最終更新日:2004年12月26日

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戦争と人権

田畑 英一


 私は、かつて、満州事変から日中戦争へとつながるその戦争が、日本国家による謀略にもとづく、侵略戦争であることも知らないまま、「天皇陛下の赤子」として、またお国の一大事にあたり、若き青春の血たぎるまま、お国のためにこの五尺の体を国家のために捧げようと関東軍独立守備隊に志願いたしました。任地は、中国山間の奥地で、始終灯油とローソクのみでの野戦生活でした。

 さらには第二次世界大戦では東南アジア各地を転戦し、戦争では、いかなる手段を使おうとも国家のために尽くすことになると信じるまま、多くの諸外国の人々を残虐の限りを尽くして、殺りくを行ってきました。

 戦後52年余、絶えず私の心の中の動かしがたい事実として、残虐な戦争の歴史をぬぐい去ることができません。わたし自身も戦闘で、傷痍軍人となりました。

 私は自らの人生を振り返り、深い反省のうえにたって、今後決して、おろかしい戦争を繰り返すことのないよう、戦争の語り部として、こん身の努力を続けています。

 私が皆様方に最も訴えたいことは、「戦争こそ最大の差別である」と言うことです。

 ひとたび戦地に送られれば、何人も鬼畜に変わってしまいます。まさに殺されるか、殺すかのいずれかの極限に立たされます。人間らしい心は完全に破壊され、相手を殺すこと以外に自らが生きのびることが出来ないのです。

 かつて中国を侵略した旧日本軍は、中国人民に対して、いわゆる『三光作戦』なるものを下しました。『三光』とは、「奪いつくす」「殺しつくす」「焼きつくす」ことであり、中国人兵士はもとより、老人、女性、子供達をも残虐なる殺害を行い、蛮行の限りを実行して来ました。こうした蛮行は、当然のこととして、すべての日本軍兵士が行って来たのです。しかしながら、その当時、その場に置かれた兵士の状況と、極限の中での心情をだれが責めることが出来るでしょうか。

 私は、この身で体験した残虐の極みである戦争を、これからの世代に断じて、繰り返させてはならないと、強くつよく訴えるものであります。

 この度、こうした旧日本軍が中国で行って来た、残虐の数々が、勇気ある人々の懺悔、告白をもとに、「中国帰還者連絡会」において出版されていることを知り、私自身もかつて日中戦争体験者として、戦後五十年余りの今日、自らの犯して来た行為を振り返るとき、身の毛がよだつ思いがよみがえり、慚愧の念で一杯であります。

 その懺悔と再び過ちを犯さないために、私は同和教育を通じて、戦争のない真の平和と人権の確立に取り組んでおります。

 今なお世界では、戦禍によって、多くの尊い命が、文化が失われています。戦争こそ人間として、最も大切な「生存の権利」すらも奪う最大の人権侵害であり、最大の差別と言うゆえんであります。

 国連では、二次世界大戦の深い反省の中から生まれた「世界人権宣言」を更に具体化するため、1995年、「人権教育のための国連十年」が世界160カ国余によって決議され、戦争を未然に防止し、平和を実現するには、各国が人権教育の徹底を図り、世界の国々が相互の信頼と対話による紛争の解決を図ることを目的としています。

 21世紀を目前に控え、ますます人権の大切さが国際的にも、国内的にも最重要になっています。

 丹南町においては、同和教育を通じて、最も厳しい部落差別の現実を明らかにしながら、差別を無くする人間変革に取り込んで来ました。さらには、差別を支えてきた生活の見直しと、改革についても取り組んできました。 

 同和教育を通じて、戦争のない真の平和と交際交流を進め、人権尊重の社会の実現に向けて今後も一層努力を重ねていく所存であります。

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