プロだろうが何だろうが、個人ブログなのは仕方ないことですからねぇ。 "@kazukiokoso: プロブロガー名乗っておきながら、こういう時だけ個人のブログですからみたいな自分に都合の良い姿勢。人を嫌な気持ちにさせるのが仕事って、人間性疑う。
— イケダハヤト (@IHayato) 2014, 8月 4
謎の慶応生に突然絡まれつつ(ブロック済み)、「人を嫌な気持ちにさせるのが仕事」って面白い言葉だなぁ、と考えていました。
「人を嫌な気持ちにさせる」という希少価値
コンテンツの世界というのは、基本的に「人を嫌な気持ちにさせる」方向にはいかないと思うわけですよ。飛ぶ鳥を落とす勢いでアクセスを稼ぎまくっているCuRAZYは象徴的で、見ていると楽しい気分になりますよね。ここ最近、こういう楽しげなコンテンツが増えているように感じます。
「人を嫌な気持ちにさせる」ようなコンテンツは、ポジティブなコンテンツに比べてバズらないですし、メディアとしてもリスクがあるので掲載しにくい、という事情があります。実際、みなさんがメディアを運営していたとして、「人を嫌な気持ちにさせる」ようなコンテンツは、思いついても掲載を避けると思います。炎上したら困りますからね。
市場を見るに「人を嫌な気持ちにさせる」ようなコンテンツというのは、希少性が高まっているように感じます。
今のウェブ上には、良い意味でも悪い意味でも、セラピーのようなコンテンツが大量に模造されています。それにうんざりする人々は増えていき、いずれお金を払ってでも「嫌な気持ち」になろうとするんじゃないか、とぼくは予想します。
良質な「人を嫌な気持ちにさせるコンテンツ」とは何か
一方で、「人を嫌な気持ちにさせるコンテンツ」という世界においても、その質は様々です。
たとえば、切込隊長のブログは概ね読んでいて不快になるんですが(「これは一般論ですが」という卑怯な逃げ)、あれは単に人をこき下ろしているだけです。そういう「こき下ろし」は希少性が低くて、誰でもできるんですよね。実際、似たような個人バッシングブログはたくさんありますよ。
ぼくが価値あると考えているのは、名前を挙げて他者をこき下ろすスタイルのではなく、「行動を伴った、社会に対して問題提起するスタイルの表現」がもたらす「不快感」です。
自画自賛になりますが、ブログタイトルの「まだ東京で消耗してるの?」はその一例です。これはぼくの本音であり、行動を伴った問題提起だったりするのです。これが言いたいがために?移住しましたから。
で、しばしばこのキャッチコピーは誰かに不快感をもたらし、突然ツイッターで「許しがたい」だの「人間性を疑う」だの絡まれるわけですね。こういう価値は、本当に希少だと思うんですよ。探してもなかなか見つからないと思いますよ。
ぼくの周囲だと、The StartupのUmekiさんくらいでしょうか。こういう発信をなさっているのは。あとはみんなセラピーですよ。いや、別にセラピーでもいいんですけどね。ぼくはつまらないなぁ、と思うだけですから。
何かを変えるために動くとき、ほとんどの場合、同時に誰かを不快にさせます。そういう順番で不快感を抱かせるようなブロガーの登場を待ち望んでいます。当たり障りのない言葉を書いて「いいね!」を稼ぐセラピーブログはこれ以上いらないんですよ。
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