわりにいないようでした。このまま放っておいたら「悲劇のホムンクルス」みたいに、彼は人類から疎外されてしまうんではないかと…」
「ふむ、典型的なナイチンゲール症候群だね」
「あうう…」
返す言葉も無く、美心は頭を抱えた。
「おいおい、美心くん。素晴らしい恋人を見つけたのに、何でがっかりしてるんだい?パラノイアとかナイチンゲール症候群とか、そんな病名がつこうとつくまいと、君たち自身の幸福とは何の関係も無いよ。勝手な分類だ。糞食らえだよ」
「く、糞?」
「もっと素直に喜びなさい。ここだけの話だが、私の妻は私の元患者だ」
「ええっ!?」
美心は飛び上がった。そんな!愛沢教授は聖人の様な方だと思っていたのに、イメージが崩壊するカミングアウトだった。だが、教授の笑顔は相変わらず神々しく、ありがたい後光が射していた。その後、寝床の中で悶々と考え続けた。
「教授も人間だったのね…」
しかし、何故だか美心は安らかな気持ちに満たされ、そのまま眠った。
四次は確信したら行動の速い男だ。結婚の準備に向け、さっさと手続等に着手した。美心が他の患者にプロポーズされる前に自分のものにしなければ。「必要とあらば何人でもどんと来い」と言っていたが、実際には早い者勝ちに違いない。
美心は一人暮らしをしていてアパート住まいだったが、家賃と間取りを検討した末、四次のマンションで二人暮らしをする事に決まった。引っ越しの時、美心は汚れ作業用の服を持っておらず、四次の服を借りた。
「ねえ、これ着ても良い?」
「うん?」
「汚して捨てちゃうかもしれないんだけど」
シャドウマンの服。黒いズボン、黒いジャンパー、黒い帽子…
四次はしばらく見つめてから「ああ、良いよ」と言った。
「もう必要ない」
さらばだ、シャドウマン。お前はもう本体を見つけた。これからは陽の光の中を、堂々と生きろよ。
数カ月の同棲生活の後、二人は結婚した。結婚式に親族は呼ばなかった。四次の家族はもちろん、美心の家族も二人の結婚を快く思わなかったのだ。美心の親兄弟にしてみれば四次はただ「無職の男」との認識だった。もちろん四次は家庭を持つ男として就職活動を始めていたが、不況の上、ブランクのある身ではなかなか条件の合う職が見つからなかった。
反対に、美心の診療所は次第に患者が集まるようになった。四次の宣伝活動のおかげだった。だから、互いの間ではその点を良く了解し合っていたし、何の問題も無かった。
「私たちの幸福を祝福してくれない、どうでも良い人たちの中傷なんか本当にどうでも良いわ。お金の心配も無いんだし、二人の心さえ一致していれば大丈夫よね」
「愛沢教授は?」
「ええ、彼も私たちの味方よ」
「俺もあの人の事を自分の親だと思う事にするよ」
だが、この時すでにもう一人、味方がいたのだ。美心の腹の中に。二人の愛と幸福を祝福する、もう一人の人間が、その魂が形成されつつあった。
十か月後、四次と美心の間に息子が生まれた。名前は三次。
不吉な歪みが宇宙空間に広がりつつある。
満足を知らない群体生物。
増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えて増えている。
とうとうその全てがひとつに融合する。巨大な口が声の無い産声を吐き出し、そのまま裂ける程を広がると、噛みつく。
空間は決定的な破壊によって酷く歪み、虚空は渦巻き、黒い重力レンズと化す。
同じ現象が数か所で起こり、レンズが放つ暗黒光線が乱反射する。
その一部は、生命の惑星地球に達しようとしている…
4D・MISSION
第一部:孤高のサイキッカー
第一話:シャドウマン
END
ここまでが第一話の内容となっております。全十五話、五話で一部の三部構成を想定しております。企画の進行状況をお確かめになりたい場合は関連情報をご覧下さい。
関連情報URLは下記より↓
第1巻「孤高のサイキッカー」販売…http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00MASC2EW?*Version*=1&*entries*=0
曲…http://piapro.jp/t/oB22
動画…http://www.nicovideo.jp/watch/sm23441776
ドボルザークピアプロ個人ページ…http://piapro.jp/kaori1914
sadaピアプロ個人ページ…http://piapro.jp/multipledimension
ドボルザークTwitterID…@risforrocket0
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