最終更新日:2004年04月01日

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強姦

石田幹雄


■本文は光文社『新編 三光』において公表され、現在は晩聲社『完全版 三光』に収録されています。


 「シュッ……」マッチがすられ、硫黄の臭いが鼻をつく。ボーッと鈍い光がだんだんと強くなって、暗闇の中からオンドルにのべられた布団の上に壁を背にして赤ん坊を抱いた若い女の姿が浮き出して、幅広い壁に斜めにゆらいでいる。  その前にうす汚れたカーキ色の服に帯剣をぶら下げた兵隊が、ニヤッと歯をむき出しで、満足そうに頬をゆがめて笑っている。半面に黒く影がさした顔に不気味に光る眼鏡が狼の目のように光って、おののく女の瞳が怒りをこめて大きく見開かれ、声もあげることもできず、身をすくませて後ずさりする…照らしていたマッチが消えて再び闇になった。  中国に初年兵として上陸以来、いまだ半年にも満たないのに、私は擲弾筒手(てきだんとうしゅ)として、四回もの「討伐」行動に加わっていた。戦闘をやることよりも、行く先々の農家に踏みこんで、牛、豚、鶏を殺して、腰かけ、または農具など、ときによっては棺桶までも焚き物にして、かき集めた油や粉で「野戦料理」をこしらえて食うのが「討伐」だと思うようになっていった。  古年兵たちは「『討伐』に行けば酒も女もついてまわるし、賭博の「もとで」も転がっているもんだ、員数(生命の意)さえ飛ばぬように気をつけりゃ、討伐様々だ」と口癖のように言っていた。

 私は入隊以前に満州や上海からの兵隊の帰還者から戦地の話を聞き、その猟奇的なものに心を惹かれて、俺も戦地に行きたいものだと思っていたのだが、それが三十歳の補充兵として実現されたのであった。二回、三回と「村落掃討」が重ねられるなかで、村から逃げおくれた女を見つければ決まって古年兵たちは私たち初年兵を門番にして、その婦人を手ごめにした。都会で育ち、十六歳にして銭で女を一晩弄ぶことができる世の中を知って以来、多くの女を弄んできた私は、それを見せつけられて、官能を刺激され、早く自分もあの真似をやりたいと考えるようになっていった。

 魯東作戦中、大熊兵団に配属になって福山県城から六〜七キロ隔たるこの村に、私たち五九師団直轄自転車中隊が着いたのは、一九四二年十一月下旬の雪模様で風が強い日の午後三時ごろであった。

 田島少尉の命令で、思い思いの獲物を求め蜘蛛の子を散らすように城門を潜る兵隊に混じって、山口上等兵と分かれた私は、さんざんあっちこっちかきまわしたあげく、誰もいないと思って南端の家に入ると、そこには意外にも色白の美しい女の姿を見てビックリしたのであるが、次の瞬間、けだもののような情欲がはげしく燃えあがってきたのだった。

 日本のためにならない匪賊を退治するのが戦争だと学校の先生も、お役人も、坊さんもそう教えた、私はお国のために尽くせる兵隊となって戦地に渡った。だが、私が旗の波と歓呼に送られ、訳もなく心で泣いて国を出てから、なにをしていたか?父母も私の友だちもほんとうのことは知らなかったであろう。……私は中国に渡ってから、まったく戦争というものの虜となって、目先が見えなくなり、銃剣を持っているがゆえになにも持たぬ中国の人たちを、思うままにできることに有頂天となっていた。なんの抵抗の意志もなく、野良仕事をしている百姓を射ち殺し、百姓の家を焼き払い、婦人を蹂躙して喜んでいた。

 私が匪賊だと教えられたのは、ほかでもないこの野良仕事に精出していたお百姓さんであり、悪者だと信じていたのが、平和な幸福な生活を、侵略者どもにぶち壊されるのを防ごうとして闘った人たちだった。

 こうした戦争の真実は人々に隠され、「戦争」の名の下に上は師団長から、下は私のような一兵隊にいたるまで、ふつうの世の中ではとうていできないことを……人間の良心をもった者には絶対許されぬ悪事の振舞いを、白昼公然と行なってきたのだ。戦争でなにをやったか?

 国民の目をごまかすために躍起になっている為政者に対する憎しみと同時に、私自身が戦争の虜となり人間性を失ったために、世の中の人たちにどれだけ呪うべき悲惨な不幸をもたらしたことか……。

 泥靴で布団の上に飛び上がり、大手を広げて壁際の女を目がけて襲いかかった私の体の下を潜りぬけて、素早くオンドルの片隅へ身を寄せた女は、じっと闇の中で私の次の行動を見つめていた。たやすく女を自由にできると思っていた私は当てが外れ、気を立て直して女の様子を窺いながら向き直った。

 暗闇の中に昼間見た女の肌を幻想する私……眼の前にいるのは、今日昼間見つけた女だ。いままでのように古兵に取られたくないという欲望から、いますぐとびつきたいと思ったとき、表の道を駆けずりまわる仲間の足音に我にかえり、万が一、班長でも入ってきたなら、一選抜の上等兵はお流れで、今日までの努力がなんにもならなくなる……と、燃えさかる欲望を押さえて帰ってきたのだった。

