2014年8月7日06時58分
福岡県筑後市のリサイクルショップを舞台にした殺人事件。店の経営者夫婦が6日、従業員の殺害容疑に加えて、店で働いていた義理の弟の殺害容疑でも再逮捕され、連続殺人事件の疑いが浮上した。夫婦周辺では安否がまだわからない人もおり、県警は慎重に捜査を進めている。
「わずかな望みが断ち切られた。生きてるんじゃないかと思っていたから」
鹿児島県内に住む冷水(ひやみず)一也さん(当時34)の親族の男性は6日、一也さんが殺害された疑いが強まったと聞き、言葉を詰まらせた。
一也さんの暴行に加わった疑いで県警に逮捕されたのは、一也さんの妻・栄江(さかえ)容疑者(36)だ。「考えられない。普通の仲の良い夫婦にみえていたのに」
事件では、店の経営者の中尾伸也容疑者(47)と妻の知佐容疑者(45)が殺人容疑で逮捕された。一也さんにとっては義理の姉夫婦。「どんなに悔しい思いで死んでいったことか」。親族は唇をかんだ。
鹿児島県鹿屋市出身の一也さんは広島県内の大学院を修了後、大阪の電機会社に入社。研究職としてマッサージ機の開発などに携わり、同僚らと特許も取得した。会社関係者によると、昇進も早く、2005年ごろから米サンフランシスコの研究所で勤務した。将来を嘱望されていたという。
知佐容疑者の妹にあたる妻の栄江容疑者とは、大学時代に知り合ったらしい。郷里の鹿屋市で結婚祝いをし、生まれて間もない長男(事件当時4)を連れて3人で親族宅を訪ねることもあった。親族の男性は「優しい雰囲気の家族だった」と振り返る。
順風満帆にみえた一也さんの人生が急転したのは06年のことだ。突然、会社を辞めて帰国。鹿屋市の実家に立ち寄った。その際、一也さんは母親に「妻が海外生活になじめず、体調を崩した。これから福岡に行く」と告げたという。
周辺では「一也さんの妻が、信頼を寄せていた姉(知佐容疑者)を頼っていったのでは」とみられていた。一家は筑後市内にアパートを借り、一也さんと栄江容疑者は伸也容疑者の店で働き始めた。
捜査関係者によると、伸也容疑者らによる一也さんへの暴力は、働き始めて間もなく始まったという。仕事上のミスなどを理由に数カ月間、店で暴力を受け続け、最後の1カ月は店の倉庫に監禁された。食事も満足に与えられず、医師の治療も受けられずに衰弱するなどして亡くなったのは、06年秋。それ以降、一也さんの行方はわからなくなった。
鹿児島県内の親族は、急に連絡を絶った一也さんを案じた。11年ごろには弁護士を通じ、伸也容疑者らに「息子と連絡がとれない。行方を知らないか」と問い合わせた。すると、伸也容疑者らは「(一也さんの)妻が家を出て行き、一也さんは子どもを連れて捜しに行った」「私たちも所在は知らない」と説明。周囲には「一也さんが行方不明になり、親族から問い合わせが来て困っている」と相談していたという。伸也容疑者から相談を受けたというある関係者は「一也さんの死亡に関わったことを隠そうとしたのではないか」と話した。
■一家の失踪、市は09年に把握
福岡県筑後市のリサイクル店経営の夫婦に殺害されたとみられる冷水一也さん一家の失踪を、市は2009年3月に把握していたが、市から県警に伝えられたのは12年9月だった。実際に捜査が始まったのは翌13年10月。県警によると、一也さんの殺害時期は06年秋とみられる。市は「もっと早く対処すべきだった」、県警は「当初は事件性を判断できる資料がなかった」としている。
市と県警が6日、それぞれ記者会見で説明した。
一也さん一家は06年ごろ筑後市に住み始めた。県警によると、その秋、一也さんは殺害され、直後に妻の栄江容疑者は市外に逃げ出したとみられるという。
市教育委員会によると、09年2月、一也さんの長男が小学校に入る年齢になったのに必要書類が出ていないことなどから、小学校教頭らが自宅を訪問。翌3月に不在を確認した。市教委は「住民票を移さないで転居した」と判断。転居先の市町村からの連絡を待つことにして、調査もしなかったという。
12年9月には、子ども手当の申請がなかったため、市職員が自宅を訪れ、不在を確認した。市は筑後署に相談したが、「親族でなければ捜索願は出せない」などと言われたという。
市は、長男の伯父、伯母にあたる中尾伸也、知佐の両容疑者らからも話を聞くなどした。伸也容疑者らは「連絡がつかない」などと説明。市は13年10月に県の児童相談所に送致し、市職員らが筑後署を再度訪れ、捜査が始まったという。
市教委は「所在不明事案の認識に乏しかった」、県警は「最初の相談時は事件と判断する情報に乏しかった。筑後署の対応は適切だった」と説明した。
おすすめコンテンツ
※Twitterのサービスが混み合っている時など、ツイートが表示されない場合もあります。
朝日新聞社会部
PR比べてお得!