最終更新日:2004年03月31日

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〔特別寄稿〕

正義の叫び

金源


■撫順戦犯管理所の第二代所長として、日本人戦犯の指導にあたった金源氏の文章です。(山辺悠喜子氏訳)

 今年は、蘆溝橋事変から60周年を迎えると同時に、南京大虐殺事件の60周年にも当たります。

 すでに、第二次世界大戦が終わって半世紀が経ちました。今の日本人は、過去の中国侵略に対して二つの違った見方をしています。絶対多数の日本の民衆は、過去の侵略戦争を深く反省し、この中から歴史の教訓を汲み取り、再び戦争が繰り返されることを防止し、中日両国人民が後の代までも仲良くしていく為に、積極的に努力しています。しかし、これとは反対に極く少数の右翼分子は、極力侵略戦争を美化し、否定する誤った態度をとって、当時の軍国主義者の為に提灯もちをし、再び侵略への道案内役を鳴り物入りでかってでているのです。

 「中帰連」の全体全員は、1956年8月に帰国してから、40余年間を一日のように、終始大多数の日本人民と共に、はっきりとした態度で積極的に日本軍国主義が中国を侵略した当時の様々な罪行を暴露し、相前後して『三光』などの著作を発表、日本の各友好団体と協力して「七三一部隊罪証展」や「毒ガス展」を開催、更に強制連行や慰安婦問題の調査を行いました。再び侵略戦争が操り返されないように、アジアと世界の永遠の平和のために大きな貢献をしたのです。

 近頃、一握りの右翼分子が、あろうことか小中学校の教科書に今年から載ることになった「三光」政策、南京大虐殺、従軍慰安婦など日本軍の罪行を暴露した内容を全部削除するようにと提議したそうです。そして、侵略戦争の否定と美化を意図して、歴史を歪曲する反動勢力が発展する傾向にあります。ここに及んで、中帰連常任委員会は、季刊『中帰連』の発行を決定し、右翼勢力に真っ向から立ち向かい、歴史本来の面目を保とうとしたことは非常に意義深いことだと思います。私は謹んでお祝いを申し述べます。『中帰連』に発表された文章は、会員全体の真心であり、正義の叫びですからきっと不正義の議論に打ち勝つことでしょう。これは人類社会発展の必然的な法則ですから、いかなる人もこれを変えることはできません。

 第二次世界大戦が終わって、戦争犯罪人に対してかの有名なニュールンベルク国際軍事法廷と東京の極東国際軍事法廷で裁判が開かれました。このニつの裁判が国際的に公認されたのは公正であり且つ正義であったからです。ここで初めて不正義の戦争は一種の犯罪であり、当然国際法による制裁を受けるべきだということが確認されたのです。私たちは、この裁判において死刑となった戦犯にも何等異議はありません。

 中華人民共和国が成立してから、我国の政府と人民は、日本帝国主義が中国侵略の間に、国際的な規範と人道主義の原則を踏みにじり、焼き・殺し・奪うという悪逆非道の限りを尽くした日本人戦犯に対して、「一人も殺さず、一人も無期懲役をださない」の寛大方針を行いました。国内の国民党や偽満州国・偽蒙古軍の戦犯についても同じように「一人も殺さず、じょじょに釈放する」方針をとりました。私たちは、戦犯に対して一切報復手段として殺戮等を行ったことはありません。反対に、教育して、彼等を更生させる政策を実行し、彼等の罪悪思想を取り除き、新しく人間として生まれ変わらせました。その結果、これら日本の戦犯は、戦争狂から、侵略戦争に反対し、世界平和を擁護する友好人士になりました。封建的な皇帝も、自分の労働によって生きて行けるようになり、国民党の戦犯や偽満州・偽蒙古の戦犯たちも、その後新中国の社会的制度を擁護する新しい人間に生まれ変わりました。

 中国共産党は、この人類史上に前例のない偉大な事業の実践過程で、次第に正確で科学的且つ独特な戦犯改造の経験を積み、国際的な戦犯裁判史および戦犯改造史の上で奇跡を作り出しました。

 撫順戦犯管理所の成立からその閉所まで、私は、ずっとここで戦犯の教育と更生の仕事に従事しました。今、考えてもこの仕事は有意義で、終生忘れることは出来ないでしょう。

 1967年から前後11回、私は要請に応じて日本を訪問しました。北は北海道から南の九州までおおよそ日本国中を歩きました。私は以前の戦犯やその後の友人たちに会いました。戦犯であった彼等が、今はたくさんの子や孫に囲まれて幸せに暮らしているのを見ると、平和の尊さを実感しました。