 それから、この村に泊まることになっていたのを幸いに、みなの寝しずまった九時すぎ、帯剣一本に手榴弾を懐ろにして忍び出た。闇の中に大きな口を開けた家々の門の中から、なにかとび出してきそうな恐ろしさをおぼえ、不気味な静けさの中に時折カサカサと鳴る木の葉も人の足音に聞こえ、あとをつけてくるのかと思って、胸がドキッとつまる思いであった。闇をすかして見ながら、やっと昼間の家に辿りついた。私の後ろには一個中隊の仲間がいるということになによりも勇気づけられ、夜道を一人で歩く楯となっていた。病む身に子どもを抱えてどうすることもできず、雪模様の寒空に野宿して、もしやわが子を痛めるようなことがあってはと、子を愛する若い母親の人間愛を知る由もない私だった。

 再び、母親の体をめがけて猟犬のように飛びかかった私は、相手の両肩をわしづかみにして壁から引き離した。闇の中で二つの塊が一つになって、オンドルの中央へ転がったとき、突然赤ん坊の泣き声が耳をつんざいた、あたりに人の気配はないと思っている私はドキッとして、あわてて、赤ん坊の口に手を当てがった。息を詰まらせて首を振る口を押さえた私の指を伝って、よだれが流れ出し、母親は私の手を離させようと懸命になった。私は母親の襟首をつかんで引き倒すと、再び赤ん坊の口から泣き声があがり、私の気持ちを昂らせ、「この餓鬼め」と口をふさぎながら片手で母親の服を剥ぎ取ろうとした。

 だが、しっかりとわが子を抱きしめ、身を守ろうとする母親のカは強く、私の意のままにならなかった。戦争に勝っている者が負けた者を好き勝手にするのが当たり前だと思っている私は、女一人を意のとおりできないので誇りを傷つけられたように思い、それもこの餓鬼がいるからできないのだと、抱かれている赤ん坊が憎くてたまらなかった。……こいつを片づけんことには、泣き声で仲間に知られる懼れもあるし、早く始末してからだ…。

 私が服から手を離し、子どもの襟首に手をかけた様子に、わが子の危険を知った母親が両手でわが子をかばおうと気をひきしめるのを、片足で母親の肩を踏みつけ、赤ん坊の背にまわされた母親の手をねじ曲げ、生木をひきさくようにカいっぱい子どもの体を上に吊るし上げた。

 ギャーッと悲鳴をあげて宙に浮いた赤ん坊が、紅葉のような手を動かしてもがくのをどうして始末してやろうかと思案する私の頭に、昼間見たオンドルの焚き口にかけられて湯気をあげていた中国特有の大きな釜が浮かんできた。

 「よし、あそこだ」思わず口に出た言葉を呑みこんで、釜に近寄る私の足にしがみついてきた母親を蹴とばし、つきたての餅のようにフワフワした赤ん坊の足首を握りかえして、頭を逆さまにしたまま釜をめがけて投げ込んだ。ギャー……釜の湯を吹き上げ、ひときわ高い赤ん坊の悲鳴が私の耳に錐を揉みこまれるように鋭く食いこんできた。そして、一瞬静寂に返った空気の中にキーッと絹を裂くようにわが手を奪われた母親の叫びが壁をゆすぶった。

 自己の欲望を満足させるための邪魔になるからといって、生きている人間の子どもを……ようやく舌がまわりはじめたなんの罪のない赤ん坊を、煮え湯の中に投げこんでしまったのだ。

 わが子を気づかい、必死に釜に駆け寄ろうとする母親を、「餓鬼を片づけりゃ、今度はお前をゆっくり……」と私は勝ち誇った頬をゆがめて腰を蹴り上げると、母親は壁に当たってオンドルに転がった。「フンッ」と鼻を鳴らして、「お前がおとなしくしねえからだ」と、わが子の名を呼び救いを求めて悲痛な叫びをあげる母親を、「なんとわめこうと百年目だ」とばかり口をふさごうとした。その手へ歯をもって逆らう手ごわい抵抗に、ますます野獣の本性を現した私は、頭から布団をおっかぶせ、その上に馬乗りになって、身悶えするのをついに蹂躙したのだ。

 私は、隣国の中国の領土に侵入して、なんの恨みもない、平和を愛し勤勉な沢山の人たちを殺し、多くの婦人を姦してきたことを振りかえるとき、あまりにもけだものに似た自分の行為を責めずにはいられない。私の手によって煮え湯の中で殺された赤ん坊が、生きておられるならば立派な中学生として、中国を背負う未来の若者となっているであろう。

 私が犯した−人間が人間を殺すことを楽しみにし、己れの欲望のために罪ない赤ん坊を猫の子のように投げ殺す−罪、私の帝国主義の侵略思想に毒された思想の罪悪性を心から僧まずにはいられない。

(いしだ みきお 中国帰還者連絡会会員 1983年2月没)

 

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