最終更新日:2004年03月31日

○ 更新履歴 ○

○ 中文(簡体字)簡介 ○

○ お問い合わせ ○


 中国帰還者連絡会とは?
 中帰連関連文献集
  バックナンバー
 
定期購読はこちら
 季刊『中帰連』の発刊趣旨

 戦場で何をしたのか
 戦犯管理所で何があったのか 
 お知らせ・活動紹介
 証言集会を開催します
 受け継ぐ会へ入会はこちら
 受け継ぐMLへのご登録

 


表紙 > バックナンバー > 第6号 > 中国戦線における日本軍の性犯罪 


中国戦線における日本軍の性犯罪
−山東省・湖北省の事例−

笠原十九司


T 加害資料と被害資料による性犯罪の証明

 日中全面戦争期の中国戦線における日本軍の戦争犯罪としての性犯罪について、その一端を拙稿「中国戦線における日本軍の性犯罪−河北省・山西省の事例−」(『季刊戦争責任研究』第13号)および同「日本軍の残虐行為と性犯罪‐山西省盂県の事例−」(同前、第17号)にまとめたことがある。前者は、季秉新・徐俊元・石玉新主編『侵華日軍暴行総録』(河北人民出版社、1995年)に収録・記録された河北省と山西省における日本軍の残虐・虐殺事件の中から、婦女凌辱が記述されている事例を抜粋して整理したものであった。本稿はその続編として山東省と湖北省における事例を整理した。山東省と湖北省を選んだのは、本誌『季刊中帰連』に掲載された六編の元兵士の証言記録が、両省においてなされた性犯罪行為を告白しているものとを照合させるためである。

 前掲拙稿で書いたように、日本軍将兵が残した記録・証言には、中国民衆を殺害した、放火、略奪したという類の不法・残虐行為については、多く書かれたり、語られたりしているが、性犯罪である婦女凌辱行為については、それが広範におこなわれていたにもかかわらず、自らの体験を記したり、告白したりする元兵士は例外出にしか存在しない。それは、性犯罪が平和な日常生活においては重罪にあたるだけでなく、犯した者の人間性、人格、理性が疑われ、市民的名誉を完全に失うことになるように、戦争中の性犯罪を記録・証言した元兵士も周囲からそれに準じた道義的・精神的制裁を受ける可能性があるからである。

 こうした状況を考えると、本誌の元兵士の証言記録は貴重である。本稿は、被害者の側の記録資料を整理したものであるが、記載されている犯罪行為の内容があまりに残虐非道で、非人間的であり、野蛮で猟奇的であるので、被害者側中国農民の噂や推測を加えた誇張や作り話の可能性もあるのではないかと疑ってみたくなったほどである。しかし、それらが事実としてあり得たことを、本誌の加害者側の元兵士の証言が証明しているのである。加害者側の資料と被害者側の資料が内容的に一致すれば、歴史事実としてあったことが証明されたといえよう。その意味で、本誌特集号は、日本軍の性犯罪の事実を解明するうえで高い歴史資料的価値を持っている。

 『侵華日軍暴行総録』には、婦女凌辱の犠牲になって殺害された人や、すでに亡くなった人は実名で記されている。今年の4月、私も参加したカリフォルニア大学バークレー校での南京事件の国際シンポジウムにおいて、「強姦の犠牲になった人を実名で記述することはプライバシーを傷つける恐れはないか」という会場からの女性の発言があった。婦女凌辱は本人はもちろん家族にとっても精神的な傷痕をのちのちまで残す問題であった。私自身、何度か華北農村の調査に入って農民から聞き取りをした時、日本の侵略戦争を体験した古老たちは、「この村の某々の妹は日本兵に強姦された」「隣村の某々は酷く輪姦され、生涯子供を産めない体になった」と、(私に実名は言わなかったが)具体的に被害者を知っている事実を経験した。『侵華日軍暴行総録』はそうした具体的な農民の記憶をもとに地方史研究者たちが記録したものであり、農民たちがどのように日本軍の残虐行為を記憶しているかということも含めて資料的価値は高いものである。本稿は、まず『侵華日軍暴行総録』から山東省、湖北省における日本軍の性犯罪の事例を抜粋して表に整理した。被害者数は事件の規模を推測するための参考として、同書の記述に書かれている範囲で計算したものであり、厳密のものではない。記録された残虐事件の様相から推し量っても実際はもっと多かったと考えられる。

