♪リメンバー ヒロシマ・ナガサキ

 声楽家の佐藤しのぶさんが、昨年発表した曲「リメンバー」(なかにし礼作詞、鈴木キサブロー作曲)を各地のコンサートで歌っている。

 なぜ、リメンバー(覚えておこう)なのか。もともとは核兵器廃絶を訴え続けている芸術家オノ・ヨーコさんが、被爆国日本から世界に発信すべき言葉として口にした。「だって、覚えていない人、多いでしょ」と。

 ノーモアと言う前に、世界の人々に原爆の悲惨さを知ってほしい。思い起こしてほしい。

 それは、被爆者らが長年、世界に訴え続けてきた痛切な思いと重なる。国際政治の冷徹なかけひきや核軍縮をめぐる綱引きのなかで、ともすると、かき消されがちだった声でもある。

 だが、被爆69年の今、核の非道が改めて注目されている。

 「人道に反する兵器であることを根拠に、核兵器を禁止できないか」。核廃絶を求める国々による、そんな動きが急速に高まっているからである。

■救援が不可能な破壊

 ウクライナ、イラク、パレスチナ自治区ガザ……。今も戦いで多くの命が失われている。

 殺すのは、核も、化学兵器やミサイル、銃も同じ、兵器は一様に非人道的と考える人もいるだろう。だが、やはり、核は別に考えるべき兵器なのである。

 過去2年間、核を巡る国際会議が4回開かれた。非人道性に関する共同声明がその都度、提案され、賛同国は16、34、80、125と膨らんだ。そして今年2月、メキシコのナヤリット。核の非人道性を問うこの会議に5大国は参加しなかったが、146もの国が集まった。

 席上、議長は核兵器の特徴と現状をこう表現した。

 核爆発の影響は国境を越えるほど広がり、インフラ破壊や放射線障害の影響は極めて長く続く。救援がいくら必要でも、どこの国も国際機関も対処しきれない。なのに核兵器を持とうとする国やテロ集団は後を絶たず、ミスやテロによる核爆発の危険は増す一方だ――。

 甚大な被害をもたらす核が、気が遠くなるほど多く存在する。何を根拠に、この危うさを抱えたままで人類が生きながらえると言えるだろうか。そんな問いかけが、そこにはある。

■廃絶めざし原点回帰

 20世紀後半、人類は資源の大量消費と枯渇、地球温暖化といった難題に直面した。人類が生き延びるには、日々の活動が一部制約されてもやむを得ないと考えられるようになってきた。

 安全保障にも同様な感覚が必要だろう。人類と文明を滅亡のふちに追いやるに十分な核兵器が、依然として頭の上にぶら下がっているのは放置できない。

 核兵器に関しては、核不拡散条約(NPT)が保有国を5大国に限り、5大国は誠実に核軍縮を進めることを定めている。だが、思うような成果は上がってこなかった。核で国の安全を確保する「核抑止」の考え方が染みついているからだ。

 ならば原点に返り、非人道性を根拠に核兵器を違法化していくことだ。たとえば核の先制使用の禁止から入り、さらに使用全般を人道法上違法化して、将来の廃絶につなげる。化学兵器が使用禁止から、全面禁止へと進んだことを思い起こしたい。

■市井から決める未来

 ナヤリット会議では冒頭、被爆者ら5人に1時間以上の発言機会が確保された。外交の舞台では画期的なことだ。

 69年前の今日、広島で13歳で被爆したサーロー・節子さん=カナダ在住=は、同級生や親類らの死にゆく姿を英語で生々しく語った。一般討論に立った70人以上の代表の大半が、被爆者らの発言に共感を表明した。

 議長は総括で、核兵器禁止条約づくりなどを念頭に、具体的に動き出そうと呼びかけた。ここ5年ほどの核の非人道性をめぐる議論をまとめ、核に頼り続ける保有国への対抗軸を明確に打ち出したものとして、注目を集めた。

 今年12月、ナヤリットを受けた国際会議がウィーンで開かれる。1カ国でも多く、5大国も参加して、議論に耳を傾けるべきである。

 日本政府は核の非人道性を批判する共同声明について、賛同を3度見送った。広島、長崎両市長をはじめ、市民の側が「被爆国の立場、核廃絶を求める政策と矛盾しているではないか」と政府の対応を強く非難した。4度目にやっと姿勢を変えた。

 広島市長が会長を務める平和首長会議には今、世界で6千を超す首長が参加する。非人道性の国際会議に限らず、核リスクへの危惧は確実に強まっている。多くの首長たちが参加するのは、市井に広がるそうした危惧を感じとってのことだろう。

 安全保障の問題だからと国任せにはしない。人の道に外れているかどうかを決めるのは、普通に暮らす私たちである。そこを強く自覚していきたい。