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決まらない最終処分場/(2)核のごみ/脱原発への道 ドイツ・スイスは今

ゴアレーベン中間貯蔵施設の近くにある民家。黄色いバツ印で、核のごみの受け入れに反対する意思を表している=7月11日、独ニーダーザクセン州

<黄色いバツ印>
 ドイツ北西部、ニーダーザクセン州にあるゴアレーベン。こぢんまりとした田舎町の民家のところどころに、黄色いバツ印が掲げられていた。
 市内には、原発の使用済み核燃料や高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)を保管する中間貯蔵施設がある。バツ印は、核のごみの受け入れに反対の意思表示だ。この地はかつて最終処分場の建設予定地だった。
 「歴史的な転換点になった記事がある」。中間貯蔵施設を運営する原子力サービス会社広報担当ユルゲン・アウワー氏は、福島県議団に古い新聞記事を見せた。発行は1963年。「ニーダーザクセン州の岩塩鉱に核廃棄物を貯蔵」と報じている。
 「当時はまだ放射性廃棄物の処分に対する意識が低かった。この記事で国中が目覚めた」とアウワー氏は言う。
 ドイツで初めて原発が稼働したのは69年。発電開始を見込み、同州が核のごみの最終処分地に突如挙げられたのだ。受け入れの可否をめぐり激論が交わされ、候補地と目された複数の自治体は強く反発した。
 安全に長期間保管できる地質として、最終的にゴアレーベンの地下一帯に広がる岩塩鉱が選ばれた。地下深くに埋設する地層処分が提案された。
 行政側は「迷惑施設」の受け入れをすんなり承諾した。ゴアレーベン市と隣のガルトー市は過疎化が進み、財政が切迫していた。台所事情が判断を左右した。
 「この土地にインフラ整備を願ったことも、期待したのも本音だ」。ガルトー前市長のフリードリッヒ・ウィルヘルム・シュレーダー氏は振り返る。
 95年、使用済み核燃料が初めて運び込まれた。国内の反原発派がデモを展開。放射性廃棄物を入れた容器(キャスク)の輸送に使用される線路に座り込み、機動隊と激しい衝突を繰り返した。輸送は強行され、11年までに113個のキャスクが搬入された。

<漏出の危険性>
 中間貯蔵の実績から、ゴアレーベンは最終処分場の建設地となることが確実視された。ところが地下水を通じ放射性物質が漏れ出す危険性が専門家の指摘で浮上し、反対運動が激化。国は交渉を断念し、11年11月、計画を撤回した。
 40年を費やした揚げ句、振り出しに戻った核のごみ置き場探し。政府は2031年までに候補地を決定したい意向だが、福島第1原発事故後、原発関連施設に対する国民の視線は一段と厳しい。アウワー氏は「この先50年は決まらないのではないか」と見通す。
 日本で最終処分場の議論が本格化したのは90年代に入ってからだが、受け入れ先は決まらない。使用済み核燃料の多くは各地の原発で保管され、総量は1万4000トンに上る。原発が稼働すれば増え続ける。
 視察した福島県議の一人が苦々しく言い放った。「ごみ置き場が決まらないのに、原発の再稼働など愚かなことだ」


2014年08月06日水曜日

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