 次に本稿では、それらの性犯罪は組織的におこなわれたことを日本軍の作戦過程に位置づけて裏付けておきたい。

 なお、日本の将兵が平和な日常生活では想像できない蛮行をなぜ行い得たのか、兵士を性犯罪に駆り立てた心理と意識については、前掲拙稿で分析した。また、それを可能にした当時の日本の歴史的社会的背景については、南京事件を事例に拙稿「南京大虐殺の歴史背景」(『週刊金曜日』1998年2月17日号)で分析したことがあるので参照していただければ幸いである。

U 山東省における日本兵の婦女陵辱

番号

市・県

鎮・村

年月日

性犯罪の事例・概要

被害者数

鳳凰店 37.10.24 一人の娘を拉致監禁、20日間陵辱した後殺害 1
2 平原 梅家口
官道孫
曲陸店
37.10.27 婦女を陵辱した日本兵が村民に殺害されたため、100余の日本軍が報復、三村の農民87名殺害、主婦一人を強姦した後焼死させる。2組の老夫婦を裸にして抱き合わせて縛ったまま放置し、慰み者にする。 2
3 済陽 県城内 37.11.14 1婦人を裸にして木に縛りつけ、乳房を斬りとって殺害。3名の婦女を輪姦後、腹を裂いて殺害。一人の未婚女性は輪姦されて井戸に投身自殺。 5
4 済南 37.11.15 逃げ送れた主婦のズボンを裂き、下腹部を突き刺し殺害。村の婦女多数を陵辱、一部の婦人は子どもを抱いて河岸の崖から飛び降り自殺。 多数
5 平原 白庄 37.12.16 出産間近の婦人を輪姦後、割腹して胎児を出す。 1
6 観城 37.12.12
  12.13
若夫婦の妻を輪姦殺害、3歳児を踏み殺し、夫を刺殺。洞窟に隠れていた女性20人余を引き出し輪姦。 20余
7 兗州 38.1.4 7名の婦女を輪姦、生理中の女性も輪姦し、生涯子どもを産めない体にする 7
8 泰安 東良庄 38.1.28 一人の娘を輪姦後、放火した家に投げ込み焼殺する。 1
9 臨沂 県城内 38.3下旬 少女1人、女子青年1人を輪姦殺害、追い詰められた婦女たちが井戸に投身自殺 多数
10 県城内 38.3.17 城内掃討の家宅捜査で、女性を発見すれば強姦して殺害。新婚3か月の新妻を輪姦して射殺、70歳の老婆も輪姦殺害、18歳の少女を輪姦後下腹部を割いて殺害  多数
11 棗庄市 南臨城 38.3.17 2人の女の子を抱えてさつま芋の室に隠れていた母親を発見して強姦、70歳の老婆を強姦殺害 3
12 棗庄市 郭里集 38.3.20 酒屋に閉じ込めた村民18人の中に婦女一人を発見、強姦しようとして村民に抗議されたので全員刺殺。村に留まっていた婦女は日本兵に追いつめられ、自殺するもの多し。 10
13 棗庄市 張橋 38.3.26 50歳の婦人を強姦殺害 1
14 兗州 顔店 38.5.5 八路軍が村にいると考えて村民1虐殺、14歳の少女を強姦、4人の主婦を農家内で輪姦 10余
15 兗州 故県  38.5.7 日本兵2名の失踪を村民による殺害と断定して、虐殺・破壊・放火、婦女数十名が陵辱され、7〜8名が投身自殺。 数十
16 ●城 武西庄 38.5.12 国民党軍と戦闘後、村を占領して村民虐殺、輪姦した女性を着飾らして村内を連れ歩き、女性を誘い出して十数名の婦女を騙して陵辱。 31
17 牟平 県城内 38.5.31 県城を占領した後、住民全員を空き地に集め、中から30数名の青年男女を選んでトラックで煙台まで輸送、男は東北へ強制連行、女性は陵辱の後、女郎屋に売却。 10余
18 巨野 萌扶 38.7.10 国民党地方武装勢力がいると判定して村民虐殺、多くの婦女を陵辱、少なからぬ女性を強姦して刺殺 多数
19 ●澤 万家 38.7.14 一人の日本兵が白昼女性を強姦、村民に槍で刺殺されたことに報復、村を焼き払う。50歳の女性を木に縛り、慰み者にした後に下腹部をさいて殺害。 2
20 長清 水泉峪 38.8.27 八路軍掃討と称して虐殺、放火、婦女7人を強姦殺害。 7
21 禹城 趙庄 39.4.23 日本軍と傀儡軍が八路軍武装工作団と戦闘して被害を受けたことに報復、虐殺・放火、妊娠7ヶ月の妊婦を強姦刺殺、陵辱した母親を銃で撲殺し、1歳の女児を火に投げ入れる。 数人
22 微山 南陽 39.9.1 村を襲撃、逃げ送れた婦女のほとんどを強姦。沼辺の葦に隠れていた少女を輪姦、沼に投げ入れ溺死させる。 多数
23 海陽 戦場泊 40.2.3 村民は日本軍を「歓迎」して難を避けようとしたのに、農家から銃を発見した日本軍は、虐殺に転ずる。洞に隠れていた姉妹を引き出し、長女の服を剥ぎ取ったが、胸を両手で隠したので両手指を切り落とし、最後は下腹部を刺殺。次女を陵辱、次女は自殺。 2
24 東明 王官栄 40.4.1 国民党軍地方武装勢力に損害を受け、報復に虐殺・略奪・婦女陵辱。妻の陵辱を阻止しようとした夫を射殺、妻は機を見て逃亡後自殺。 多数
