中崎太郎
2014年8月6日00時13分
69年前の惨禍に思いをはせ、犠牲者の鎮魂と核兵器のない世界の実現を願う――。原爆の日の前夜、広島市中区の「世界平和記念聖堂」で平和を祈るミサがあった。聖堂ができた60年前からミサに通う被爆者の女性は「これからも平和を祈り続けたい」と誓った。
5日午後7時すぎ、厳かなパイプオルガンの音色が聖堂に鳴り響いた。聖歌を歌う約600人の信者の中に、小柄な白髪の服部節子さん(83)がいた。
1945年8月6日朝。14歳の服部さんは爆心地から約2キロ離れた自宅で被爆した。自宅は崩れ落ちて全焼。服部さんの左の太ももにはガラス片が刺さり、建物疎開の手伝いに出ていた父は死んだ。戦後に通った音楽教室近くに司祭館があったことがきっかけで、キリスト教の信者になった。
自宅の近くに54年、建築家の故・村野藤吾が設計した聖堂ができた。キリスト像は磔(はりつけ)ではなく、右手を上げて立つ「再臨後」の姿。原爆からの復興の願いが込められていた。父や友を失った悲しさ、原爆を落とした米国や戦争に突き進んだ日本への怒り……。ミサに通ううち、引きずってきたものが少しずつほぐれていくように感じた。
おすすめコンテンツ
※Twitterのサービスが混み合っている時など、ツイートが表示されない場合もあります。
朝日新聞社会部
PR比べてお得!