よもちかブログ

「私の世界」の話をしよう。

生まれてくることって、事故みたいなもの

生まれてくることって、事故みたいなものだよなぁってことを思いました。

 

生まれてくることは奇跡とか、生命の神秘とか、綺麗な言葉で表現されることが多いですが、私としては「事故」と表現したほうがしっくりきます。子育てが大して上手くないのにうっかり子供を持ってしまった両親と、後々「生まれてきたくなかった」と思い悩む発達障害を持った私が当事者です。正直、どちらも得をしていない気がします。両親と私の間に発生する愛情のようなものは、ストックホルム症候群と区別がつきません。

 

事故なんだ、と思い至るまでは、事故の加害者である両親に大してとても怒っていました。私に対して故意に嫌がらせをしやがったんだ、といったような気分に陥っていました。でも実際は事故なのです。両親だって子供を作ること・産むことは選択できても、「私」が生まれてくることは選択できないのです。不幸なマッチング。相性が悪かった。残念極まりないですが、これは事故なので仕方ないのです。

 

事故なので、怒りをある程度放出したら、あとは自分が心地良く生きることにエネルギーを注ごうと思いました。事故の後遺症などに悩んでクヨクヨする時間も必要ですが、存分にクヨクヨしきったら、あとはもう割り切って、過ぎたことは仕方ないと開き直って、事故を乗り越えたほうが自分にとって得だよなって思います。事故について恨んで怒って一生を終えるのは、私はしんどいし、どうせだったら愉快に楽しく生きたいなぁと思うのです。

 

でもだからといって、事故に遭って良かったかと言われると、私はノーと言います。そら事故に遭わなきゃ現在の自分は存在しないけれど、事故自体は不幸なことだから、遭わないほうが良かったよね、てなもんです。出産は事故です。もしかしたら事故ではない出産も多々あるのかもしれませんが(心の底から「生まれてきて良かった!」と思う子供を産む、とか…)、事故と呼べるにふさわしい出産も同じくらいかそれ以上、存在するのではないか、と私は思っています。とりあえず私が産まれたことは事故でした。残念で不幸なマッチングでした。事故の原因を作った両親に感謝はできません。だから「産んでくれてありがとう」だなんて1ミリも感じていません。どちらかというと「これは完全に判断ミスだよ」という気持ちを抱いています。

 

生まれることは事故で、生きることはその後遺症です。その後遺症のなか、いかに楽しく生きるか、というのが私の人生観です。自殺はしんどいのでしたくありません。痛みや苦痛を極力避けながら、楽しく愉快に暮らしていきたいです。

 

私はそんなふうに考えています。

 

よもちかでした。