25 東明 東明集 40.5.4 村民を集めて訓話をしようとしたが,村民が従わなかったため、虐殺、婦女凌辱に転ずる。60余歳の老婆を強姦しようとして反抗され、刺殺。  数人
26 黄城陽 40.6.2  「治安粛正」の掃討作戦で家宅捜査中、新婚妻を強姦しようとして抵抗され、衣服を剥ぎ取り下腹部から刺殺。  1
27 寿光 牛頭 40.6.23 女子青年を見つけると凌辱、女子青年十数人を守ろうとした老婆を凌辱した後、裸にして十字路にさらす。 多数
28 寧津 李満庄 41.1.16 200余人の婦女を学堂に監禁して凌辱。14歳の少女を輪姦後、縛ってトウモロコシ殻で焼殺する。 200余
29 朱盤溝 41.2.22 抗日自衛像員が日本兵を殺害した報復に村を掃討、病気で避難できずに畑小屋に隠れていた主婦を強姦刺殺。 1
30 平度 楊家 41.4.16 女教師を捕え、県城に連れ帰り、熱したスコップを胸に押しつける。2人の女子工作員を拠点に連行、裸にして、焼きゴテを全身に押しつけ、最後は射殺。  9
31 東明 許庄 41.5.5 妊婦を強姦しようとしたが、老母とともに抵抗したので2人を射殺、陰部と乳房を刀でえくり、胎児も出す。  2
32 尚家山 41.9.30 同村にあった八路軍の抗日 民衆運動幹部訓練所を急襲、訓練生の男子は建物に開 じ込めて焼死させ、女子訓練士は引きずり出して強姦した後、火に投げ入れて焼死させる。20歳以下の女 子訓練土6人、男子2人を拉致して連行。 10余
33 文登 営南 42.3.26 農家に隠れていた若い女性5人を強姦、負傷して動けない18歳の女子の衣服を剥ぎ取り、乳房、下腹部を突き刺して惨殺。19歳の女子を輪姦して殺害。 8
34 ●城 箕山 42.4下旬 付近の国民党軍に損害を受け報復、主婦の乳房と下腹部を割いて殺害、孫の女児を刀で突き刺して投棄。 数人
35 昌邑 30余村 42.5.18 4日間にわたり、30余か村で「治安掃討」作戦を展開、青壮年751人(男646人.女105人)を連行、その内約500人が虐待により身体を損ねたところを家族が身代金を払って連れ戻す。200余人は済南に送られ、さらに76人が東北の炭鉱へ強制迫行され、6人が逃亡したほか全員死亡 。 多数
36 寿光 清水泊 42.6.9 掃討作戦中、白昼、女子青年を捕まえては凌辱し、最後には殺害。  多数
37 東節 42.7.12 民兵が日本軍のトーチカを襲撃したことへの報復、凌辱に抵抗した婦女を生き埋めにする。42人の村民を拉致して身代金を要求、支払えなかった6人を殺害。  数人
38 菜蕪 雲鳳 42.8.29 抗日根拠地への掃討作戦中、14歳の少女を輪姦して死なせる。鍬を振り上げて娘を助けようとした父親も刺殺。分娩3日後で避難できなかった主婦を輪姦殺害。  数人
39 乳山 馬石山 42.11.23 八路軍への「冬季大掃討作戦」中、19歳の女子を陵辱した後、殺害。 数人
40 海陽 郭城 42.11.27 民兵に痛めつけられた対日協力者が日本軍を案内して報復、山洞に姉妹を発見して妹を段殴り殺し、姉を強姦、ショックで後に死亡させる。防空壕に隠れていた30人を捕縄、中から女性6人を煙台に連行して、全員陵辱、1人の母親が泣き叫んで娘にとりすがるのを銃で撲殺。  8
41 蓬菜 大谷家 42.12.14 掃討作戦中、青壮年80人を煙台に連行、東北の炭鉱へ強制連行、婦女100余人を陵辱 100余
42 梁山 前集 43.8.5 数か村へ報復の掃蕩作戦中、37人の婦女を強姦。 37
43 辛羊廟 43.9上旬 抗日根拠地への掃蕩作戦中、婦女会長を裸にして、乳頭 
に電線を繋ぎ,感電死させる。
数人
44 菏澤 馮庄 43.10.18 衆目注視の中で25歳の婦女を輪姦、陰部にコーリャン 殻を挿入、最後は刺殺 1
45 肥城 安駕庄 38.1-44.9 安駕庄周辺9か所の拠点の日本軍は147人の婦女を強姦・輪姦、被害者は70余歳の老整から8、9歳の少女 まで、その内14人が死亡。 147
46 済南 新華院 44.6 済南に大規模な日本軍施設「新華院」が作られ常時2、3千の捕虜を収容。脱走を試みた男女の捕虜20余人を裸にして男子は刺殺、女子は軍用犬に陰部を食いちぎらせてから下腹部を裂く。 数人
47 臨邑 姜坊子 44.11.2 村に悪事にきた日本兵に対して民兵が発砲したことに報復して村を襲撃、多くの婦女を凌辱。 多数
48 泗水 戈山庵 45.2.5 八路軍が泗水城の日本軍襲撃したことへの報復、実家に帰っていた妊婦の腹を割き9か月の始児を引き出す。婦女30余人を八路軍家族と見てコーリャン殻で焼殺。 1
49 荏平 張家楼 45.3.31 抗日根拠地の村を襲撃、村民333人を殺害。追跡した嫁と妹が井戸に身を投げたのを石を投げて殺害。 2
50 諸城  小岳戈庄 45.7.3 村の自衛隊隊員を殺害、夫を殺害した後、新婚妻を裸にし 
て踊りを強要、拒絶したので輪姦して殺害。
1