 私がこの訪日で、最も深く印象に残っているのは、1995年10月に上海の東方テレビ局が「最後の証言者」という番組撮影を行うに当たって、私は顧問として山形県上山市高松に土屋芳雄氏を訪ねたことです。土屋氏は1931年志願して日本侵略軍に加わり、偽満州で満州独立守備隊に編入され、1934年憲兵隊の試験に合格して以来、日本の敗戦までの15年間、チチハル市で中国侵略の急先鋒を勤めました。彼はその働きによって上等兵から伍長へそれから軍曹・曹長・少尉特高班長・副官等の織を歴任しました。この間、彼は自ら数千名の中国の愛国志士を捕らえ、その中の380余人を殺害しました。わが国の人民に対する重大な罪行を犯したのです。

 土屋芳雄氏がソ連から中国に引き渡された時、自分の罪の重さから死刑になるのが恐ろしくて、罪を認めず私たちの教育に抵抗しました。私は、1946年4月にチチハルの解放戦争に参加し、1950年7月に撫順戦犯管理所の仕事をするようになりましたから、ずっと土屋芳雄氏の様子を見守っていました。教育期間中の思想の動きや変化など、私は比較的良く知っています。土屋芳雄氏は1956年にわが国の寛大政策によって帰国してから、何回も私に手紙をくれました。彼は、1987年に『わが半生の悔悟』という本を書き、日本帝国主義と彼自身が中国の侵略期間中に犯した罪悪を暴露しました。その本は、客観的に自分が勾留されている時の感情を記述し、罪を認めなかった時から、自分の罪を心から認めるに至るまでの転変の過程が記され、わが国政府の戦犯を教育する方針の正しかったことが十分に反映されています。

 土屋芳雄氏は、帰国後、周囲の人から「洗脳」されたといわれ、社会からは冷たい目でみられました。でも彼は積極的に何百回にもおよぶ反戦平和の講演会や座談会に出席し、自己の体験を独演一人芝居の形式で反戦平和の宣伝をしました。これに参加した観衆は3万人にもなるということです。

 特に感激したのは、彼とわが国の著名な作家、劉丹華先生との共著になる『人と鬼との戦い』の合作の成功です。55年前、劉丹華先生は中国東北が占領支配されていた時の愛国詩人であり、積極的に抗日活動を行っていた革命的な青年でした。当時の土屋芳雄氏は両手を中国人民の鮮血で染めた日本侵略軍の憲兵です、劉丹華先生は、つまり土屋氏によって逮捕され、尋問と拷問の末に投獄されたのです。戦後の土屋氏は中国の寛大政策によって、人間性を取り戻し、心から自分の罪行を懺悔し、平和を望み、侵略反対の中日友好人士となりました。

 劉丹華先生はかつて『地球の一角から』という文章を書きました。これが偶然の機会に土屋氏の発見する所となりました。土屋氏はこれを読んで本の著者劉丹華先生がかつて彼自身に逮捕された被害者であることを知ったのです。以来、土屋氏は各方面に手を尽くして劉丹華先生の所在を尋ね、やっと連絡をとることが出来ました。昔、一対の若い異国の仇敵同士が、高齢を迎えた今、なんと侵略反対の最も親しい友人となったのです。

 彼等二人は、それぞれが身を切るような体験を通して、この共著を完成させ、侵略戦争に反対し、世界の平和を守り、中日友好促進の為に大きな貢献をなし遂げたのです。撮影グループは土屋氏の家に丸一日滞在し、劉丹華先生との関係資料を撮影し、相互の往復書簡や記念品とともに『人と鬼との戦い』の本を撮影しました。この作品の内容には生き生きとした感情がこもっており、当時の様子が鮮明に描き出されて、過去の歴史的な時代の真相を十分に伺い知ることが出来ます。

 最早疑う余地はありません。正義は必ず邪悪に打ち勝ち、真理はいつわりに勝つ、つまりこれは不滅の真理の証明です。

 私は、侵略戦争を美化したり、否定しようとするあれら一握りの日本の極右勢力の意図は、絶対に実現することは出来ないと信じます。歴史の事実にはすでに公平な議論が成されており、今は評価を待つのみ、…未来は人民のものです。

(きん げん 撫順戦犯管理所第二代所長)

 

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