 

V 湖北省における日本兵の婦女陵辱

(37件、本WEBサイトでは省略)

 

W 日本軍の作戦中の性犯罪行為

1 山東省の事例について

 U章に事例を整理した、山東省で日本軍の性犯罪行為がおこなわれた時期と地域の特徴を二つに区分することができる。

(1)前半期

 一九三七年七月に日中全面戦争を開始した日本軍が津浦線(天津−南京・浦口)に沿って国民党軍と戦闘しながら南下して行った過程で、追撃作戦の一環として県城や鎮、村落において民衆も巻き込んだ掃蕩作戦を展開するなかで、「抗日民衆の膚懲」という意識をともなって組織的な婦女凌辱が行われた。事例番号の1から19番位までがそれに相当し、時期は一九三八年夏頃までになる。拙著『南京難民区の百日』(岩波書店)および『南京事件』(岩波新書)で、上海から南京攻略に向かった日本軍が、進軍途中の村々の村落掃蕩戦において婦女凌辱を積み重ねていった事実とその原因を記したが、前掲拙稿では山西省、河北省においても同様に戦線および占領地拡大の作戦中に日本軍が性犯罪を繰り返していった事実を明らかにした。拙稿で期らかにした範囲からも、中国戦線における日本軍の性犯罪は、日本軍全体の特質を示すものであったといえよう。

(2)後半期

 一九三九年から八路軍第一一五師の武装工作団が山東省に入り、抗日根拠地(解放区)を建設していき、四〇年までに山東抗日根拠地と総称される抗日根拠地、抗日ゲリラ地区を内陸部に広げる。山東省においても日本軍は点(主要都市)と線(鉄道、幹線道路)を占領・維持するにとどまった。中国共産党が民衆を抗日武装勢力に組織した抗日根拠地の拡大に危機感をもった北支那方面軍は、一九三九年から「剿共(共産党を滅ぼし尽くす)」のための本格的な「治安粛正」作戦を展開し、解放区の縮小をはかった。事例番号20番あたりから始まる後半期の性犯罪は、この作戦過程においておこなわれた。

 一九四〇年八月二〇日夜を期して開始され、一〇月上旬にいたるまで二次にわたって展開された八路軍の百団大戦で、甚大な被害をうけた北支那方面軍は、対共産党軍認識を一変させ、反撃と報復のための大規模な「燼滅掃蕩作戦」を展開する。「燼滅作戦」とは、八路軍の根拠地を燃えかす同様になるまで徹底的に破壊して消滅をはかれ、という作戦であり、中国側のいう「三光(焼きつくし、殺しつくし、奪いつくす)作戦」の本格的な開始であった(藤原彰「『三光作戦』と北支那方面軍(1)」『季刊戦争責任研究』第二○号)。事例番号28あたりから始まるが、「三光作戦」において、日本軍の性犯罪はもっとも非道・残虐になる。事例番号32、35、40、41に見られるように、青壮年男女を拉致・連行して、男子は東北(満州)・日本へ強制労働へ送り、女子は監禁して長期強姦をおこなった。

 女子はさらに軍用慰安所に送られた可能性もある。この期の抗日根拠地「燼滅掃蕩作戦」によって一九四二年には山東省の解放区は四〇年のおよそ三分の一程度まで縮小を余儀なくされるが、事例番号28以下の日本軍の性犯罪の多くが、この作戦地域において発生している。


2 湖北省の事例について

 V章に事例を整理した湖北省で日本軍の性犯罪行為がおこなわれた時期と地域の特徴を次のように整理することができる。

 一九三八年八月大本営は湖北省の武漢(武昌と漢口)を攻略すべく、中支那派遣軍九個師団約三〇万の大兵力を動員して武漢作戦を発動、一〇月に漢口を占領、武漢地区を制圧した。事例番号1から12の性犯罪は、この期に発生したものであり、南京攻略戦同様、武漢攻略戦の過程でも婦女凌辱が行われていたのである。三九年五月には湖北省と河南省の省境付近で日本軍が李宗仁指揮下の第五戦区の国民党軍の撃滅を企図した襄東作戦を展開、事例番号24あたりまでは、同作戦に関連した掃蕩作戦の中で行われた性犯罪である。一九四〇年五月から六月にかけ、日本軍は国民政府の戦時中の首都重慶への侵攻を目指して折からの重慶爆撃と呼応して宜昌作戦を実施した。事例番号26から32までは同作戦の関連地域で発生した性犯罪である。

 事例番号5、10、15、33は日本軍が中国女性を拉致してきて軍施設に監禁して長期強姦し、さらに、軍用慰安所にも送り込んだ可能性のある事例である。

 湖北省は、抗日中国の首都・重慶に長江を遡行すれば通じる戦略的に重要な場所に位置したので、国民党軍の守りも比較的堅固であった。したがって湖北省は日本軍と国民党軍との前線にあたったので、新四軍(共産党軍)は華北の八路軍のように占領地後方の広大な抗日根拠地を建設することができず、もっぱらゲリラ戦を展開した。

 このため、共産党の抗日根拠地にたいする「三光作戦」の中で行われた日本軍の性犯罪とは様相の異なるかたちで婦女凌辱が行われた。事例で多かったのは、「女性狩り」の日本兵が村民の自然発生的な怒りから殺害され、それにたいする報復として「三光作戦」まがいの虐殺、放火、略奪、強姦および強姦殺害をおこなったことである。

 日本兵が「女性狩り」に出かけて「名誉の戦死」をとげ、それにたいする報復として農民を殺戮し、農村を「燼滅」し、多くの婦女をさらに凌辱して犠牲にする、まさに大義を失った「皇軍」の本質が露呈したものといわざるをえない。

(かさはら とくし 都留文科大学教授)

 

表紙 > バックナンバー > 第6号 > 中国戦線における日本軍の性犯罪 

 

●このサイトに収録されている文章・画像・音声などの著作権はすべて季刊『中帰連』発行所に属します。
 無断転載を禁じます。
●ご意見・ご感想は
tyuukiren(アットマーク)yahoo.co.jpまでお寄せください。
●迷惑メールを防ぐため、上記「(アットマーク)」部分を「@」に変えて送信してください。